宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

尾道大橋 完成版

2021-08-27 12:17:29 | 実験的創作


 3回に分けて投稿した実験的創作文章を加筆訂正して、1本の短編として仕上げました。




【東京から尾道へ】



 昭和51(1976)年11月の早朝、楠俊輔(しゅんすけ)はズタ袋を肩に葵荘を後にした。
頬をなでる風は、冬の訪れを実感させる。
 ただ、それはまだ余裕のある寒さで、考えようによっては季節を愉しむレベルだ。
特段どうというイベントのない、季節の変わり目の月。
 晩秋から初冬への踊り場。
日の当たる場所はまだ暖かいが、日陰は身の引き締まる寒さ。
そんな中途半端さが好ましい。
 だから、俊輔は11月の風に吹かれるのが好きだった。

 アメ横で求めた、流行りの米軍放出ジャンパーの襟元を締め、葵荘の裏木戸を抜け、小路を歩く。
表門もあるが、そのルートの方が駅に近いので、大抵裏木戸を利用する。
 小路を50mほど歩けば、やがてやや広い道に出る。
それまでの間は、建ち並ぶ民家の裏手を抜ける様になるので、夏場は窓越しにテレビのナイター中継の音声が漏れ聞こえたりする。
その、下町のような生活感が妙に心に沁みるのだった。

 15分ほどで最寄りの京王線幡ヶ谷駅に着く。
これから二駅先の新宿に出て、中央線で東京駅に向かい、東海道新幹線に乗る。
 それは帰省の為ではない。
故郷のある四国の手前、尾道に行くのである。
11月に帰省もあるまい。
 それまで、気にはなっていても、縁のなかった街にいよいよ降り立つという期待感。
いやそれよりも、夏休み以来久しぶりに逢える後藤未来(みく)のことを思って心が弾む。




 「私は来明堂の未来は明るいと信じる女の子です」
高校2年の春、10クラスあるうちの2クラスが、国立進学コース、いわゆる選抜クラスとして編成された。
その顔合わせとして、各人が自己紹介をする。

 来明堂という本屋の娘。
俊輔は何故か、未来のその言い回しが心に残った。

 未来と書いて「みく」と読む。
それは、早逝した彼女の母親が、女の子が生まれたらそうしたいと決めていた名前だと後日聞いた。

 ショートヘアで、目がくりっとして、愛くるしい相貌にも心惹かれる。
アイドルとしてデビューしたばかりの『あさかまゆみ』(朝加真由美)とよく似ていた。
身長は高からず低からず、肉付きは太からず細からず。
 そして、これは後に知ることになるのだが、フラットなおなかとくびれ、そしてとても形の良い乳房を持つ。
ハツラツとした、眩いばかりに健康的な女の子、それが未来だった。

 要するに一目惚れしてしまったのだ。



 帰省の為、年に2回か3回は東京と四国を往復する。
たまに寝台特急「瀬戸」を利用することもあるが、大抵は新幹線だ。
 東京から岡山、それからは宇野線に乗り換えて宇野へ。
宇野からは宇高連絡船に乗り換えて高松へ。
高松から予讃線に乗り故郷新居浜へと、乗り換え3度、都合8時間かかる。
 それ以外に葵荘から東京駅までと新居浜駅から自宅への時間もある。
俊輔は、タクシーは贅沢と考える質だし、「迎えに来て」と言うほど甘えてもないので、いつも歩いた。
すると軽く1時間はかかる。
 なので、自宅に帰り着くといつも、暫く東京へは帰りたくないと思うのだった。

 それには煙草のせいもある。
本を読むか景色を眺めるか煙草を吸うか、狭い列車の中では、そのくらいしかやることがない。
その上で、自由席が混んでいると、ずっと通路に立ちっぱなしなので、景色を眺める余裕もない。
すると勢い、読書、喫煙、また読書、喫煙の繰り返しとなる。
 通路に近い、他人様が座る前の灰皿を使って。
みんなそうしていた。
 下手すると、ショートホープが二箱空いたりする。
10本目くらいからは完全に惰性だ。
吸いながら美味くないと思っている。
それでもついまた火をつける。
 結果、帰り着く頃には気分が悪い。



 今日も俊輔は自由席を目指す。
学生の分際で指定席なんて贅沢だ、そう考えるからだ。
 ただ、自由席が満席の場合は食堂車を覗いてみて、空席があれば、そこで過ごすこともある。
ならば、指定料金の方が安いだろうって?
確かにそうなんだけど、このあたりのユルさが俊輔のいいところでもある。
だって、食堂車の眺めはサイコーなんだから。
 すっ飛んでゆく景色を眺めながら飲むビールは格別に旨い。
不思議なのは、長い行程を高速で過ぎてゆくのに、記憶している家が何軒かあって、結構な確率でそれに気づくこと。
それは多分、過ぎ行く家並みにそこの生活を想像しているからなのだろうと、俊輔は自己解釈している。







 「今度学園祭があるんだけど、来ない?」

 大学2年の夏休みの帰省中、俊輔と未来はほぼ毎日逢っていた。
例えば、早朝、国領川にかかる平方橋の下で逢って、『寿限無』の報告会。
これは、落語好きな俊輔の提案で、寿限無の名前を覚えっこしようという遊び。

寿限無(じゅげむ) 寿限無(じゅげむ) 五劫(ごこう)のすりきれ 海砂利(かいじゃり)水魚(すいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ) 雲来末(うんらいまつ) 風来末(ふうらいまつ) 食(く)う寝(ね)るところに 住(す)むところ やぶらこうじの ぶらこうじ パイポ パイポ パイポの シューリンガン シューリンガンの グーリンダイ グーリンダイの ポンポコピーのポンポコナの 長久命(ちょうきゅうめい)の長助(ちょうすけ)

お陰で、俊輔は今でもそれを諳んじることができる。

 そう、その後二人はステディになって、俊輔は東京の大学、未来は尾道の短大にそれぞれ進学。
そして、遠距離恋愛という切ない間柄になっていた。

 未来は一体、どんなところで暮らしているのか、どんな学校に通っているのか、どんな仲間がいるのか、見てみたい、と、素直に思った。

「うん、行く」

 相談は直ぐに決まった。


 

 11月というせいもあるだろう、自由席にはゆとりがあった。
俊輔は一応、大江健三郎なんぞを読んではみるが、その世界に入り込めない。
まあ、大江健三郎についてはいつもそんな感じなんだけど。

 あれからたった二か月のことなんだけど、お互いに部屋には電話もないから、手紙のやりとりだけ。
いつも逢いたいと、この腕で抱きしめたいと思っているから、それがもう少しだと思うと心が浮き立つ。

 やがて新幹線は岡山駅に着き、いつもなら宇野線に向かうところを、山陽本線の在来線に乗る。
あといくつかの駅を過ぎれば尾道だ。


 事前に時刻表で念を入れて調べた列車名と到着時刻を手紙で知らせてある。
初めて降り立つ尾道の地、そして、そこで待つ愛しい未来。

 もう文庫本を開く気持ちも湧かない。
俊輔は、初めて見る、ただ流れゆく景色を眺めるだけなのだった。







【尾道にて】


 ついに列車は尾道駅に着いた。
改札口に近づくにつれ潮の匂いがした。
故郷と同じ瀬戸内の海の香り。
 ただ、こちらは本州、それも全国的に知名度の高い尾道。
一度訪れてみたかった、未来の住む街。
 ようやくそこに立った。
それだけで俊輔は旅に出た喜びを噛み締める。

 改札口の向こうに少し髪が伸びて、ツィードのコートを纏った未来の姿が見える。


 1年前は、立場が逆だった。
当時、朝日新聞奨学生として住み込みで新聞配達をしていた俊輔に休みは無いに等しかった。
なので、未来の方が尾道から逢いに出向いた。
それを迎えに俊輔は朝刊を配り終えた後、西武池袋線中村橋から池袋に出て、山手線新宿経由中央線で東京駅へ。
八重洲口で待っていると、人込みの中から未来が浮き立つように現れた。
 高校を卒業してから数か月。
待ち焦がれ過ぎたせいか、お互いにぎこちない。
 
 その分、部屋に帰り着いての睦事は強烈だった。
久しぶりに俊輔は、すべすべと、まるで透明な未来の肌の感触を全身で受け止める。
お互いの肌の接点を通して、求め合う波動が電流の如く伝わり、頭が痺れてくる。
思考能力が低下して、夢の中に浮遊する気分が長く続く。
 やがて、朦朧とした意識の中で、一つになりたい、一つになれる、そんな錯覚が起きる。
そして、二人は一体化する。
そこにはもう、如何なる邪魔も入り込む余地はなくなる。
そのまま何処かへ飛んで行けばいい、そう思うのだった。

 それは俊輔にとって、後にも先にもない超絶感覚だった。




 「いらっしゃい」
「うん、来たよ、久しぶり」
「すぐ近くに、林芙美子が住んどった場所を喫茶店にしたところがあるんだけど」
「うん、そこ、行こう」

 どこからか田中星児のビューティフル・サンデーが流れてきた。

 それは、駅前ロータリーを挟んだ商店街の入り口にあった。
落ち着いた喫茶スペースの奥に、林芙美子が暮らした旧宅が記念館として開放されている。

「女の子ばっかりやけん、視線を感じるかもしれんけど、覚悟しとってね」
「ほぉ、ええやんか」


 駅前から「久山田行」バスに乗って、終点で降りる。
少しずつ山を分け入ってる感じから想像した通り、田舎の学園町の風情は長閑で、心が和む。

 予告されてはいたものの、そこには女子の群れが居て、その視線が一斉にこちらに注がれているのに、やや怯む。
なるほど、こりゃ凄い。

「ほんまや、凄いな」
「ほうやろ、若い男の人は珍しいんよ」
「未来の部屋がみたい」
「ええけど、ちょっとだけね、基本的に男子禁制の寮やけん」
「もちろん、ええよ」

 玄関口はそこここに靴が脱ぎ散らかしてある。
上がって、二つ目の左手のそれが未来の部屋だった。
 スヌーピーだらけのいい匂いのする部屋の片隅の本棚には、俊輔の手紙の入ったクッキーの箱があった。
それが二人の歴史でもあるわけだ。

 すると、二人の女の子が入ってきた。

「初めまして、未来の友達の和江です」
「同じく小百合です」

「楠です。お邪魔してます」

「いつも未来からおのろけ聞かされてます」
「そうなんです、だからお会いできるのを楽しみにしてました」

「どうせ碌な事言ってないんでしょ、未来のこと、これからもよろしくお願いします」

「ま、まるで夫婦じゃないですか」
「ほんま、ほんま」

 二人の友達は、顔を見合わせて楽しそうに笑い、未来に目配せする。
「じゃ、また後でね、楠さん」
そう言い残して出て行った。


 その後、俊輔と未来も寮を後にし、学園のキャンパスに入る。
勿論、女子大の学園祭なんぞ初めての俊輔は、遠慮がちに眺めて歩く。
 いくつかある模擬店の中で、定番の焼きそばを食べる。
まず、これならハズレはない。
やはりそれは美味かった。

「今日の目玉は映画なんやけど、観る?」
「ええなあ、何流すん?」
「赤ちょうちん」
「かぐや姫のあれか?」
「そう」
「ええやないの、みよ」

 上映室に入ると、既に満席で、二人は立ち見の人達の群れに分け入った。
それは、かぐや姫というフォークグループの「赤ちょうちん」という歌詞をモチーフに作られた映画で、秋吉久美子と高岡健二主演の同棲生活を描いたものだった。

 上映の間中、壁にもたれかかった二人は、抱き合うようにして眺めていた。
俊輔の腕に両腕を絡めた未来は顔をうずめる様にしてくっついた。
時折、映画の内容に従って、その腕に力が籠る。
それに呼応するように、『大丈夫、未来は俺が守る』心の中で俊輔はそう呟いた。
 立ちっぱなしの疲れはなかった。
考えようによっては、着席するより良かったかも。
 うん、良かった。


 外へ出ると、初冬の空は真っ暗で、人いきれから解放された分、少し肌寒かった。
夕食は、未来が仲良くしてもらってるというお好み焼き屋さんでだった。
二人の友達は先に来ていて、四人でお好み焼きを囲んで飲んだ。

「未来、映画どうやった」
「うん、凄い良かった」
「それ、楠さんと一緒やったら何でも良かったんやない!?」
「ま、そうとも言える」
「ハイハイ、ごちそうさま」

「楠さん、浮気はしてない!?」
「とんでもない」
「ホント?」
「ほんと、インディアン嘘つかない」
「ふるっ」
「これからもしない?」
「しない、しないんじゃないかな、まちょっと覚悟はしておけ」
「うける~」
「マジなはなし、大丈夫」
「頼むね、未来のこと」

 未来は友達に愛されている。
良かった。
『ま、高校時代の未来を知ってるから当然だけど』俊輔は安心した。
 そして、この段階ではまだ、問題は自分の方にあることに気づいてなかった。

 その夜は、その店の小上がりスペースに泊めてもらえるよう、未来が段取りをつけていた。

 前夜、なかなか寝付けなかった分、俊輔にしては珍しく旅先にも拘わらず、ぐっすりと眠る。
屋根の上の冬の夜空には、くっきりとオリオン座が瞬いていた。









【新居浜から尾道へ】


 平成28(2016)年11月。
私は60歳になっていた。

東京で大学を卒業後、何年か会社員として働いた後、故郷へ帰り、家業を継いだ。
生涯現役がモットーの自営業者である。
それについてはまあ、必要に迫られてという情けない事情もあるにはあるが。

 或る日、ふと、『尾道に行ってみよう』と思った。
それなら、折角ある、しまなみ海道の自転車道で行けないか?
ネットでシュミレーションしてみると、普通の自転車で往復するには、いくら元気目とは言え、老人の域に入った身ではやや無理がある。
いや、変速機付きのそれなら、可能だが、そんな洒落たものはないし、それでも走りっぱなしになるだろうし、おまけに日帰りは厳しいだろう。
 過日、途中の伯方島までは行ったことがあるので、大まかな想像は働く。
何せ、自動車道と違って、橋の部分だけ自転車道を走り、それ以外は一般道に戻るというルートになるから、その橋の前後の上り下りだけでも大変なのだ。

 ならば、カブだ。
20年ほど乗り続けている年代物がまだ走ってくれる。
そいつで行こう!と決めた。
通販で瞬間パンク修理剤や防風ハンドカバーを取り寄せ、装備品を整える。
そして念の為に2Lペットボトルに予備のガソリンを詰める。

 夜明け前、颯爽と出発。
東予国民休暇村の手前あたりで朝日が昇る。
 一旦カブから降り、朝日に向かって手を合わせる。
若い頃は考えたこともなかったこんな事が自然に出来るようになった。
ま、歳を食ったということだろう。

 今治ICを目指してひた走る。
さて、自転車道の入り口は?
ない、え、ない、なんで?

何と、自転車道は今治北ICからだった。
私には、こういう間の抜けたところがある。
おまけに強度の方向音痴ときたもんだ。

 中学生の頃、単独サイクリングで四国一周した折に、ぬかるんだダートをやっと抜けた国道で、左折すべきところを右折。
小一時間走ったところで、路線バスとすれ違う。
何気なく見たその行先の表示が、自分が向かうべき方向だった。
『ん?待てよ、てことは、これ、反対方向か?』
たまたま早くバスが来てくれたから良かったようなものの、そうでなかったら、一体どこまで走ったろう。
 しかし、大雑把な紙の地図だけが頼りなのだからさもありなん。
にしてもひどいけど。
 そんな奴が単独行って。
ま、これも、それが好きな性格なんだから、致し方ない。


 最近はスマホという文明の利器がある。
早速地図アプリで軌道修正。
それによれば、その先の山を越えて波止浜に出るのが最短のようだ。
 山道に差し掛かったところで路面が濡れているのを確認。
夜中にでも雨が降ったのだろう。
 紅葉の残る、雨に洗われた山道を抜ける。
前も後ろも、誰も走ってない早朝の峠道。
 爽快、快適そのもの。
つい「おおおお~~~~」と雄叫びを上げる。
ツーリングの醍醐味ここにあり、てなもんだ。
 ま、塞翁が馬、ということにしておこう。

 こうしてようやく自転車道の入り口に到達。
後は、路側帯に引かれたブルーのラインを目安に走ればいい。





 久山田での翌日、前夜の友達に見送られて、俊輔と未来は尾道駅にもどる。
千光寺に登ったり、下のアーケード街を流したり。
 そこでは、荒井由実の「あの日にかえりたい」が流れていた。
この日も、薄曇りながら、時々陽の差す行楽日和。

「向島に渡ってみる?」
「いいねえ、あの橋か?」
「そう、渡海船もあるけどね、橋を渡るのもいいんじゃない」
「その通り、折角だから歩いてみたい」

それは、尾道という街の東の端にある。
尾道水道を渡る11月の風に吹かれながら、二人並んで歩く。
 愉しい時間はあっという間に過ぎてゆく。
別れの時刻がどんどん迫ってくるのを、二人は敢えて考えないようにしているようだ。
 向島まで渡り切ったらすぐ踵を返す。
そんなに時間はない。
目的は向島ではなく、尾道大橋の往復。
こいつを渡り切ったら、いよいよ。

「さて、そろそろタイムリミットだ」
「そうだね、仕方ないよね」
「次は東京に来るか?」
「うん、行く」
「よし、じゃあ、クリスマスにおいでよ」
「いいね」

「ところで俊ちゃん、『木綿のハンカチーフ』知っとる?」
「当たり前やん、ヒット曲やもん」
「私、あの歌嫌い」
「ただの歌だよ」

「ならいいいんだけど」
「俺が未来を手放すわけないやろ」

「うん」
「さ、いこ」


 その時だった、閃光が走ったかと思うと、一瞬目の前の光景が白っぽく光った。

 向こうからカブに乗ったオヤジが走ってくる。
そして、そのオヤジ、無遠慮な視線をこちらに据えたままだ。
それに、どうしたことか、驚きの表情で目を見開いている。

「未来、さっきのオヤジ、知り合いか?」
「全然、でもなんとなく俊ちゃんに似てたような」

実は俊輔も一瞬そんな気がした。
振り返って見れば、もう、そのオヤジもカブもいなかった。
影も形もなく消えた。
そんなことってある?

それは、妙に心に残る不思議な光景だった。








 しまなみ海道は、尾道へ渡る新尾道大橋だけは自転車道がついてなかった。
従って、向島からは、それ以前にあった尾道大橋を渡ることになる。
 そこまで各所にあった無人料金ポストを探している時だった。
向こうの検問所のおじさんが「こっちこっち」と声を掛けてくる。
言われる通りにすると、通行票を手渡される。
「料金はいくらですか?」
「無料ですよ」
なんだ、そうか。

 さて、いよいよ尾道だ。
あの尾道大橋を渡る。

 40年前の記憶を辿りながら歩いてみた。
商店街を流して、千光寺に登って、あの喫茶店で珈琲を。
と思ったが、そこはもうなかった。
40年の歳月というのはそういうことだ。

 さて、帰るか。
尾道大橋を、今度は逆に渡る。

『あの時二人で歩いた橋、もう来ることはないかもしれない』

 その時だった、急に意識が遠ざかった。
そこから覚醒した瞬間、妙な違和感があった。


 そして、向こうから近づいてくるカップルを見た時、私は自分の目を疑った。

40年前の未来がそこにいる、自分がいる。
仲睦まじく腕を絡めて歩いている。

『どういうこと!?』


 その直後、また空気が変わった。
スゥーっと煙幕が引いていく感じ。
 我に返って振り返れば、そこにはもう40年前の二人はいなかった。
煙のように消えてしまった。



 幻影を見た。
有り得ないものを見た。

 でも、『もしかすると、あれは日時と場所が同じ瞬間だったのではないか?』という思いが浮かぶ。
『時空がニアミスした?』
そう考えると、全ての辻褄が合う。

 往路の時刻はまだ二人は尾道市街にいた。
そして夕刻になって、その名残惜しさをこの橋に求めた。
 私は私で、帰路、夕刻になってこの橋に差し掛かった。
奇跡的にそのタイミングと思いが一致したのではないか?

 勿論、それは妄想が創り上げた絵空事と言われても致し方ない。
しかし、それは未来がくれた、時空を超えたプレゼントではなかったか?
無理でも荒唐無稽でも、私はそう解釈することにする。



 あれから数年後、二人は別の人生を歩むことになる。
原因は私。
『木綿のハンカチーフ』通りになってしまったのである。

 そして、その後、未来は不慮の事故で突然消えてしまった。
もう、どうあがこうが、「俊ちゃん」と呼んではくれない。


 もし、さっきの現象のように、パラレルワールドという世界があるのだとしたら、どうか、未来には幸せになっていてほしい。
いや、パラレルワールドはある。
だって、私が今生きている世界では、40年前の記憶として、私の中に残っていなくてはならない筈だ。
でも、それは微塵もない。
ということは、ニアミスしたあっちの世界では、未来は幸せになっている。
そう考えても、決しておかしくはない。
その上で、【その隣には自分が】などと、厚かましいことは思っていない。

 私なんか足元にも及ばない誠実な人と、たくさんの子供たちに囲まれた、未来らしい人生であってほしい。



 私は私で、こっちで生きてゆく。
毎日を精一杯。


 でなけりゃ、あの時、未来をあんなに苦しませた甲斐がない。

 瞬間でも、あの時の未来に逢えた。
流れた涙を11月の風が乾かしてくれる頃、私は、いつもの私に戻っていた。




 未来、俺はこっちで生きていく。
失敗をいっぱい重ねながら。

 毎日を精一杯・・・







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