醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  625号  神垣や思ひもかけずねはんぞう(芭蕉)  白井一道

2018-01-19 12:23:04 | 日記

 神垣や思ひもかけずねはんぞう  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「神垣や思ひもかけずねはんぞう」。芭蕉45歳の時の句。『笈の小文』に載せてある。
華女 「神垣や」の「や」は俳諧が発見した「や」なんだよという話を聞いたことがあるのよ。和歌には俳句にあるような「や」を使うことはなかったのかしら。
句郎 今から70年近く前、山本健吉は『「や」についての考察』という評論で「初五における『や』の発見は、形の上での俳諧の発見だったと言えるであろう」というような発言しているんだ。さらに上五に「や」の切字を入れ、下五を体言で結ぶ。二句一章の典型的な構成様式をつくられたのも俳諧だというようなことを述べている。この句「神垣や思ひもかけずねはんぞう」も典型的な二句一章の句になっているよね。俳句初心者が学ぶ俳句の作り方なのかな。
華女 芭蕉は俳句構成法も創造したのね。
句郎 俳句を詠むという営みが俳句の形を造り出したということなんじゃないのかな。
華女 芭蕉の句には二句一章という形の俳句がたくさんあるわね。有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」の句も二句一章の形になっているわね。
句郎 「神垣に思ひもかけずねはんぞう」では句にならないよね。「神垣や思ひもかけずねはんぞう」と詠むから俳句になっていると感じるんだよね。
華女 「や」と言う切字を入れることによって散文が韻文の俳句になるということなのよね。「や」という切字を発見した人は凄いと思うわ。
句郎 、神社に仏教寺院にしかないと思っていた涅槃像があったという驚きを表現する言葉が切字「や」なんだろうね。
華女 意外なものを発見したということよね。その気持ちを芭蕉は詠んでいるわけよね。
句郎 『野ざらし紀行』の際には伊勢神宮の神垣に入れてもらうことができなかったようなんだがね。『笈の小文』の旅では伊勢神宮の神域の一部に入れてもらうことができ、この句を詠んだということのようなんだ。
華女 平安時代から神仏習合というのかしら、仏教の中に神道が入り込むことによって仏教は普及していくのよね。
句郎 仏教というインドで誕生した仏教は仏像を作って布教していく中でインド人の宗教からいろいろな民族の人々からも信仰される世界宗教へと発展していく。仏教が日本に入って、仏教が日本化するということは神仏習合が進むということなんだと思う。神仏習合が進むことによって仏教は日本化した。鎌倉時代に仏教は日本化した。仏教が日本の民衆の心を捉えたと言うことだと思う。江戸時代になると仏教は完全に日本の宗教になっていたと同時に神道と仏教は一体のものになっていた。しかし伊勢神宮に代表されるような大神宮も存在していた。
華女 出雲大社とか、氷川神社とかよね。
句郎 神社の伝統が強く強く守られている神社は今も多く残っているからね。例えば、京都の松尾大社なんていう霊験あらたかな神社があるからね。
華女 神社と寺は異質なものなのよね。その異質なものを芭蕉は詠んだということね。

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