醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより 617号  手鼻かむをとさへ梅の盛(さかり)哉(芭蕉)  白井一道

2018-01-10 13:06:49 | 日記

 手鼻かむをとさへ梅の盛(さかり)哉  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「手鼻かむをとさへ梅の盛(さかり)哉」。芭蕉45歳の時の句。
華女 芭蕉は手鼻かむ音に高貴なものを感じたのね。
句郎 梅の花が醸す気品を手鼻かむ音にも感じたんだろうね。
華女 世俗の日常生活の中に俳諧を発見しているのよね。
句郎 そうなんだろうな。「鶯や餅に糞する縁の先」という句が詠めるようになっていく過程の句なのかもいれないな。
華女 庶民の日常生活の中に雅なものを発見したということなのよね。
句郎 そうそう、『三冊子』の中に次のような文章がある。「花に鳴く鶯も、餅に糞する縁の先と、まだ正月もおかしきこの比と見とめ、又、水に住む蛙も、古池にとび込む水の音といひはなして、草にあれたる中より蛙のはいる響きに、俳諧を聞きつけたり、見るにあり。聞くにある。作者感じるや句となる所は、即ち俳諧の誠也」。だから高貴なものとか、気品というものではなく、諧謔というか、笑いを発見したんじゃないのかな。
華女 そうなのかもしれないわ。でもそうした諧謔というか、笑いというものに和歌に匹敵するような雅なものがあると芭蕉は感じていたのよね。
句郎 、「手鼻かむをとさへ梅の盛哉」。この句にはまた「手鼻かむ音さへ梅の匂ひ哉」という句が知られているんだ。
華女 「盛哉」と「匂ひ哉」の違いよね。句郎君はどっちが良いと感じているの。
句郎 私は「盛哉」の方に力があるように感じているんだけどね。
華女 「匂ひ」じゃ、少し弱いようにも感じるわね。
句郎 手鼻をかんだすっきり感が梅の花の気品と響き合うように思うんだ。
華女 手鼻かむ人は一人じゃないのかもしれないわ。野良で仕事をしている夫婦と子供が梅の花咲く傍らで一休みしている時に手鼻をかんだのよ。そんな風景を芭蕉は見たのかななんて想像しちゃった。
句郎 解釈は読者の勝手だからね。華女さんの読みによると嘱目吟になるね。
華女 「鶯や餅に糞する縁の先」と同じ世界を芭蕉は詠んでいるのよ。
句郎 「手鼻かむ音」に芭蕉は俳諧を聞きつけた」ということなのかな。
華女 そうなのよ。庶民の日常生活の俗語の世界に雅なものを発見したということなんでしょ。
句郎 『三冊子』の中に「高く心をさとりて俗に帰るべしとの教えなり」とあるからね。手鼻かむ音を汚いもの、卑しいと見るのではなく、貴いもの、働く農民の元気な清々しい音として受け入れるということなのかな。
華女 梅の花の美しさによって手鼻かむ音が浄化されているのよ。
句郎 手鼻かむ音と梅の花とを取り合わせることによって手鼻かむ音が気品あるものとして受け入れることできるようになったということなのかもしれないな。
華女 そうなのよ。そこに芭蕉の手柄があるんじゃないのかしら。
句郎 でも俳句としては「鶯や餅に糞する縁の先」。この句の方が少し「手鼻かむをとさへ梅の盛(さかり)哉」より優れているような感じがするな。
華女 確かにそうだと私も思うわ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿