醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  754号  野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす(芭蕉)  白井一道

2018-06-08 14:42:31 | 日記


  野を横に馬牽むけよほととぎす  芭蕉


句郎 芭蕉は那須の原で三句もホトトギスを詠んでいる。毎日、毎日ホトトギスの鳴き声を聞いて歩いていたのかなぁー。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声が好きだったのじゃないかしら。
句郎 まず「田や麦や中にも夏時鳥、元禄二年孟夏七日」と俳諧書留に曾良は書いている。
華女 孟夏というのは何月のことなのかしら。
句郎 曾良旅日記によると旧暦の四月じゃないのかな。旅日記によると四月六日から九日まで雨止まずとある。この間、芭蕉たちは黒羽の翠桃宅に留まっていた。この時「田や麦や」の句を詠んでいる。
華女 旧暦の四月七日は今の暦でいうといつになるのかしら
句郎 五月二五日のようだよ。
華女 そろそろ梅雨の始まりね。蒸し蒸し、し始まる頃ね。
句郎 曾良の旅日記には「夏時鳥」と記している。この言葉を「夏のほとゝぎす」と「雪まろげ」という俳文の中では書いてる。また茂ゝ代草という俳文の中では「麦や田や中にも夏はほとゝぎす」と詠んでいる。句郎は「夏はほとゝぎす」と詠んだものがいいと思うけれども華女さんはどうかな。
華女 そうね。「夏は」だと夏が強調されるように感じるわ。「夏の」だとほとゝぎすに焦点が絞られるのかしらね。
句郎 雨が止み、黒羽を出て那須の篠原に向う。そこで「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」を詠む。この句を芭蕉は採り、「おくのほそ道」に載せる。自分が気に入った句なのだろう。
華女 私も「田や麦や」の句より「野を横に」の句の方が力があるように思うわ。
句郎 きっとそうなのだろうと句郎も思う。芭蕉と曾良の一行は那須の篠原から高久の宿に向う。そこで「落ちくるやたかくの宿の時鳥」を詠む。芭蕉はホトトギスの句を都合三句、詠んだ。珍しいことのようだ。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声が本当に好きだったのよ。そうでなければ三句も続けざまに詠むはずがないと思うわ。
句郎 この三句の中で一番いいのはやはり「野を横に」の句かな。
華女 そうでしよう。「野を横に」の句が一番いいと私も思うけれどねぇ。
句郎 どこが他の二句と比べていいのかなー。
華女 そうね。いつだったか。加藤楸邨の書いたものを読んでいたら、「田や麦や」の句はなにか調子の渋滞が感じられる。生き生きしたものがないというようなことを書いていたように漠然と覚えているわ。
句郎 生き生きした溌剌さが感じられないということかな。
華女 そうなんじゃないかしら。
 言われてみればそういう感じがするでしょ。
句郎 それじゃ、「落ちくるや」の句はどうなの。
華女 高いところからホトトギスの声が落ちてくるというのでしょ。高久の宿の高くという言葉と高いところから落ちてくるという言葉が掛詞なっている。その言葉遊びを感じてしまう。ここがよくないと加藤楸邨は書いていたように思うわ。
句郎 華女さんは楸邨について詳しいね。
華女 そんなことないわ。昔、楸邨の弟子という人の教室に通っていたことがあるのよ。
句郎 へぇー。そこでどんなことを学んだの。
華女 昔のことだから、忘れちゃったわ。「柳より風来てそよと糸とんぼ」という楸邨の句を覚えているわ。これくらいかな。記憶に残っている句は。
句郎 「野を横に」の句は何がいいのかな。
華女 楸邨は「ますらおぶりのやさしさ」だと言っていたように思うわ。馬丁に乞われて詠んだ句でしょ。「馬牽むけよ」と「ますらおぶり」の「優しさ」がいいというのよ。



 「野を横に馬牽むけよほととぎす」。この句について次のような評釈を私は書いている。

句郎 「野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす」。元禄二年芭蕉四十六歳『おくのほそ道』那須野で詠んだ句として知られている。名句だと言う人が大勢いるようなんだけど、どうかな。
華女 どこが名句だと言われる理由があるのか、ピンとこないというのが、私の実感かしらね。
句郎 僕も初めて読んだ時、そう思ったね。
華女 じぁー、今は違うのかしら。少しは分かってきたの。
句郎 うん、少しね。「ホトトギス」と云う百年以上出している俳誌があるでしょ。最も伝統のある俳誌だといってもいいんでしょ。何しろ、正岡子規、高濱虚子が培った近代俳句の金字塔のような俳誌なんでしよう。
華女 きっとそうなんでしよう。その中から現代に続く有名な俳人が続出しているんだから。
句郎 平安時代も芭蕉の頃も明治時代の俳人たちにも、ホトトギスという鳥には特別な思いが籠っているのじゃないかと思うんだ。
華女 そうなんだと思うわ。正岡子規の「子規」は「ほととぎす」と訓読できますからね。子規は確かにホトトギスへの格別な思いを持っていたのじゃないのかしら。
句郎 その思いを詠んだ名句の一つが「谺して山ほととぎすほしいまま」という句があるんだと思う。
華女 久女の有名な句ね。
句郎 平安時代から連綿として継承されてきたホトトギスの鳴き声が醸す美意識を杉田久女は詠んだのではないかと思う。
華女 ホトトギスの鳴き声を山全体の中に詠んだのよね。そうでしょ。
句郎 芭蕉が山形、山寺の静かさを蝉の鳴き声に詠んだのと同じようなことを詠んだのかな。
華女 少し違うと思うけど、通じるものはあるわ。
句郎 ホトトギスの鳴き声に耳を傾けることが風雅なことなんだということを馬の轡をとる男に語りかけたのが「野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす」という句なのではないかと思っているんだけれど。どうかな。
華女 馬もあなたも私も今鳴いたホトトギスの声に耳を傾けて聞き惚れましょうということなの。
句郎 うーん。そうなんじゃないかなと思うんだ。短冊に句を所望されたんでしょ。芭蕉は馬の轡を取る男から。那須野の原に今、ホトトギスが鳴いた。こっちの方だった。馬の向きを変え、ホトトギスの鳴き声に耳をすましてみましょう。これが風雅ということですよと、芭蕉は即興で句を詠んだ。
華女 夏の那須野の原では何でもないホトトギスの鳴き声に耳を傾けることが句を詠むということだったのね。
句郎 芭蕉もまた那須野の原でホトトギスの鳴き声を発見したんじゃないのかな。
華女 落葉樹の林の中に鳴くホトトギスに京や江戸で鳴くものでない新鮮さのようなものを感じたのかもしれないわね。
句郎 曾良の「八重撫子」の句は那須野に洗練された名を持つ子供の発見だった。芭蕉は那須野の原に洗練されたホトトギスの鳴き声を発見した。曾良の「八重撫子」の句があってこそ、芭蕉の「野を横に」の句が光り輝く。
 那須野の原を俳諧で曾良と芭蕉が表現したと安東次男は述べている。

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