その日は1月13日でした。
朝ホーンさんが、
「今日はエレーン(ほーんさんの娘)の畑を開墾するので、家族全員がカロリナスに行く。一緒に行こう。」
と誘いに見ました。
早速OKして車に乗りました。
喉が渇くと思い、ビールやジュースも沢山買って、アイスボックスに入れました。
先に書きましたが、この畑はカロリナスの司令部が玉砕した洞窟の下にあります。
白爺達が着いたときには既にマチテでタガンタガンの伐採が始まっていて、倒した木の枝は燃やしはじめていました。
意外と下草が無いので、伐採は楽そうに見えたのですが、子供たちはジャングルに入って蜂に刺されて泣いていました。
Emiiは「小便をつけなさい」と、昔自分達がやった応急措置を指示していましたが、今の子供はそんな事をするはずがありません。
それでも、すぐに元気になって、又ジャングルの中に消えていってしまいました。
エレーンは、昼食用のバーベキューをはじめました。
畑仕事が目的ですが、このバーベキューも目的の中に含まれているようです。
楽しみながら、大勢の兄妹家族が、全員同じ目的で行動を起こすことは、見ていて本当に羨ましい限りです。
そろそろ牛肉も焼けたようです。
早速ビールで乾杯をしながら、昼食を食べました。
Emiiは、午後はホテルで過ごすといって、一人ホテルに送ってもらい帰りました。
午後は、一番下の息子がシャワーショベル?のような大きな車を持って到着しました。
最初の写真がその機械です。
この車で1時間30分位開墾をしたら、小学校のグラウンドくらいの畑が出来上がりました。
開墾が一段落したときです。
隣の畑にいた人が飛んで来て、「今車のラジオが津波が来るので緊急避難しろ」といっていると伝えにきました。
全員カロリナス・ハイツにあるエレーンの家に行くことになりました。
白爺は、パスポートや貴重品がホテルに置いてあるし、Emiiもホテルにいるから一度ホテルまで送ってもらい、その後カロリナスに逃げることにしました。
子供と白爺は一旦ホテルに来ました。
ホテルの責任者がまだ残っていてたので、「Emiiはどうしました?」と聞きましたら「フレミングのバスで空港に逃げた。」と答えてくれたので一安心しました。
白爺は、貴重品を持って、子供たちと一緒にカロリナスに避難しました。
町の中はポリスが沢山出動して、車の誘導をしていました。
本当に非常事態が発生すると言う雰囲気でしたよ。
テニアンの人が、こんなに整然と避難できるとは、白爺ビックリです。
カロリナス・ハイツには、沢山の人が避難していました。
ところが、津波が来るといっても、地震がどこで発生したのか誰も知らないのです。
白爺は、丁度国際通話OKの携帯を持っていたので、沖縄の娘のところに通話しました。
その返事は、「地震はアリューシャンで発生したらしいが、日本ではそんなに騒いでいないようだよ」と言うことでした。
アリューシャンなら、津波は北から来るので心配は無いと考え、それからビールを飲み始めました。
ハイツは、カロリナスの中腹に出来ていて、1戸立ての家が沢山建っています。
庭に立つとソンソンの町と海が美しく眺められます。
写真はソンソンの灯りです。
この日は夕方から8時半まで避難していたのですが、風が強くて防寒の服を着て逃げたのですが寒く感じました。
白爺は、
「空襲警報発令・緊急避難せよ。」
の緊急避難を63年ぶりに思い出し、懐かしんで来ました。
朝ホーンさんが、
「今日はエレーン(ほーんさんの娘)の畑を開墾するので、家族全員がカロリナスに行く。一緒に行こう。」
と誘いに見ました。
早速OKして車に乗りました。
喉が渇くと思い、ビールやジュースも沢山買って、アイスボックスに入れました。
先に書きましたが、この畑はカロリナスの司令部が玉砕した洞窟の下にあります。
白爺達が着いたときには既にマチテでタガンタガンの伐採が始まっていて、倒した木の枝は燃やしはじめていました。
意外と下草が無いので、伐採は楽そうに見えたのですが、子供たちはジャングルに入って蜂に刺されて泣いていました。
Emiiは「小便をつけなさい」と、昔自分達がやった応急措置を指示していましたが、今の子供はそんな事をするはずがありません。
それでも、すぐに元気になって、又ジャングルの中に消えていってしまいました。
エレーンは、昼食用のバーベキューをはじめました。
畑仕事が目的ですが、このバーベキューも目的の中に含まれているようです。
楽しみながら、大勢の兄妹家族が、全員同じ目的で行動を起こすことは、見ていて本当に羨ましい限りです。
そろそろ牛肉も焼けたようです。
早速ビールで乾杯をしながら、昼食を食べました。
Emiiは、午後はホテルで過ごすといって、一人ホテルに送ってもらい帰りました。
午後は、一番下の息子がシャワーショベル?のような大きな車を持って到着しました。
最初の写真がその機械です。
この車で1時間30分位開墾をしたら、小学校のグラウンドくらいの畑が出来上がりました。
開墾が一段落したときです。
隣の畑にいた人が飛んで来て、「今車のラジオが津波が来るので緊急避難しろ」といっていると伝えにきました。
全員カロリナス・ハイツにあるエレーンの家に行くことになりました。
白爺は、パスポートや貴重品がホテルに置いてあるし、Emiiもホテルにいるから一度ホテルまで送ってもらい、その後カロリナスに逃げることにしました。
子供と白爺は一旦ホテルに来ました。
ホテルの責任者がまだ残っていてたので、「Emiiはどうしました?」と聞きましたら「フレミングのバスで空港に逃げた。」と答えてくれたので一安心しました。
白爺は、貴重品を持って、子供たちと一緒にカロリナスに避難しました。
町の中はポリスが沢山出動して、車の誘導をしていました。
本当に非常事態が発生すると言う雰囲気でしたよ。
テニアンの人が、こんなに整然と避難できるとは、白爺ビックリです。
カロリナス・ハイツには、沢山の人が避難していました。
ところが、津波が来るといっても、地震がどこで発生したのか誰も知らないのです。
白爺は、丁度国際通話OKの携帯を持っていたので、沖縄の娘のところに通話しました。
その返事は、「地震はアリューシャンで発生したらしいが、日本ではそんなに騒いでいないようだよ」と言うことでした。
アリューシャンなら、津波は北から来るので心配は無いと考え、それからビールを飲み始めました。
ハイツは、カロリナスの中腹に出来ていて、1戸立ての家が沢山建っています。
庭に立つとソンソンの町と海が美しく眺められます。
写真はソンソンの灯りです。
この日は夕方から8時半まで避難していたのですが、風が強くて防寒の服を着て逃げたのですが寒く感じました。
白爺は、
「空襲警報発令・緊急避難せよ。」
の緊急避難を63年ぶりに思い出し、懐かしんで来ました。
緊急時のいい避難訓練になりましたね。
万が一のときも、落ち着いて行動しなくっちゃ!!
(自分自身に言っている!)
インドネシアの津波もありましたから、怖いです。
しかし、子供たちはどこの国でも同じですね!!
みな屈託のない顔で遊んでいる様子はいいものです。