月はやし梢は雨を持ながら 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』「蕣(あさがお)は下手の描くさへあはれなり」の句の次は「月はやし梢は雨を持ながら」である。貞享四年、芭蕉四四歳の時の句だ。芭蕉はこの年八月、月見のために鹿島に赴いた。その時に詠んだ句のようだ。
華女 雨が降っていて月見はできなかったのかしら。
句郎 その時の紀行文が『鹿島紀行(詣)』だ。「ひるより雨しきりに降て、月見るべくもあらず。麓に根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此処におはしけると云を聞て、尋ね入て臥ぬ。
すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけん、しばらく清浄の心をうるに似たり。
暁の空いささかはれ間ありけるを、和尚おこし驚し侍れば、人々起出ぬ。
月の光、雨の音、只あはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし。
はるばると月見に来たるかひなきこそ、ほいなきわざなれ」とこのように述べている。
華女 芭蕉は何人で月見に行ったのかしら。
句郎 芭蕉と曾良と宗波と三人で行ったみたいだ。
華女 和尚さんに空が晴れて来ましたよと寝ていたところを起こされて月見をした時に即興で詠んだ句なのね。
句郎 「おりおりにかはらぬ空の月かげも ちぢのながめは雲のまにまに」と和尚さんは歌を詠み、芭蕉は「月はやし梢は雨を持ながら」「寺にねてまことがほなる月見かな」と二句を詠んだ。曾良は「雨にねて竹おきかへる月見かな」詠んだ。宗波は「月さびし堂の軒端の雨しづく」と詠んだ。
華女 「寺に寝て」の句より「月はやし」の句の方がいいわね。
句郎 そうかな。
華女 私だったら、「月はやし小枝の先の雫かな」と詠んでしまいそうよ。
句郎 「梢は雨を持ながら」と詠んだところに雨降り後の湿り気が捉えられていると山本健吉は述べている。『芭蕉名句集』山本健吉評釈より
華女 確かに「雨を持ながら」とは、表現できないわね。
句郎 雨降り後の雲が忙しく動いていくさまを「月はやし」と簡潔に述べているところにも芭蕉の技があるのかもしれないな。
華女 江戸深川からわざわざ鹿島まで月見に行ったということが風流なのよね。私だったら行かないわ。深川で見る月も鹿島で見る月も同じでしょ。
句郎 嫌、違うんじゃないかな。月を見る場所によって月は違うんじゃないのかな。深川から舟に乗って鹿島まで行ったんだろうからね。歩いて行ったわけではないから、楽だった。
華女 舟に乗って行けたの。
句郎 深川、小名木川の埠頭から舟に乗り、江戸川をさかのぼり、関宿で利根川に出て、下ってくれば、鹿島だよ。
華女 高瀬舟に乗って行ったのかしら。
句郎 多分そうだったんじゃないのかな。季節は旧暦の八月だから、水量も多かった頃だし、風があれば江戸川をさかのぼるのは容易な事だったんじゃないのかな。利根川はもしかしたら向かい風になったかもしれないが、水量豊かな川の流れに乗ればかなり早い時間で鹿島に到着できたんじゃないかと思うけどね。楽しい情緒あふれる船旅かな。
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