尾道大橋2
平成28(2016)年11月。
私は60歳になっていた。
東京で大学を卒業後、何年か会社員として働いた後、故郷へ帰り、家業を継いだ。
生涯現役がモットーの自営業者である。
それについてはまあ、必要に迫られてという情けない事情もあるにはあるが。
或る日、ふと、「尾道に行ってみよう」と思った。
それなら、折角ある、しまなみ海道の自転車道で行けないか?
ネットでシュミレーションしてみると、普通の自転車で往復するには、いくら元気目とは言え、老人の域に入った身ではやや無理がある。
いや、変速機付きのそれなら、可能だが、そんな洒落たものはないし、それでも走りっぱなしになるだろうし、おまけに日帰りは厳しいだろう。
過日、途中の伯方島までは行ったことがあるので、大まかな想像は働く。
何せ、自動車道と違って、橋の部分だけ自転車道を走り、それ以外は一般道に戻るというルートになるから、その橋の前後の上り下りだけでも大変なのだ。
ならば、カブだ。
20年ほど乗り続けている年代物がまだ走ってくれる。
そいつで行こう!と決めた。
通販で瞬間パンク修理剤、防風ハンドカバーやヘルメットを取り寄せ、装備品を整える。
そして念の為に2Lペットボトルに予備のガソリンを詰める。
夜明け前、颯爽と出発。
東予国民休暇村の手前あたりで朝日が昇る。
一旦カブから降り、朝日に向かって手を合わせる。
若い頃は考えたこともなかったこんな事が自然に出来るようになった。
ま、歳を食ったということだろう。
今治ICを目指してひた走る。
さて、自転車道の入り口は?
ない、え、ない、なんで?
何と、自転車道は今治北ICからだった。
私には、こういう間の抜けたところがある。
おまけに強度の方向音痴ときたもんだ。
中学生の頃、単独サイクリングで四国一周した折に、ぬかるんだダートをやっと抜けた国道で、左折すべきところを右折。
小一時間走ったところで、路線バスとすれ違う。
何気なく見たその行先の表示が、自分が向かうべき方向だった。
『ん?待てよ、てことは、これ、反対方向か?』
たまたま早くバスが来てくれたから良かったようなものの、そうでなかったら、一体どこまで走ったろう。
そんな奴が単独行って。
ま、これも、それが好きな性格なんだから、致し方ない。
最近はスマホという文明の利器がある。
早速地図アプリで軌道修正。
それによれば、その先の山を越えて波止浜に出るのが最短のようだ。
山道に差し掛かったところで路面が濡れているのを確認。
夜中にでも雨が降ったのだろう。
紅葉の残る雨に洗われた山道を抜ける。
快適そのもの。
ツーリングの醍醐味ここにあり、てなもんだ。
ま、塞翁が馬、ということにしておこう。
ようやく自転車道の入り口に到達。
後は、路側帯に引かれたブルーのラインを目安に走ればいい。
久山田での翌日、前夜の友達に見送られて、俊輔と未来は尾道駅にもどる。
千光寺に登ったり、下のアーケード街を流したり。
この日も、薄曇りながら、時々陽の差す行楽日和。
「向島に渡ってみる?」
「いいねえ、あの橋か?」
「そう、渡海船もあるけどね、橋を渡るのもいいんじゃない」
「その通り、折角だから歩いてみたい」
それは、尾道という街の西の端にある。
尾道水道を渡る11月の風に吹かれながら、二人並んで歩く。
愉しい時間はあっという間に過ぎてゆく。
別れの時刻がどんどん迫ってくるのを、二人は敢えて考えないようにしている。
向島に渡ってすぐ踵を返す。
復路に入った訳だ。
こいつを渡り切ったら、いよいよ。
「さて、そろそろタイムリミットだ」
「そうだね、仕方ないよね」
「次は東京に来るか?」
「うん、行く」
「よし、じゃあ、クリスマスにおいでよ」
「いいね」
「俊ちゃん、『木綿のハンカチーフ』知っとる?」
「当たり前やん、ヒット曲やもん」
「私、あの歌嫌い」
「ただの歌だよ」
「ならいいいんだけど」
「俺が未来を手放すわけないやろ」
「うん」
「さ、いこ」
その時だった、閃光が走ったかと思うと、一瞬目の前の光景が白っぽく光った。
向こうからカブに乗ったオヤジが走ってくる。
そして、そのオヤジ、無遠慮な視線をこちらに据えたままだ。
それに、どうしたことか、驚きの表情で目を見開いている。
「未来、さっきのオヤジ、知り合いか?」
「全然、でもなんとなく俊ちゃんに似てたような」
実は俊輔も一瞬そんな気がした。
振り返ってみれば、そのオヤジもカブもいなかった。
影も形もなく消えた。
そんなことってある?
それは、妙に心に残る不思議な光景だった。
しまなみ海道は、尾道へ渡る新尾道大橋だけは自転車道がついてなかった。
従って、向島からは、それ以前にあった尾道大橋を渡ることになる。
その通行料が無料だということを知らず、これまで通り、その辺りにあるポストに料金を落とし込むのだろうと、料金表を探していた時だった。
向こうの検問所のおじさんが「こっちこっち」と声を掛けてくる。
言われる通りにすると、通行票を手渡される。
「料金は?」
「無料ですよ」と。
なんだ、そうか。
さて、いよいよ尾道だ。
尾道大橋を渡る。
40年前の記憶を辿りながら歩いてみた。
商店街を流して、千光寺に登って、あの喫茶店で珈琲を。
と思ったが、そこはもうなかった。
40年の歳月というのはそういうことだ。
さて、帰るか。
尾道大橋を、今度は逆に渡る。
『あの時二人で歩いた橋だ、40年ぶりか』
その時だった、急に意識が遠ざかった。
そこから覚醒した瞬間、妙な違和感があった。
そして、向こうから近づいてくる二人ずれを見た時、私は自分の目を疑った。
40年前の未来がそこにいる、自分がいる。
仲睦まじく腕を絡めて歩いている。
『どういうこと!?』
その直後、また空気が変わった。
振り返っても、もうそこに40年前の二人はいなかった。
煙のように消えてしまった。
幻影を見た。
有り得ないものを見た。
でも、『もしかすると、日時と場所が同じ瞬間だったのではないか?』という思いに捕らわれる。
『時空がニアミスした?』
そう考えると、全ての辻褄が合う。
往路の時刻はまだ二人は尾道市街にいた。
そして夕刻になって、その名残惜しさをこの橋に求めた。
私は私で、帰路、夕刻になってこの橋に差し掛かった。
奇跡的にそのタイミングと思いが一致したのではないか?
勿論、それは妄想が創り上げた絵空事と言われても致し方ない。
しかし、それは未来がくれた、時空を超えたプレゼントではなかったか?
無理でも荒唐無稽でも、私はそう解釈することにする。
あれから数年後、二人は別の人生を歩むことになる。
原因は私。
「木綿のハンカチーフ」通りになってしまったのである。
そして、その後、未来は不慮の事故で突然消えてしまった。
もう、どうあがこうが、「俊ちゃん」とは呼んでくれない。
もし、さっきの現象のように、パラレルワールドという世界があるのだとしたら、どうか、未来には幸せになっていてほしい。
【その隣には自分が】などと、厚かましいことは思っていない。
私なんか足元にも及ばない誠実な人と、たくさんの子供たちに囲まれた、未来らしい人生であってほしい。
私は私で、こっちで生きてゆく。
毎日を精一杯。
でなけりゃ、あの時、未来をあんなに苦しませた甲斐がない。
瞬間でも、あの時の未来に逢えた。
流れた涙を11月の風が乾かしてくれる頃、私は、いつもの私に戻っていた。
未来、俺はこっちで生きていく。
失敗をいっぱい重ねながら。
毎日を精一杯・・・
完
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