その頃には、学校にもなれて弟3人を連れて毎日楽しく通学していました。
しかし、食べるものは田舎にいてもありません。
都会の人は、着物などを米と交換して飢えをしのいでいたようですが、白爺の家にはテニアンから持ち帰ったものなどありませんから、交換も出来ずません。
やむを得ず、亡くなっていた祖母(本妻で尼さんでした)の兄妹弟子が、同じ村で観音様が有名な禅寺の住職をしていたので、ここで援助をしてもらいながら、細々と食事が出来ていました。
今の北朝鮮(行った事はないけれどねー。想像です)みたい。
弟二人に弁当を持たすと、白爺の弁当箱は空箱です。
学校で、昼食のときは、そっと校庭に出て空の弁当箱をつついていました。
ある日、担任の先生から「小使い室(差別用語ゴメン)に来るように」と白爺は呼ばれました。
空の弁当箱を片付けて、ドキドキしながら小使い室に行きました。
すると、先生は「一緒に食べよう」と言って、自分の弁当を半分白爺に分けてくれました。
嬉しかったですねー。
翌日から白爺は、毎日小使い室で昼食を食べるようになりました。
今でも、このことを思い出すと、涙そうそう です。ポロリ・ポロリ。
(テニアン町を掃討するアメリカ海兵隊)
後方の山はカロリナス?
(町中を徘徊する農家の牛)
スズラン通りでしょう。後方はカロリナス台地?
しかし、食べるものは田舎にいてもありません。
都会の人は、着物などを米と交換して飢えをしのいでいたようですが、白爺の家にはテニアンから持ち帰ったものなどありませんから、交換も出来ずません。
やむを得ず、亡くなっていた祖母(本妻で尼さんでした)の兄妹弟子が、同じ村で観音様が有名な禅寺の住職をしていたので、ここで援助をしてもらいながら、細々と食事が出来ていました。
今の北朝鮮(行った事はないけれどねー。想像です)みたい。
弟二人に弁当を持たすと、白爺の弁当箱は空箱です。
学校で、昼食のときは、そっと校庭に出て空の弁当箱をつついていました。
ある日、担任の先生から「小使い室(差別用語ゴメン)に来るように」と白爺は呼ばれました。
空の弁当箱を片付けて、ドキドキしながら小使い室に行きました。
すると、先生は「一緒に食べよう」と言って、自分の弁当を半分白爺に分けてくれました。
嬉しかったですねー。
翌日から白爺は、毎日小使い室で昼食を食べるようになりました。
今でも、このことを思い出すと、涙そうそう です。ポロリ・ポロリ。
(テニアン町を掃討するアメリカ海兵隊)
後方の山はカロリナス?
(町中を徘徊する農家の牛)
スズラン通りでしょう。後方はカロリナス台地?
ありがとうございました
読んでください。
写真を見ると戦争ってこれでもかってくらいに破壊するんですね~。