ついに列車は尾道駅に着いた。
改札口に近づくにつれ潮の匂いがした。
故郷と同じ瀬戸内の海の香り。
ただ、こちらは本州、それも全国的に知名度の高い尾道。
一度訪れてみたかった、未来の住む街。
ようやくそこに立った。
それだけで俊輔は旅に出た喜びを噛み締める。
改札口の向こうに少し髪が伸びて、ツィードのコートを纏った未来の姿が見える。
1年前は、立場が逆だった。
当時、朝日新聞奨学生として住み込みで新聞配達をしていた俊輔に休みは無いに等しかった。
なので、未来の方が尾道から逢いに出向いた。
それを迎えに俊輔は朝刊を配り終えた後、西武池袋線中村橋から池袋に出て、山手線新宿経由中央線で東京駅へ。
八重洲口で待っていると、人込みの中から未来が浮き立つように現れた。
高校を卒業してから数か月。
待ち焦がれ過ぎたせいか、お互いにぎこちない。
その分、部屋に帰り着いての睦事は強烈だった。
久しぶりに俊輔は、すべすべとした透明な未来の肌の感触を全身で感じる。
お互いの肌を通して、求め合う波動がビンビン伝わり、頭が痺れてくる。
思考能力が低下して、夢の中に浮遊する気分が長く続く。
二人はもう、それだけで他は何も要らない心境になる。
俊輔にとって、後にも先にもあんな超絶感覚は初めてだった。
「いらっしゃい」
「うん、来たよ、久しぶり」
「すぐ近くに、林芙美子が住んどった場所を喫茶店にしたところがあるんだけど」
「うん、そこ、行こう」
それは、駅前ロータリーを挟んだ商店街の入り口にあった。
落ち着いた喫茶スペースの奥に、林芙美子が暮らした旧宅が記念館として開放されている。
「女の子ばっかりやけん、視線を感じるかもしれんけど、覚悟しとってね」
「ほぉ、ええやんか」
駅前から「久山田行」バスに乗って、終点で降りる。
少しずつ山を分け入ってる感じから想像した通り、田舎の学園町の風情は長閑で、心が和む。
予告されてはいたものの、そこには女子の群れが居て、その視線が一斉にこちらに注がれているのが判る。
なるほど、こりゃ凄い。
「ほんまや、凄いな」
「ほうやろ、若い男の人は珍しいんよ」
「未来の部屋がみたい」
「ええけど、ちょっとだけね、基本的に男子禁制の寮やけん」
「もちろん、ええよ」
玄関口はそこここに靴が脱ぎ散らかしてある。
上がって、二つ目の左手のそれが未来の部屋だった。
スヌーピーだらけのいい匂いのする部屋の片隅の本棚には、俊輔の手紙の入ったクッキーの箱があった。
それが二人の歴史でもあるわけだ。
「初めまして、未来の友達の和江です」
「同じく小百合です」
「楠です。お邪魔してます」
「いつも未来からおのろけ聞かされてます」
「そうなんです、だからお会いできるのを楽しみにしてました」
「どうせ碌な事言ってないんでしょ、未来のこと、これからもよろしくお願いします」
「ま、まるで夫婦じゃないですか」
「ほんま、ほんま」
二人の友達は、顔を見合わせて楽しそうに笑い、未来に目配せする。
「じゃ、また後でね、楠さん」
そう言い残して出て行った。
その後、俊輔と未来も寮を後にし、学園のキャンパスに入る。
勿論、女子大の学園祭なんぞ初めての俊輔は、遠慮がちに眺めて歩く。
いくつかある模擬店の中から、定番の焼きそばを食べる。
まず、これならハズレはない。
やはりそれは美味かった。
「今日の目玉は映画なんやけど、観る?」
「ええなあ、何流すん?」
「赤ちょうちん」
「かぐや姫のあれか?」
「そう」
「ええやないの、みよ」
上映室に入ると、既に満席で、二人は立ち見の人達の群れに分け入った。
それは、かぐや姫というフォークグループの「赤ちょうちん」という歌詞をモチーフに作られた映画で、秋吉久美子と高岡健二主演の同棲生活を描いたものだった。
上映の間中、壁にもたれかかった二人は、抱き合うようにして眺めていた。
俊輔の腕に両腕を絡めた未来は顔をうずめる様にしてくっついた。
時折、映画の内容に従って、その腕に力が籠る。
それに呼応するように、「大丈夫、未来は俺が守る」心の中で俊輔はそう呟いた。
立ちっぱなしの疲れはなかった。
考えようによっては、着席するより良かったかも。
うん、良かった。
外へ出ると、初冬の空は真っ暗で、人いきれから解放された分、少し肌寒かった。
夕食は、未来が仲良くしてもらってるというお好み焼き屋さんでだった。
二人の友達は先に来ていて、四人でお好み焼きを囲んで飲んだ。
「未来、映画どうやった」
「うん、凄い良かった」
「それ、楠さんと一緒やったら何でも良かったんやない!?」
「ま、そうとも言える」
「ハイハイ、ごちそうさま」
「楠さん、浮気はしてない!?」
「とんでもない」
「ホント?」
「ほんと、インディアン嘘つかない」
「ふるっ」
「これからもしない?」
「しない、しないんじゃないかな、まちょっと覚悟はしておけ」
「うける~」
「マジなはなし、大丈夫」
「頼むね、未来のこと」
未来は友達に愛されている。
良かった。
『ま、高校時代の未来を知ってるから当然だけど』俊輔は安心した。
そして、この段階ではまだ、問題は自分の方にあることに気づいてなかった。
その夜は、その店の小上がりスペースに泊めてもらえるよう、未来が段取りをつけていた。
前夜、なかなか寝付けなかった分、俊輔にしては珍しく旅先にも拘わらず、ぐっすりと眠る。
屋根の上の冬の夜空には、くっきりとオリオン座が瞬いていた。
続く
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