宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

新聞配達員時代その3

2022年05月16日 20時27分49秒 | 昔のこと




 入所してから一週間くらいだったか、前任の配達員に付いて配達コースを引き継ぐ。
前任者は通いのアルバイト。
それは、いくつか年上の線の細い穏やかな青年だった。
それぞれの区域には、配達ルート帳(正確な呼び名は覚えてない)という、大福帳みたいなものがあって、配達場所順に名前や投函場所などが書いてある。
勿論、名前だけで場所が判る筈がない。
なので、割と細かい特徴が記されている。
例えば、Aさん宅の次のBさん宅への行き方として、『次の交差点左折左手3件目ブロック塀』といった具合。
なので、ベテラン配達員になれば、それがあれば、ある程度は初めてのコースでも回れる。
というか、そうでなければ、仕事に穴が開く。
人間が配達するのだから、何があってもおかしくない、となれば、急遽代配出来なければならない。
そこを言い訳には出来ないのが新聞配達員の仕事なのである。
従って、高が新聞配達とはいえ、常にそうした責任感は持っていた。
ベテラン配達員って誰?
所長でんがな。
彼はやはりプロだった。
どんな状況でも彼は見事にカバーしてのけた。
例えば元旦の配達。
これは、普段の倍以上の厚みになるので、一度にチャリンコに積み込めない。
なので、中継地を定めて、そこに置いてある残りの部数を積み込むという仕組み。
その全ての差配と、配置は所長の仕事だった。


 そうした引き継ぎ期間の初日だったか、私は、先輩たちの手荒い洗礼を受ける。
夕食後、「河端の歓迎会やるぞ!」と、食堂で宴会が始まる。
宴会たって、つまみは乾きものと、酒はトリスだ。
そいつをコップにそのまま注いで飲む。
直ぐにそれは空いて、「お~い、加藤、もう2、3本買って来い」「は~い」てな具合。
高校を卒業してそれほど経ってない私には、初めての酒だとは言わないが、それでも、トリスのストレートは小学生のころの盗み飲み以来。
でも、これが存外飲めた。
すると、生来のお調子者気質が頭をもたげる。
「先輩、こんなん、軽いかるい」
「おお、頼もしいなあ、いけいけ!」
「おおよ」
と、コップになみなみと注がれたトリスを立て続けに2杯。


 そこから先は覚えてない。
どうやら先輩に担がれて階段を上がり、気づいたら配達時刻。
前任者が「行くよ」と起こしにきて、「あ、こりゃ無理か」と。
なんと、ベッドの下には無残な吐瀉物が。
全く起き上がれない。
てか、肩で息をする始末。
結局私はその日の配達をサボってしまった。
おまけに二日酔いならぬ三日酔い。
夕刊はなんとかこなしたが、後はずっと寝ていなければならなかった。
夕方、同い年の予備校生(名前は覚えてない)が「何か買ってきてやろうか?」と。
「じゃあ、みかんの缶詰たのむ」
なんだかサッパリしたものが食いたかった。
食ってる間は良かった。
しかし、直後トイレでそれを全部戻す。
これが生涯最高の二日酔い。
しかし、あれから50年近く経つが、基本的には変わってない。
今でも時々ひどい二日酔いをする。
これこそ、ここらで言う『焼かな治らん性格』という奴。
でも、『そんな奴がオレは好きさ』なんてね。


 このトラウマは存外長引いた。
多分数か月。
隣町に越してきた高校の同級生に誘われて、新宿【グルッペ】だったかな、当時流行った円形のカウンターがいくつもあるパブに出掛けた時の事、水割りどころか、コークハイでも気持ち悪くなって飲めなかった。


 酒の思い出ついでにもう一つ。
やがてその後遺症も取れた頃のハナシ。
初めてバーボンなるものを飲んだ。
当時の日本では、まだ馴染みの薄いウイスキーだ。
その名も【アーリータイムズ】。
丸い瓶で、幌馬車っぽいデザインのレッテルではなかったか?



あった、これだ。




幌馬車ではなかったね。
事ほど左様に記憶は曖昧。




 誰かの運転するバイクの後ろに座って、「あれは臭くて飲めた代物じゃねえよ」などと嘯いた。
いっちょまえに東京弁で。
曖昧で朧げな記憶・・・




続く















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