@
4人の先輩方の中で一番お世話になったのは、首藤さん、という秋田出身の拓大4年生。
ちょっと野口五郎に似たハンサムボーイ。
噂によれば、隣の富士見台高校の女子高生にラブレターをもらったらしい。
高が新聞配達員がそうなることは珍しいんじゃないかな?
それは、もしかすると、自分たちを卑下し過ぎ?
だって、上下ジャージの配達着はインクで真っ黒。
どう見たって見すぼらしい。
でも、首藤さんにはどうやらファンがいたらしい。
ま、かくいうワタクシメも、ガールフレンドと出掛ける時に、やはり富士見台高校の女学生数人グループに「新聞やさ~ん」と声を掛けられたことはあったが。
え?単純にからかわれただけ?
ま、それもありなん。
その年の夏、我が郷土の新居浜商業が甲子園で、初出場準優勝という偉業を成し遂げた。
私は、新商が甲子園出場と決まった時に、仲間に「オレの卒業した高校の隣の高校なんです」と自慢していた。
すると、新商はあれよあれよと言う間に勝ち進んでいった。
当然、仲間はみんな応援してくれる。
そしていよいよ決勝戦。
食堂にあるテレビで、みんなで観戦。
「おい、もしかして優勝するんじゃないか」
そう皆が思い始めた時、最終回裏だったか?ツーアウトでランナーを3塁に置いて、習志野のバッターが打った球がライト前にポトリ。
絵にかいたようなサヨナラ負け。
その夜だった。
首藤さんが、「河端、惜しかったな、残念会しようや」と、飲みに誘いだしてくれた。
また、こんなことも。
「生きる、という映画知ってるか?」
「いえ」
「モノクロの古い映画だけど、今ブクロの名画座でやってる。行くか?」
「ハイ」
それは、
1952年 に公開された 日本映画 である。
監督は 黒澤明 、主演は 志村喬 。
モノクロ 、 スタンダード 、143分。
東宝創立20周年記念映画。
無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、 胃癌 で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を市民公園の整備に注ぐ姿が描かれている。
といった文芸作品。
志村喬演じる主人公が雪の舞う夜の公園のブランコに座って『ゴンドラの唄』を歌うシーンが目に焼き付いている。
あれから何度かテレビで観たが、其の度、首藤さんと行った池袋の名画座の光景を思い出す。
一番記憶に残っているのは、首藤さんの部屋で、同じ拓大4年生の川上さんと飲んでた時の事。
事の経緯の詳細はよく覚えてないが、多分私が生意気な事を云ったんだと思う。
すると、普段温厚な首藤さんが珍しく怒った。
「おまえのような裕福な育ちの人間にはわかるもんか。俺達はこうして毎日毎日4年間通して新聞を配らなきゃ大学には行けなかったんだ」
そう、少しの違いで、先輩方は4年間継続しなければ、学費が免除になることはなかった。
それに比べて私の年代は、それが3年で免除される仕組みに変わっていたのだ。
其の上で私はたったの1年でケツを割る。
4年継続することの凄さは、私なりに理解している。
だから、首藤さんの怒りは尤もだと思った。
そんな訳で、4年生の首藤さんと1年生の私は、翌春、同時期に朝日新聞中村橋販売店を辞することになる。
その後、一度だけ、首藤さんの引っ越した先のアパートにお邪魔したことがあった。
それについては何故か、バスの中の光景と『ウイスキーの小瓶』が脳裏に浮かぶ。
それは、首藤さんの部屋を後にした時のことだったのか。
また何故、まだウォークマンすらもない時代に、バスと『ウイスキーの小瓶』なのか。
それはもはや霧の中だ。
みなみらんぼう ウィスキーの小瓶
あれから(2022-1976)46年。
その後、首藤さんと会うことは無いまま・・・
続く
@
4人の先輩方の中で一番お世話になったのは、首藤さん、という秋田出身の拓大4年生。
ちょっと野口五郎に似たハンサムボーイ。
噂によれば、隣の富士見台高校の女子高生にラブレターをもらったらしい。
高が新聞配達員がそうなることは珍しいんじゃないかな?
それは、もしかすると、自分たちを卑下し過ぎ?
だって、上下ジャージの配達着はインクで真っ黒。
どう見たって見すぼらしい。
でも、首藤さんにはどうやらファンがいたらしい。
ま、かくいうワタクシメも、ガールフレンドと出掛ける時に、やはり富士見台高校の女学生数人グループに「新聞やさ~ん」と声を掛けられたことはあったが。
え?単純にからかわれただけ?
ま、それもありなん。
その年の夏、我が郷土の新居浜商業が甲子園で、初出場準優勝という偉業を成し遂げた。
私は、新商が甲子園出場と決まった時に、仲間に「オレの卒業した高校の隣の高校なんです」と自慢していた。
すると、新商はあれよあれよと言う間に勝ち進んでいった。
当然、仲間はみんな応援してくれる。
そしていよいよ決勝戦。
食堂にあるテレビで、みんなで観戦。
「おい、もしかして優勝するんじゃないか」
そう皆が思い始めた時、最終回裏だったか?ツーアウトでランナーを3塁に置いて、習志野のバッターが打った球がライト前にポトリ。
絵にかいたようなサヨナラ負け。
その夜だった。
首藤さんが、「河端、惜しかったな、残念会しようや」と、飲みに誘いだしてくれた。
また、こんなことも。
「生きる、という映画知ってるか?」
「いえ」
「モノクロの古い映画だけど、今ブクロの名画座でやってる。行くか?」
「ハイ」
それは、
1952年 に公開された 日本映画 である。
監督は 黒澤明 、主演は 志村喬 。
モノクロ 、 スタンダード 、143分。
東宝創立20周年記念映画。
無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、 胃癌 で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を市民公園の整備に注ぐ姿が描かれている。
といった文芸作品。
志村喬演じる主人公が雪の舞う夜の公園のブランコに座って『ゴンドラの唄』を歌うシーンが目に焼き付いている。
あれから何度かテレビで観たが、其の度、首藤さんと行った池袋の名画座の光景を思い出す。
一番記憶に残っているのは、首藤さんの部屋で、同じ拓大4年生の川上さんと飲んでた時の事。
事の経緯の詳細はよく覚えてないが、多分私が生意気な事を云ったんだと思う。
すると、普段温厚な首藤さんが珍しく怒った。
「おまえのような裕福な育ちの人間にはわかるもんか。俺達はこうして毎日毎日4年間通して新聞を配らなきゃ大学には行けなかったんだ」
そう、少しの違いで、先輩方は4年間継続しなければ、学費が免除になることはなかった。
それに比べて私の年代は、それが3年で免除される仕組みに変わっていたのだ。
其の上で私はたったの1年でケツを割る。
4年継続することの凄さは、私なりに理解している。
だから、首藤さんの怒りは尤もだと思った。
そんな訳で、4年生の首藤さんと1年生の私は、翌春、同時期に朝日新聞中村橋販売店を辞することになる。
その後、一度だけ、首藤さんの引っ越した先のアパートにお邪魔したことがあった。
それについては何故か、バスの中の光景と『ウイスキーの小瓶』が脳裏に浮かぶ。
それは、首藤さんの部屋を後にした時のことだったのか。
また何故、まだウォークマンすらもない時代に、バスと『ウイスキーの小瓶』なのか。
それはもはや霧の中だ。
みなみらんぼう ウィスキーの小瓶
あれから(2022-1976)46年。
その後、首藤さんと会うことは無いまま・・・
続く
@
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます