宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

新聞配達員時代その5 豊島園

2022-05-21 20:49:50 | 昔のこと



 昭和50年(1975年)3月末に進学の為上京した私は、中村橋という西武池袋線沿線の町にある朝日新聞販売店に住み込み店員として従事することになる。

そこで、拓殖大学4年生2人、武蔵大学3年生1人、東京音楽大学2年生1人、そして新たに明治大学1年生1人、予備校生1人、出身は北海道、秋田、愛媛、鹿児島といった学校も出身地もバラバラの住み込み店員達6人が、文字通り同じ釜の飯を食うつきあいとなる。

 当時(多分今もだろうが)は、拡材というものがあった。
拡材とは、主に定期的に入る新規開拓要員が使う顧客拡張材料の短縮呼称で、洗剤が主であったが、地域性を活かしたものとして、豊島園の優待券があった。
豊島園と言えば、昨年、ついに閉園した古い遊園地。
それだけに、周辺住民には馴染みの深い場所。
その豊島園の入場料金が無料になる券である。
勿論、乗り物に乗るには都度別料金が必要だったが、イベントやプールはそれでいけた。
これをダシに新規購読を促したり、不手際が生じた際の「お詫びのしるし」とするのである。
そしてそれが結構自由に使えたように記憶している。



 一度だけ真夏に、6人揃ってその拡材を利用して豊島園に出掛けたことがあった。
そこは、販売店からそう離れていない。
ゆっくりペダルを漕いでも10分程度ではなかったか。
総勢6人が荷台も前かごもでっかい、あの新聞配達用自転車に乗って行進する訳だから、ちょっと微笑ましかったんじゃないかな。

夏の豊島園と言えば、プールが売り。
そこへ、6人で遊びに行こうとなった訳だ。

楕円形で、流れるプールがメインの遊び場なんだけど、それには浮き輪があると愉しい。
そこで、貸し浮き輪の登場。

それはタイヤのでっかいチューブを膨らませたもので、大人が優に仰向けに乗っかれるから、青空を眺めながらプールの流れに漂うことが出来、これがかなり和む。
なので、確か2個だけ借りて、交互に回しながら遊んだ。

忘れもしない、秋田出身の拓大4年の先輩川上さんは、なんとも懐かしい海パン姿だった。
なんと言えばいいのか、スクール水着というのか、小学生が穿くような感じのそれは、ダブっとしていて、いかにも格好なんて全然気にしない先輩の特徴が良く出ている。

浮き輪の順番が川上さんに回ってきたときのこと、渡された浮き輪をプールに浮かべた川上さん、そいつを後ろに構えて、後ろ向きにジャンプして真ん中に収まろうとするのだが、こいつがなかなか上手くいかない。
何度も水中に落っこちてその度河童みたく上がってくる。
その段階で既に微笑ましかったんだけど。

何度目かのトライでようやく、川上さん、見事に浮き輪の真ん中にダイブ成功!

「やった!」と思ったその瞬間、「あっ!」という声がして、川上さん、なんだかケツの辺りを探っている。

「やぶけた」と言う川上さんの海パンは、ケツの部分が見事にⅬ字型に裂けて、割れ目が見えている。
そう、タイヤチューブの再利用なので、バルブがやや内側向きにあるんだけど、あろうことか、そいつに海パンが引っ掛かったのである。

でまた、くだんの川上さんの海パンは、引っ掛かり易く裂け易いときたもんだ。
彼は、秋田の貧農出身とのことで、兎に角倹約な人だった。

しかし、申し訳ないけど、これには全員が腹を抱えて笑った。
それでも川上さん、その後もずっとバスタオルを腰に巻いてプールで遊んでたんだから、大した人だった。



 また別の日には、夕刊を配り終えた後、夕食も済ませてから、日曜の夕方に時々ある野外コンサートを目当てに出掛けることもあった。
それは、そこそこの歌手が手の届く距離で歌ってくれるし、ロハだし、貧乏学生にとってはまあ結構なレクレーションではあった。

やはりみんなで行ったのは二度、今陽子(ピンキー)とアン・ルイスのそれぞれのコンサートだった。
今陽子の歌唱力は凄かった。
アン・ルイスはそこそこだが、その分可愛かった。
そのアン・ルイスの声を録ったカセットテープが多分今でもどこかにあるだろう。
というのは、仲間が帰るのを尻目に、私は見当をつけて「出待ち」をしたのである。
案の定彼女はそこから出てきた。
「何か声を録音させてください」と頼むと、
彼女は気軽に、
「ハ~イ アンちゃんで~す!」と応えてくれた。

いや、たったそれだけのことです。ハイ。



 個人的には、ガールフレンドと一緒に行った時にジェットコースターに乗ったのだが、それは中学校の修学旅行で行ったエキスポランドの『ダイダラザウルス』以来で、平気を装ってはいたが、少しく緊張していた。
 
 それが証拠に、コッパンのポケットに入れてあった小銭が見事に無くなっていたのだ、我ながら実に情けない。




 もう(2022-1975)47年前のこと。
よく頑張ったと思います、豊島園・・・



続く








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