宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

今日の愛媛新聞

2005年02月20日 15時37分21秒 | 徒然
私はあまり店番をしないのであるが、それでも家人の食事や家事のフォローで最低でも日に1時間を2回で2時間、ローテーション要員として店頭に立つ(座る)。
12時台と、18時台がそれにあたるのだが、その時間を利用して新聞に目を通すようにしている。

前振りが長くなったが、そこで、今日の愛媛新聞の記事で印象的だった2点。

まず、1面左上の道標というコラム。
今治出身で、現在三菱総研の研究員であるという矢野菜穂子さんによるものである。
それによると、自助努力を棚に上げて他力本願なことを愚痴る輩が昨今多いのではないか、自分の知るエリート上司は、他人に「頑張れ」というのは、その人がギリギリまで頑張っていることを認めていないことに繋がるわけだから失礼であるというモットーを持っていて、流石にひとかどの人物は陰で凄まじい努力をしていることが窺われるというのである。
とても同調出来る考え方である。
昨今、我が酒類業界再編に向けての軋轢たるや凄まじいものがあるが、その摩擦に悲鳴をあげつつも、受け取り方、取り組み方は各人各様である。
ただ、ややもすれば、許認可制度の下、ぬるま湯に浸かってきた「酒屋」には他力本願、他者依存タイプの人種が多いように思われる。
自己がおかれている厳しい現実から目を背け、対峙する勇気がないと言われても仕方のないような仲間も多々いる。

また、横道に逸れた。

自助努力、懸命に生きる、という観点に立てば、私も偉そうに言えた義理ではない。
反省させられるコラムではあった。

そうそう、その冒頭に、ウイスキーのくだりがあるのだが、アイレイモルトのピーティーなそれがお好みらしく、その説明で、「ビートの効いたスモーキーな・・・」とあるのは恐らく「ピート」の間違いであろうと思われる。アイレイモルト好みというのはかなりの通であるから、ご本人のミスではなく、恐らく酒のことをよく知らない編集者が間違えたのであろう。

2点目。
映画監督の岡本喜八さんの訃報、享年81歳とある。

私は東京の大学に進学したのだが、アルバイトばかりをしている学生であった。
理由の顛末はここでは割愛するが、家賃と生活費は自分で稼ぐことにしていたから、生半可なアルバイトではそれが捻出出来ないため、継続的に出来るものに従事するわけだが、その合間に単発のものにもトライしていた。

その中に「エキストラ」というのもあった。
たった1日だけの体験だったが、印象に残っている。
菅原文太さん主演の「ダイナマイトどんどん」という映画の1シーンで野球場の設定があって、その観客の一員をエキストラとしてこなすのだが、なんのことはない観客席に座っていればいいだけの実に呑気で物見遊山なものだった。
その映画の監督が岡本喜八さんで、テンガロンハットに黒ずくめの衣装がなにやら一般人とは一線を画しているように見えたものである。

その岡本さんが81歳で亡くなった。あれから28年たっているから、当時の彼は53歳。
う~ん、私はもうじき49歳。
おいおい、時間がないなあ、そんな感慨に耽りながら記事に目を通したのであった。

余談ながら、その映画は時代背景が昭和初期ということで、衣装は古びたワイシャツを着せられたが、「靴は、下駄にしてください。」といいながら小道具さんが私の履いている下駄を見て「あ、あなたはその方が味がありますのでそのままで。」と、よく見れば、その手にしている下駄の方が新しく立派であった。

当時は中村雅俊さんのテレビドラマ「俺達シリーズ」が人気で、私の仲のいい学友はみんな下駄で闊歩していたものだ。

もう時効だからそっと白状すると、帰りがけにみんながもどした小道具の中から1足取りだして、履き替えて帰った。
多分先方もその方が味のある小道具が増えて有意義なことであっただろう・・・
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大学3年9月北海道(1977) | トップ | 酒天倶楽部 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

徒然」カテゴリの最新記事