鈴木常吉 - 思ひで
「深夜食堂」というドラマのオープニング。
懐かしい新宿の風景が流れる。
その雰囲気は、私が暮らしていた30年余り前とさして変わらない。
そこに流れるアコースティックなギターの調べと、一人語りのような歌。
もうこれだけで「掴みはオッケー」という感じである。
このオープニングは第5話の「バターライス」という内容のもの。
個性派俳優である岩松了がいい。
そこに、かの「あがた森魚」が絡む。
赤色エレジー あがた森魚
随分と雰囲気が変わってしまって、街ですれ違っても全く気づかないだろう。
それはそれとして、この回のタイトルである「バターライス」だ。
今は普通にそう呼ぶと、バターを溶かし込んで炒めたライスのことを指す。
あの鉄板焼きにバリエーションとして供されるあれだ。
しかしここでのそれは、単純にあったかご飯にバターを溶かして、醤油をちょっぽし垂らしたもの。
これならうちじゃあ40年余り前から普通にやってた。
当時から「らくれん牛乳」の販売店であったうちでは、たいていいつも冷蔵庫には「らくれんバター」が入っていた。
私が小学校の中学年くらいの頃だったろうか。
どこかでその話を聞いてきた父が実際にやってみたのが始まりで、うちでは結構頻繁にそれが食卓に乗った。
うちでは「たまごかけご飯」のことを、ご飯を省略して「たまごかけ」と呼んでいたので、それは普通に「バターかけ」というネーミングになった。
まだ牛肉のステーキは「ビフテキ」といって、普段はそうそう出てこなかった。
満を持してそれを作る時、「今晩はビフテキぞ」と、わざわざ母親が子供たちに予告をして盛り上げ、我々子供たちは「うわ~ビフテキビフテキ」と快哉したものだった。
そしてそのときだけ、どこかの引き出物でもらったナイフとフォークで食べるのだった。
それは今思うに、薄っぺらでチープな造りのものだったが、普段そんなものを使うようなメニューは皆無だったから、ちょっと余所行きの気分だったものだ。
鯨の肉が安価で、鶏肉よりも安かった頃。
我が家では「げいにく」と呼んで、そのソテーがよく食卓に乗ったものだった。
特に下味をつけるでもなく、塩コショーだけでそのまま焼くから、結構歯ごたえのあるものだったように記憶している。
肉屋がどの集落にも一軒ずつあって、スーパーなんぞというものがなかった時代。
八百屋、電気屋、靴屋、時計屋、そして酒屋・・・
まだ自動車は庶民のものではなく、だからこそ、せいぜいが自転車で行ける近所周りに生活に必要な業種店が必ず1店ずつは存在した時代。
贅沢なことはなるべく辛抱してつましく暮らし、かといって悲壮感のない、どころか、どんどんと右肩上がりになっていくのが実感できたあの時代。
「バターかけ」はあの頃の思い出のメニューなのである・・・
「深夜食堂」というドラマのオープニング。
懐かしい新宿の風景が流れる。
その雰囲気は、私が暮らしていた30年余り前とさして変わらない。
そこに流れるアコースティックなギターの調べと、一人語りのような歌。
もうこれだけで「掴みはオッケー」という感じである。
このオープニングは第5話の「バターライス」という内容のもの。
個性派俳優である岩松了がいい。
そこに、かの「あがた森魚」が絡む。
赤色エレジー あがた森魚
随分と雰囲気が変わってしまって、街ですれ違っても全く気づかないだろう。
それはそれとして、この回のタイトルである「バターライス」だ。
今は普通にそう呼ぶと、バターを溶かし込んで炒めたライスのことを指す。
あの鉄板焼きにバリエーションとして供されるあれだ。
しかしここでのそれは、単純にあったかご飯にバターを溶かして、醤油をちょっぽし垂らしたもの。
これならうちじゃあ40年余り前から普通にやってた。
当時から「らくれん牛乳」の販売店であったうちでは、たいていいつも冷蔵庫には「らくれんバター」が入っていた。
私が小学校の中学年くらいの頃だったろうか。
どこかでその話を聞いてきた父が実際にやってみたのが始まりで、うちでは結構頻繁にそれが食卓に乗った。
うちでは「たまごかけご飯」のことを、ご飯を省略して「たまごかけ」と呼んでいたので、それは普通に「バターかけ」というネーミングになった。
まだ牛肉のステーキは「ビフテキ」といって、普段はそうそう出てこなかった。
満を持してそれを作る時、「今晩はビフテキぞ」と、わざわざ母親が子供たちに予告をして盛り上げ、我々子供たちは「うわ~ビフテキビフテキ」と快哉したものだった。
そしてそのときだけ、どこかの引き出物でもらったナイフとフォークで食べるのだった。
それは今思うに、薄っぺらでチープな造りのものだったが、普段そんなものを使うようなメニューは皆無だったから、ちょっと余所行きの気分だったものだ。
鯨の肉が安価で、鶏肉よりも安かった頃。
我が家では「げいにく」と呼んで、そのソテーがよく食卓に乗ったものだった。
特に下味をつけるでもなく、塩コショーだけでそのまま焼くから、結構歯ごたえのあるものだったように記憶している。
肉屋がどの集落にも一軒ずつあって、スーパーなんぞというものがなかった時代。
八百屋、電気屋、靴屋、時計屋、そして酒屋・・・
まだ自動車は庶民のものではなく、だからこそ、せいぜいが自転車で行ける近所周りに生活に必要な業種店が必ず1店ずつは存在した時代。
贅沢なことはなるべく辛抱してつましく暮らし、かといって悲壮感のない、どころか、どんどんと右肩上がりになっていくのが実感できたあの時代。
「バターかけ」はあの頃の思い出のメニューなのである・・・
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