宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

尾道大橋 1

2021年08月22日 21時19分51秒 | 実験的創作




 昭和51(1976)年11月の早朝、楠俊輔(しゅんすけ)はズタ袋を肩に葵荘を後にした。
頬をなでる風は、冬の訪れを実感させる。
ただ、それはまだ余裕のある寒さで、考えようによっては季節を愉しむレベルだ。
特段どうというイベントのない、季節の変わり目の月。
晩秋から初冬への踊り場。
日の当たる場所はまだ暖かいが、日陰は身の引き締まる寒さ。
そんな中途半端さが好ましいのだ。
だから、俊輔は11月の風に吹かれるのが好きだった。

 アメ横で求めた、流行りの米軍放出ジャンパーの襟元を締め、葵荘の裏木戸を抜け、小路を歩く。
表門もあるが、そのルートの方が駅に近いので、大抵裏木戸を利用する。
小路は50mほど歩けば、やがてやや広い道に出る。
それまでの間は、建ち並ぶ民家の裏手を抜ける様になるので、夏場は窓越しにテレビのナイター中継の音声が漏れ聞こえたりする。
その、下町のような生活感が妙に心に沁みるのだった。

 15分ほどで最寄りの京王線幡ヶ谷駅に着く。
これから二駅先の新宿に出て、中央線で東京駅に向かい、東海道新幹線に乗る。
それは帰省の為ではない。
故郷のある四国の手前、尾道に行くのである。
11月に帰省もあるまい。
それまで、気にはなっていても、縁のなかった街にいよいよ降り立つという期待感。
いやそれよりも、夏休み以来久しぶりに逢える後藤未来(みく)のことを思って心が弾む。




 「私は来明堂の未来は明るいと信じる女の子です」
高校2年の春、10クラスあるうちの2クラスが、国立進学コース、いわゆる選抜クラスとして編成された。
その顔合わせとして、各人が自己紹介をする。

来明堂という本屋の娘。
俊輔は何故か、未来のその言い回しが心に残った。

未来と書いて「みく」と読む。
それは、早逝した彼女の母親が、女の子が生まれたらそうしたいと決めていた名前だと後日聞いた。

ショートヘアで、目がくりっとして、愛くるしい相貌にも心惹かれる。
当時、アイドルとしてデビューしたばかりのあさかまゆみ(現在は朝加真由美)とよく似ていた。
身長は高からず低からず、肉付きは太からず細からず。
そして、これは後に知ることになるのだが、フラットなおなかとくびれ、そしてとても形の良い乳房を持つ。
ハツラツとした、眩いばかりに健康的な女の子、それが未来だった。

要するに一目惚れしてしまったのだ。




 帰省の為、年に2回か3回は東京と四国を往復する。
たまに寝台特急「瀬戸」を利用することもあるが、大抵は新幹線だ。
東京から岡山、それからは宇野線に乗り換えて宇野へ。
宇野からは宇高連絡船に乗り換えて高松へ。
高松から予讃線に乗り故郷新居浜へと、乗り換え3度、都合8時間かかる。
それ以外に葵荘から東京駅までと新居浜駅から自宅への時間もある。
俊輔は、タクシーは贅沢と考える質だし、「迎えに来て」と言うほど甘えてもないので、いつも歩いた。
すると軽く1時間はかかる。
なので、自宅に帰り着くと、暫く東京へは帰りたくないと思う。

それには煙草のせいもある。
本を読むか景色を眺めるか煙草を吸うか、狭い列車の中では、そのくらいしかやることがない。
その上で、自由席が混んでいると、ずっと通路に立ちっぱなしなので、景色を眺める余裕もない。
すると勢い、読書、喫煙、また読書、喫煙の繰り返しとなる。
下手すると、ショートホープが二箱空いたりする。
10本目くらいからは完全に惰性だ。
吸いながら美味くないと思っている。
それでもついまた火をつける。
結果、帰り着く頃には気分が悪い。



 今日も俊輔は自由席を目指す。
学生の分際で指定席なんて贅沢だ、そう考えるからだ。
ただ、自由席が満席の場合は食堂車を覗いてみて、空席があれば、そこで過ごすこともある。
ならば、指定料金の方が安いだろうって?
確かにそうなんだけど、このあたりのユルさが俊輔のいいところでもある。
だって、食堂車の眺めはサイコーなんだから。
すっ飛んでゆく景色を眺めながら飲むビールは格別に旨い。
不思議なのは、長い行程を高速で過ぎてゆくのに、記憶している家が何軒かあって、結構な確率でそれに気づくこと。
それは多分、過ぎ行く家並みにそこの生活を想像しているからなのだろうと、俊輔は自己解釈している。







「今度学園祭があるんだけど、来ない?」
大学2年の夏休みの帰省中、俊輔と未来はほぼ毎日逢っていた。
そう、その後二人はステディになって、俊輔は東京の大学、未来は尾道の短大にそれぞれ進学。
そして、遠距離恋愛という切ない間柄になっていた。

未来は一体、どんなところで暮らしているのか、どんな学校に通っているのか、どんな仲間がいるのか、見てみたいと、素直に思った。
「うん、行く」
相談は直ぐに決まった。


 

 11月というせいもあるだろう、自由席にはゆとりがあった。
一応、大江健三郎なんぞを読んではみるが、その世界に入り込めない。
まあ、大江健三郎についてはいつもそんな感じなんだけど。

あれからたった二か月のことなんだけど、お互いに部屋には電話もないから、手紙のやりとりだけ。
いつも逢いたいと、この腕で抱きしめたいと思っているから、それがもう少しだと思うと心が浮き立つ。

やがて新幹線は岡山駅に着き、いつもなら宇野線に向かうところを、山陽本線の在来線に乗る。
あといくつかの駅を過ぎれば尾道だ。


 事前に時刻表で念を入れて調べた列車名と到着時刻を手紙で知らせてある。
初めて降りる尾道の地、そして、そこで待つ未来。

もう文庫本を開く気持ちも湧かない。
そして、初めて見る、ただ流れゆく景色を眺めるだけなのだった。



続く

















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