醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  604号  ためつけて雪見にまかるかみこ哉(芭蕉)  白井一道

2017-12-27 11:40:25 | 日記

 ためつけて雪見にまかるかみこ哉  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「ためつけて雪見にまかるかみこ哉」。「有人の會」と前詞がある。
華女 「ためつけて」とは、どんな意味なの?
句郎 「着物に折目をつける」ことを言う。
華女 「かみこ」とは、今の外套のようなものよね。
句郎 、防寒用の紙の衣服のことかな。
華女 「有人の會」とは、誰の会だったのかしら。
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』の注釈には名古屋昌碧亭とある。
華女 昌碧亭に招かれ、雪見の俳諧を楽しんだのね。
句郎、そうだと思う。だからこの「ためつけて雪見にまかるかみこ哉」という句は昌碧亭亭主への挨拶吟だったんだろうな。
華女 この句は何に載っている句なのかしら・
句郎 紀行文『笈の小文』に載っている。この句と並んで「いざ行む雪見にころぶ所まで」の句が載せられている。
華女 古びた紙子を寝押しにでもして雪見の俳諧に出かけたような感じかな。
句郎 冬の旅を楽しんでいる芭蕉の姿が目に浮ぶような句かな。
華女 芭蕉には、子供っぽさのようなものが大人になっても残っていたのかもしれないわよ。そんな句じゃないのかしら。
句郎 特に「いざ行む雪見にころぶ所まで」の句には、そんな印象があるな。
華女 芭蕉は下駄を履いて雪見にでかけたのかしら。昔、下駄を履いて雪道を歩くと下駄の歯と歯の間に雪が詰まり、、尖がってしまい、歩けなくなってしまった経験があるわ。それで転ぶところまで雪見に行ってみようと言うことかしらね。
句郎 大人になっても雪を楽しむ気持ちを芭蕉は持っていたのかもしれないな。
華女 芭蕉は身なりにあまり気を使う人ではなかったみたいね。
句郎 身分制社会にあっては、身なりが決定的に重要な社会だったようだ。なぜなら身なりで身分がはっきりわかる社会だったからね。農民が武士と同じ身なりをすることが許されない社会だったからね。同じように農民と町人が同じ身なりをしていてはいられない社会だった。農民が武士と同等の立場にたって話し合うことなんてない社会だったからね。
華女 俳諧は不思議な人の集まりだったのね。武士と農民、町人が同じ部屋で対等な立場で句を詠み継いでいく遊びなのよね。農民出身の芭蕉がよれよれになった紙子に折り目を付けて、いそいそと俳諧の会に出かけていく。亭主に挨拶の句を詠む。俳諧の会には身分差別がなかったのね。
句郎 いち早く、俳諧の世界には身分差別を廃止した近代社会が芽吹いていたのかもしれないな。武士も農民も町人も対等平等な社会の方が豊かな人間関係が築けるということを実感していたのかもしれないな。
華女 でも、武士の詠んだ句を貶すことは、難しかったのかもしれないような気もするわ。
句郎 だから句を詠むときは俳号を用いて身分をあからさまにすることはかったのかもしれない。
華女 苗字でなく、名を呼び合う俳諧には、確かに近代性があるのかもしれないわ。
句郎 身なりに気を使う必要が少なかったのかも。

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