紙ぎぬの濡るともをらん雨の花 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「紙ぎぬの濡るともをらん雨の花」。「路草亭」と前詞がある。芭蕉45歳の時の句。この句には異形のものが伝えられている。「かみこ着てぬるとも折ン雨の花」。この句の前詞「久保倉右近會 雨降」とある。
華女 「かみこ」とは、なんなのかしら。
句郎 「紙子」と書く。厚手の和紙に柿渋を引き、日に乾かしてよくもみやわらげ、夜露にさらして臭みを抜いた紙で仕立てた胴衣で、合羽にしたり、冬、布団代わりに羽織って寝たものだそうだ。軽く、保温性に優れていたようだ。近世以降、安価なところから貧しい人々の間で用いられていた。高濱虚子に「繕うて古き紙子を愛すかな」という句があるように冬の季語になっているみたい。
華女 芭蕉の時代にはまだ紙子は季語にはなっていなかったのね。だからこの句の季語は「雨の花」なのかしら。こちらは春の季語でいいのよね。
句郎 この「雨の花」は桜の花でいいんじゃないのかな。
華女 「花の雨」は分かるような気がするわよね。でも「雨の花」だとなんとなく桜の花というイメージが鮮明じゃないように感じない?
句郎 確かに「雨の花」というと紫陽花というイメージがあるように感じるな。
華女 なにか、演歌になりそうなイメージよね。
句郎 、でもここでは、桜の花でいいんじゃないのかな。紙子が濡れるのも厭わず雨の中、桜の花をつけた枝を折ったということなのかな。
華女 その解釈じゃ、悪戯をしたようなことね。それじゃ、芭蕉さんが泣くわ。そう思わない。
句郎 そうだよね。
華女 そうよ。前詞は、「路草亭」とあるということは、そこで歌仙を巻くような俳諧の席があったということでしょ。この句は、その俳諧の発句だったのかもしれないわよ。
句郎 そうするとどのような解釈になるのかな。
華女 雨降る中、わざわざご招待にあずかり、喜んで伺いました。これが俳諧の席に招待された俳人芭蕉の挨拶の言葉よね。
句郎 そうだよね。だからこの句は挨拶吟ということになるわけだ。そうすると俳諧の席を「雨の花」で表現したのかもしれないな。
華女 そうよ。芭蕉は紙子を着て雨の中、桜の枝を折ったのではなく、雨に咲く桜の花を愛でるような気持になって伺いましたということなんでしょ。きっとね。
句郎 実際、着ていた紙子は雨に濡れていた。この濡れた紙子を見て芭蕉は俳諧の発句を詠んだろうね。
華女 紙子が濡れることも厭わず、喜んで伺いました。このように俳諧の連衆に芭蕉は挨拶したのよ。
句郎 なるほどね。この句は、「露時雨(つゆしぐれ)洩(も)る山かげの下紅葉(したもみぢ)濡(ぬ)るとも折らん秋のかたみに」『新古今和歌集』藤原家隆の歌を俳諧にしたのだと山本健吉は『芭蕉全句』の中で述べているようだ。
華女 そうなんだ。嘘か、本当なのか、分からないけれども、もしそうだったにしても芭蕉は自分の気持ちを詠んでいることには変わらないと思うわ。芭蕉は心を読んだ俳人ね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます