白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

日本海軍第1航空艦隊Ⅲ 燃料庫・弾薬庫(09.06テニアン⑩)DB

2009-07-28 06:22:04 | テニアン
燃料庫・弾薬庫は発電所から少しはなれた丘の谷間に造られています。



こちらの案内板は余り傷んでいないので、書かれている案内文がはっきり読めると思います。
白爺は、説明を省略して写真の説明だけにしましょう。



切り裂かれた珊瑚の丘には、名の知らない木が根を張って、年月の古さを記していました。

                    
近ずいて眺めた燃料この入り口です。


                

建物の中には、ドラム缶が沢山焼け転がっていました。



この建物は、アメリカ海兵隊が逃げ出すほどの勢いで焼けたそうですから、物凄い火災だったのでしょうねー。
白爺たちも、早々に退散しました。

                  

燃料庫跡を後にして、艦隊司令部の弾薬庫跡に向かいました。
暫らく歩くと爆弾がゴロゴロ転がっている所に着きました。



建物跡らしいところに到着したのですが、さすがに沢山あった爆弾が一度に破裂したのですから、建物は残っていませんでした。

                      

僅かに残る建物跡を触って、白爺たちは当時を偲んできました。


鉄筋の網目も、爆弾の大爆発には耐えられなかったようですねー。

                

付近には、沢山の爆弾残骸が転がっています。
鉄屑集めに熱中していた中国の方も、さすがに爆弾の残骸には手を付けなかったのでしょうか?
日本では、危険だといってこのような場所には入れないだろうと思いつつ眺めてきました。



帰りに上を見ながら歩いていたら、メジロの巣がありました。
「巣立った後なら巣を持って帰りたい」という友達がいたので調べてみたら、2個の卵が入っていたので、そっと元に戻しておきました。

                

更に1個見つけましたが、これも卵が入っていたので戻しました。
しかし、車の場所まで行く間には空き家の巣がありましたので、白爺が取ってあげたら、友達に大変喜ばれました。

嘗て、轟々と爆音を轟かせて「1式陸上攻撃機」が翼を並べていた「日本航空艦隊基地」が、今は可愛いメジロの住む林に変わってしまったのかと思うと、何かジーンと感じるものがありました。

夏草や 兵どもが夢の跡!

磯部利男さんの「血染めの南十字星」に書かれている記事には、
昭和19年7月27日になって浦隊長は、浦隊・重藤隊・川井隊の生存兵を川井隊の陣地に集結することになり、28日の夜には各隊とも集結を完了した。
その頃歩兵50連隊は飛行場の南にある日の出神社に集結をしていた。
浦隊もハゴイ飛行場を占領している米軍に夜襲をかける作戦を練っていた。
7月29日夜、川井隊長は決死隊の出撃を決断・・・。
とありました。

65年前の昨日・今日・明日を、米公文書館等の写真で見てください。








        次は、「ボートハーバーは静かでした」の予定です。 

                              


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