関東地方は雨降りが続きます。
今年はほんとうに「梅雨らしい梅雨」です。
私の街では、土、日がお祭りなのですが、昨日は曇りのち小雨で、今日は朝から雨です。
せっかくのお祭りなのに雨かぁ・・・とネガテイブにならず、
「雨のお陰で、あたりがしっとりと煙って素敵。
雨音にこもった中に祭囃子が聞こえて、風流だわ。
こんな情緒ある夏祭りになるなんて、ラッキー!
お祭りの山車を引く人は高齢者や小さな子供が多いので、暑いと熱中症の人が出て大変だから、少々の雨はオーライ!
雨のお祭りを楽しもう!」
と、ポジティブにいきましょう。
前の前の記事に「楽しく、幸せに生きる方法」について、箇条書きにしました。
全部で23項目あるのですが、暫くは各々について少し詳しく記してみたいと思います。
では、一番最初の項目です。
〇人は、元来、誰しも「楽しく、幸せに生きる」ことができる存在である。
私たち日本人は、「謙譲」、「勤勉」等を美学として生きてきました。
「控え目」、「節約」、「身の丈を知る」、「努力」、「苦労」、「奉仕」、「自己犠牲」等々が
「美しく、正しい生き方」とされていたのです。
これらのなかには、良いこともあるでしょうが、真面目な人々のなかでは、だんだん違う方に解釈がいってしまって、
楽しんで生きることは、不真面目なこと、不謹慎なこと、よくないこと、人の道を外れること、
苦しんで生きることは誠実で、よいこと、人として立派である、というようになってしまいました。
でも、それは間違った考え方なのです。
人は何故、この世に生まれてきたのでしょうか?
数えることが出来ないほどの膨大な確率をもって、私たちは「天」から、今生の命をいただいたのです。
AさんがBさんの誕生日に、プレゼントを用意しました。
大きな百貨店に行って、たくさんある品物のなかから、三時間かけて選びました。
Aさんに二時間かけて渡しにゆきました。
Aさんは、そのプレゼントをみて、とても嫌な顔をしました。
「うわっ、何これ、気持ち悪い、見てるだけでも吐きそう。
ああ、苦しい、こんなもの貰って悲しくてしかたない。
こんなもの欲しくなかった、ああ、いやだ」
そう、言われたら、Aさんはがっかりしますよね。
Aさんに対して、失礼というかAさんに対するデスり、冒涜と言ってもよいでしょう。
少し、大げさに聞こえるかもしれませんが、人生を苦しいものとして考えてしまうということは、Aさんのやっていることと同じようなことなのです。
せっかくいただいた命なのです。
苦しい、悲しい、寂しい、辛い、酷い、虚しい、つまらない、等とおもうことは命をいただいた「天」に対する冒涜なのです。
ああ、楽しい、幸せ、とおもって生きることが、命をいただいたものの使命と言っても過言ではありません。
人には「自由」がありますから、「デスって生きる自由」もあるかもしれません。
そうしたい人はすればよいのかもしれません。
でも、少なくとも、それはよいことではありません。
苦しんで、悲しんで、虚しく生きることは誠実でも立派でもないのです。
これだけは、しっかり覚えておいてください。
私たちはあまりにも「厳しく育てられすぎている」と、感じます。
「厳しく育てられすぎ」て、人生を楽しむことは罪だ、との価値観を押し付けられているのです。
苦労なんて、しなくていいのです。
「調子に乗るな」、「はしゃぐな」と言われても無視していいです。
「良いことの後には悪いことがあるよ」なんて、嘘です。
「人生は楽しいものだ」、と常にポジテイブでいれば、「良いことの後にはまた必ず良いこと」があります。
人は、元来、誰しも「楽しく、幸せに生きる」ことができる存在なのです。
「天」はそのために、あなたに命を授けたのです。
苦しむためなんかじゃありません。
生きていることは素晴らしく、嬉しく、楽しく、幸せなことなのです。
人生をネガティブにとらえないで、ポジテイブに生きてください。
いただいた命を、思う存分、楽しく幸せに生きてください。
もう一度声を大にして言いたい。
人は苦しむためにこの世に生まれて来たのではありません。
楽しむため、幸せになるために生まれて来たのです。
命をいただいた人として、人生をまっとうするために、
楽しく、幸せに生きましょう!
もうひとつのF2ブログの方ものぞいてみてくださいね。
こちららでは、音楽が聴けます。
どうぞよろしくお願いいたします。
http://morisui8211.blog.fc2.com/
ブログ名 「水晶の詩と短歌と音楽の森へ」 ※「森」から「森へ」となります。
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