木曽の痩せもまだなほらぬに後の月 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「木曽の痩せもまだなほらぬに後の月」。芭蕉45歳の時の句。『笈日記』。「帰庵に十三夜」と前詞がある。
華女 「後の月」、十三夜のことね。
句郎 旧暦の社会に生きた人々にとって月の満ち欠けが人々の生活とって大きな影響を与えていたんだと思うな。
華女 そうなのよね。十三夜というと樋口一葉の短編小説『十三夜』を思い出すわ。この小説は十三夜の月明りが主人公と言ってもいいような小説だと思うわ。
句郎 月明りの下で農民は農作業をしていたからね。街灯のなかった時代、月明りが夜道を照らしてくれた。
華女 月明りに照らされた夜道を人力車に乗った女性が車夫の姿に初恋の男を見出す。立派なお屋敷に嫁ぎ、虐められている境遇を女は胸の内を明かす。生きる哀しさが月明りに癒される。『十三夜』、胸に沁みる小説よね。
句郎 月の満ち欠けに固有名詞がある。いかに月の満ち欠けが人々の生活に大きな影響を与えていたのかを示していると思う。
華女 新月というのは、太陽に邪魔されて月が何も見えないことを言うのよね。一日ごとに少しづつ月が弓なりになって見えてくるのよね。
句郎 新月から三日目の月が三日月、半分の月が上弦の月、満月に次いで美しいと言われた十三夜、小望月、十五夜(満月)とね。このような月の満ち欠けに固有名詞が付けられ、それぞれの行事が行われた。最も美しい月見ができるのが旧暦の八月十五日の十五夜だった。それから一月後の九月十三日の月が美しいと言われて十三夜。だから「後の月」といわれるようになったみたいだ。旧暦の九月十三日は新暦の十月十日前後だったから、「十三夜に曇りなし」と言われた。
華女 芭蕉の生きたじだいにあっては、後の月という言葉が人々の想像力を豊かにしていたということね。
句郎 毎日を忙しくビルの谷間で生活している人々にとっては、月の満ち欠けは遠い昔の世界の話になってしまっている。
華女 天気については関心があっても月の満ち欠けには関心が無いわね。
句郎 月の満ち欠けに関心が寄せられない社会にあって、後の月といっても我々の想像力が刺激されることはないな。
華女 また、「木曽のやせもまだなほらぬに」と言われても、事情を知っている人には伝わっても、見ず知らずの人には何のことだか、わからないと思うわ。
句郎 蕉門俳諧の連衆には伝わっても、一般の人々には伝わらない俳句なんじゃないかな。
華女 『更科紀行』の旅を終えて間もないころに詠んだ俳句の一つなんでしょ。
句郎 芭蕉は月日の速さ、無常なる世界を詠んでいるのではないかと思うが、普遍的なものを詠んだとしても、欠点があるように思っているんだ。
華女 個別具体的なものをとおして普遍的なものを詠んでこそ古典と言われる俳句になるのよね。
句郎 そうなんだ。残念だけど、芭蕉のこの句は歴史の中でいつかは忘れられていく句の一つなのではないかと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます