西行の草鞋もかかれ松の露 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「西行の草鞋もかかれ松の露」。芭蕉45歳の時の句。『笈日記』。「画讃」とのみ前詞がある。
華女 「画讃」とは、絵を見て感じたことを句にしたということなのかしらね。
句郎 もともと中国では絵の空白に書をしたためる慣わしがあったみたいだからね。
華女 絵と書とを一緒に味わっていたということなのね。それを真似、この絵にこのような書を加えるといいのにねぇーと詠んだ句なのかもしれないわね。
句郎 絵は、その物自体が句なのかもしれない。
華女 絵は現実を認識する手段であると同時に認識した結果だということなのよね。
句郎 どんな絵が描かれていたのかな。
華女 それは西行の草鞋と松の露が幾分大きく描かれていたんじゃないのかしら。
句郎 秋の朝、旅立つ西行の草鞋と松葉を滴り落ちる朝の露だったんだろうな。
華女 秋の朝日ね。真新しい藁の香が漂う足下の草鞋が元気よく動きだす。足下に滴る松の露に濡れしみを広げる草鞋の絵が浮かんでくるわ。
句郎 西行というと旅の人というイメージだよね。だから草鞋。旅人にとって一番元気な時は朝だからな。
華女 松の露が朝日に輝く一瞬があるわね。
句郎 芭蕉には絵を見て西行の歌を思い出していたんじゃないのかな。
華女 西行のどんな歌なのかしら。
句郎 「ここをまたわれ住み憂くて浮かれなば松は独りにならむとすらむ」。ここがまた住みづらくなってきた。ここを出て浮かれ出て行こう。私と一緒にいた松は一人ぼっちになってしまうが。
華女 旅の人、西行にとって松の木を頼りに生き、松の木に癒され、元気をもらい旅に生きた人だったのかしら。
句郎 『山家集』には、「庵の前に松の立てりけるを見て」と詞書があるようだから。
華女 芭蕉は絵を見て、西行の歌を思い、この句を詠んだということなのね。
句郎 そうなんじゃないのかな。宮崎県に「松の露」酒造という焼酎メーカーがあるんだ。そのホームページを見ると「松の露は、松の葉から滴る朝露の美しさから命名されました」とあるからね。確かに松葉から滴る朝の露には全宇宙が表現されているような輝きがあるように感じるからね。草鞋と松の露に芭蕉は西行の人生が表現されていると考えていたんじゃないのかな。
華女 草鞋と露は確かに旅を象徴するような働きがあるのかもしれないわ。
句郎 露を詠んだ芭蕉の句に「今日よりは書付消さん笠の露」と詠んだ『おくのほそ道』にある句があるでしょ。この句の「露」にも旅人の命が吹き込められているような気がするんだ。また「露とくとくこころみに浮世すゝがばや」という句が、『野ざらし紀行』にあるじゃない。この「露」という言葉にも命を蘇らせるような働きがあるでしょ。清いもの、生き生きとさせるもの、朝の空気のようなものを表現する力が「露」というものにはあるのかもしれない。
岐阜県恵那市長島町中野西行塚の句碑。牛久市森田武さん提供
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます