けふで68歳になった。
当たり前だけど、あと丸2年生きると70歳になる。
70て、完全におじいやんか。
自分がそんな年齢にあるなんて、信じられない。
さて、誕生日の過ごし方で一番思い出すのが20の日。
私は、明治大学法学部の2年生となって、幡ヶ谷のみどり荘というアパートで暮らしていた。
二十歳になった記念すべき日をどう過ごそうか?
そう思いを巡らせた。
果たして、当時遠距離恋愛関係にあった恋人とのやりとりはあったろうか?
今の様に携帯電話は存在せず、LINEも電子メールもまだ仕組みとして出来上がってなかった。
それどころか、部屋には固定電話すら引けてない貧乏学生。
多分、その日は誰ともやりとりしなかったのではなかったか。
寂しかったか?
と、二十歳になったばかりの自分に問うてみる。
それは全くなかった。
だって、根拠のない自信に溢れていた年頃、さういう意味では、現在の方が孤独だ。
それで、その日をどう過ごすことにしたか?だが、軽い思い付きで、その丸一日を寝ずに過ごしてみようと決めた。
案の定、その目論見は脆くも崩れ、日付の変わる24時迄待てず、睡魔の波に飲み込まれたのだった。
ま、24時間眠らないことにどういう価値があるのか、と問われれば、ちょっと変わった経験の一例という程度のものだったのだから、思い入れ自体が大したことなかったのである。
ただ、その日の雰囲気やアパートや部屋の様子は覚えている。
そういう意味では、全く意味がなかったとも思えない。
あと何年この世で遊べるだろう?
変に構えず、毎日を愉しみながら、お迎えが来るのを待ちたいと考えている。
なので、私が病に臥せっても、延命の措置は要らない。
てか、持病と言えば、高血圧と痛風程度なので、そこまで差し迫ってもいない、今のところ。
これまで、失敗と後悔だらけの人生だったけど、
ま、しゃあない、
それこそ自業自得やよね、カミサマ。
あれから48年、今朝、あの頃の恋人からハッピーバースデイのLINEメッセージが届いた。
なに、結構シアワセじゃん、オレ・・・
1976年(昭和51年)ヒット曲でプレイバック
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