醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  658号  宿りせん藜(あかざ)の杖になる日まで(芭蕉)  白井一道

2018-03-01 13:06:22 | 日記


 宿りせん藜(あかざ)の杖になる日まで  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「宿りせん藜(あかざ)の杖になる日まで」。芭蕉45歳の時の句。「其草庵に日比ありて」と前詞がある。『笈日記』にある。
華女 「あかざの杖」とは、有名な杖なのかしら。
句郎 テレビ時代劇ドラマ『水戸黄門』の黄門様が持っている頭がゴツゴツした杖が藜(あかざ)の杖のようだ。
華女 黄門様が持つ背丈ぐらい大きな杖ね。
句郎 とても軽く、硬くて丈夫なもののようだよ。
華女 藜とは、花の咲くひまわりのような芯をもった植物なのよね。それが杖になっているのね。
句郎 花が終わると刈り取り乾燥させ、手を加えて杖にするんじゃないかと考えているんだけどね。
華女 じゃー「藜の杖になる日まで」とは、死ぬまでということなのかしら。
句郎 死ぬまでじゃなく、藜が枯れて杖になる秋までここで世話になりたいなぁーとよばれた亭主への挨拶吟だったんじゃないかな。
華女 「其草庵」の亭主とは、誰だったの。
句郎 岐阜の日蓮宗妙照寺住職日賢和尚のようだ。後に『笈の小文』として
出版された旅の途中、京都で芭蕉に入門し、弟子になった。俳号は己百(きはく)。己百がその折に「しるべして見せばや美濃の田植え歌」と句を詠み、芭蕉を岐阜に誘った。手厚いもてなしに芭蕉は己百さんへ挨拶した句が「宿りせん藜(あかざ)の杖になる日まで」だった。「おもひかねその里たける野猫哉」という己百の句が『續猿蓑』に載っている。
華女 芭蕉は俳諧師として人気があったのね。門人が増えると言うことは、芭蕉にとっては、生活が安定するということよね。
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』によるとこの句を芭蕉は貞享五年に詠んでいると解釈している。貞享四年に「古池や蛙飛びこむ水の音」を詠み、蕉風に開眼したと言われている。この句は『蛙合』として出版された対抗句の巻頭を飾った句であった。この『蛙合』が売れ、芭蕉の人気が出た頃だったのかもしれないな。
華女 芭蕉は旅に生き旅に死んだ漂泊の俳人のように思っていたけれど、旅の生活は楽しく、豊かな食べ物にも恵まれていたのね。
句郎 江戸深川芭蕉庵での生活はほとんど収入のない生活だったようだから苦しく、食べ物にも事欠く生活だったんじゃないのかな。
華女 「艪(ろ)の声波を打って腸(はらわた)凍る夜や涙」という句があったわよね。
句郎 芭蕉が深川芭蕉庵に引っ越したころの句かな。何一つ暖房設備のない冬、芭蕉庵での極貧生活を詠んだものなんだろうな。
華女 深川芭蕉庵での生活より、旅の生活の方が夜は暖かく、食べ物に事欠くことは少なかったのかもしれないわね。
句郎 旅に生きることによって生活が成り立っていたということなんだろう。俳句にも迫力が出たということなんじゃないのかな。
華女 俳諧を楽しむ人がいたということなのよね。
句郎 当時、俳諧は余暇を楽しむ遊びだったからね。まさに芭蕉は余暇を楽しむ人々を満足させる話術と芸をもった遊び人だったのかもしれないな。





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