宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

チラシ配り その2

2006-08-23 17:40:03 | 宝島のこと
チラシ配りにおける四つ目の効用を「行楽、気晴らし」と書いたが、その中でも大きな位置を占めるのが「郷愁」という感情なのかも知れない。

私の店は、「酒の宝島」として店頭ディスカウント販売という業態にする前は、宅配がメインの普通の酒屋だった。
だから、チラシ配りでぐるっと回っていると、その頃お得意さんだったお宅にそこここで行き当たる。

それは、直近でも10年ほど前の記憶だから、それ以前の記憶も含めると、かなり昔の話になるが、またそれ故になかなかに多い。

その中でも、変化の激しいお宅を見るにつけ、なんとも言いようのない寂寥感を覚える。
例えば、老夫婦のお宅。
飲み手のご主人が亡くなって、配達に伺うこともなくなったが、残った奥さんがそれから後も数年間は健在だった。それがあるときから空き家になり、やがて別の住人のものになって、手入れの行き届いた庭は壊され、駐車スペースとなる。
奥さんのお葬式はなかった筈だから、施設にでも入ったのか、どこか縁戚に身を寄せたのか。(お子さんはいなかったと聞いている。)

同じ状況で、お子さんが別居の場合もある。
そこは、完全に別の建物が建ってしまって、以前の名残はない。
立派な二階建てのお宅になっている。
名前が違うから、処分して人手に渡ったのだろう。
そういえば、おばあちゃんがよくこうこぼしていた。
「お隣が建て増しして二階建てになったけん風が通らんでねえ。夏は暑うてたまらんのよ。私らがここに家建てたときは、よいよよかったんじゃけんどねえ。もう一回家を建て直す力はないしねえ。出来たら引っ越したいんやけど。」

おばあちゃん、今の家だったら良かったのにね。
お隣より高いけん、二階なら風通るよ。


かと思えば、独身の中年男性が住んでいた家。
彼が建て売りで購入したもの。
一時、同年輩らしき女性が出入りしていたから、いよいよ結婚するのかと、勝手に想像してたら、またなんとなく独り暮らしに戻ったようで、それからほどなく彼が自殺したと聞いた。
全然そんな風には見えなかったからとても驚いたものである。
それから長くその家は空き家だったのだが、最近では別の住人が住んでいる。

大なり小なりそれぞれの思い出があるお宅の前を通る度にそんなことが脳裏を掠める。
諸行無常の響きあり・・・である。


また、同級生のお宅も色々あるが、当時から変わらないものが多い。
ただ、そこには当の同級生はほとんど居ない。
新居浜以外に居住している者がほとんどで、同じ市内に居る者でも大抵は別居している。

その中の一軒がこのお宅。
写真に写っているのは、倉庫と離れである。
小学校からの同級生M治の家。
本人は今は大阪在住である。
彼が高校にあがったときに離れを作ってもらった。
(緑の屋根の家がそう。)
出入り口は反対側にあって、南北に風が通るから、部屋にはすぐそばの海から心地よい風が吹いた。




私の家からすぐ近くなので、なにかとお邪魔した。
夏休みのある日、いつものごとく何の用事もないが、覗いてみると、ベッドに寝っ転がって何か本を読んでいる。
何という本なのか尋ねると、「ジェーン・エア」だと曰う。

私はまだ日本の純文学の域を出てないのにこやつはもう英国のそれに手を伸ばしている。
大いに刺激されたものである。
後年、高校のときの同級生の複数から、「お前に刺激されてから本を読むようになった。」と告白されたことがあるが、こういう熱は連鎖するのだろう。

その離れには今誰が居るのだろう。
今覗いたら、あの頃のM治が「ジェーン・エア」を読んでいたりして。




たまにはipodに格納した昭和30年代から40年代にかけての歌謡曲を聴きながら歩くこともある。
懐かしい場所と歌が合致すると、一瞬でタイムトリップ・・・

このように、私にとってのチラシ配りはいい「気晴らし」にもなるのである。


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