白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
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お暇な人 寄っていって~。

61年前の新聞です

2006-08-10 21:17:33 | 思い出 (自分史)
今年も、8月15日の終戦記念日を迎えようとしています。 
白爺は、アルバムを整理しようと思って戸棚を開けたところ、古い新聞の写しが出てきました。
この写しの中に、太平洋戦争 開戦翌日の昭和16年12月9日と  
終戦詔書が発令された20年8月15日のもの  が入っていました。
 終戦記念日を迎えるにあたって、皆さんも当時の報道を見てください。


 16年12月10日にはグアムに上陸したようです。(S16.12.11の記事)

                
                 軍艦マーチをかけて旗行列をしました。 (16.12.11の記事)

白爺は、このとき小学校の4年生でした。
テニアンでは、早朝から飛行機の編隊が南の空に飛んでいきましたが、後で聞いたらグアム攻撃に行ってきたと兵隊さんが言っていました。


  グアムは空襲で火災が発生しているようだ。 (S16.12.9の記事)


帝国議会は臨時召集された。 (S16.12.9の記事)

                 
                  西に東に戦争は広がる。  (S16.12.9の記事)


ニューヨーク上空を飛んだって。それ本当 (S16.12.11の記事)
万歳・万歳の戦争も、ミッドウエー海戦を境に逆転してしまいました。
大本営発表だけは勇ましかったので、国民はまだ浮き足立っていましたが、南洋群島ではサイパンが玉砕してしまい、いよいよB29が日本本土の攻撃を開始してきました。

                
                     
                 サイパン島玉砕 (S19.7.19の記事)

続ずいてテニアン島も玉砕。本土は毎日空襲の被害にあうようになりました。


 特攻機の出撃で空母や巡洋艦を大破 (S20.8.10の記事)

アメリカ軍は沖縄にも上陸してきて、沖縄の玉砕も時間の問題です。 

                
                広島に新型爆弾が投下された (S20.8.11の記事) 

記事によると、これは落下傘に取り付けて投下され、アメリカが新型爆弾の効果を撮影したものであると書かれています。 
真偽のほどは分かりませんが・・。
 

 ソ連も条約を破って参戦してきた。(S20.8.11の記事)

不可侵条約を結んでいたソ連が、一方的に満州や樺太に侵入し攻撃を開始してきた。 これはホント!

                   
                    新型爆弾は毒ガス以上の残虐性があると報じた。
                    この見出しも、右から読んでくださいね。

長崎にも新型爆弾が投下された。(S20.8.11の記事)

                
                もうこれまで!聖断降る。(S20.8.15の記事)

         
     終戦の勅語            

この勅語を聞いて、日本国民はみんな涙を流しました。
悔しかった人・嬉しかった人 いろいろな人がいましたが、
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで乗り越えたあれからの61年。
平和な日本が続ずいていることに、感謝しましょう。




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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
またまた貴重なのもを・・・ (ありどんだす)
2006-08-10 22:04:44
広島と長崎の原爆の日が終わると、次は終戦の日ですね。この暑い8月はしっかりこの事実を確認する時期ですね。それにしても当時の新聞の表現はまったく今と違いますね。ニューヨークって「紐育」って書くのですか?色んな意味で読み応えのある記事です。いつまでも大切に保管なさって、また何かの機会に公開してくださいね。
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わかりました (白爺)
2006-08-11 07:06:30
興味を頂き有難うございます。

見出しを左から読んだり、昭南島はどこだったかな?なんて考えてしまったり、61年はやはり長い期間でした。 
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歴史名そのまま・・ (ちづ)
2006-08-12 03:27:36
ソ連侵攻なども、教科書に載ってい手、勉強したところです。事実てすごいっ!ですね!

歴史がそのまま載っているって、すごいなぁ!



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Unknown (ちびくま)
2006-08-13 13:42:34
当時の新聞なんてすごいですね。

しかし今年もまたこの時期がやってきましたね。毎年毎年なんとも言いがたい気持ちに襲われます。私は25歳なので両親も私も戦争を知りません。でもなぜか違和感無く「戦争」を受け止め当時の日本国民がいかに苦しみ耐え莫大な犠牲を払い悲しみの中終戦を迎えたか想像しただけで涙が止まりません。沖縄にもテニアンにもあの青い海にもまだ誰にも発見されず眠っている遺骨や魂があると思うと・・・・・・。

心が痛い。戦争が終わって一番混沌とした時代を送ってきた私にとってはとてもとても信じられないことが戦時中は毎日繰り広げられてきたことと思います。もう二度と戦争が起こらないことをただただ願うばかりであります。











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Unknown (HTIおじさん)
2006-08-13 21:10:31
61年経ってしまいました。

上に立つ人達は、よく考えて欲しいものです。
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テニアンの末日から六十二年。 (知多の隠居)
2006-08-26 20:52:05
中山義秀著「テニアンの末日』の一節にこうありました。

(七月二十八日、カロリナス高地の崖下にあったマルポの井戸が敵 

の手に落ちた。井戸水をたよってその周辺に数多く避難していた居  

留民は。カロリナス山内へ遁げこんだ。カロリナス台地は絶頂の高 

さ数百米、巌壁のひだや自然の岩穴が多かった。・・・・・・)

エミーさんにお聞きした逃避行のお話を思い出しました。

テニアンで恐怖のどん底を生き抜いてこられたエミーさんの語りが忘れられません。テニアン・サイパンを訪ねて、あの時の戦争の事実を知り、戦争の愚かさを痛切に感じました。

スーサイドクリフで観た満天の星が、テニアンで亡くなられた方々の、悲しい瞳の輝きのように思えたものです。

戦争は嫌です。と言っても、今の世の中の方が戦時中より良いとは言い切れない様な気もします・・・・・・・。
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