なにげな言葉

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迷宮・緑柱玉の世界の独り言

迷宮・緑柱玉の世界 1章1節 「迷宮扉」

2016-09-20 | 迷宮・緑柱玉の世界
小説を再開したいと思った。でも、執筆から随分離れているので、
読み返しを兼ねて、再アップしてみました。
興味のある方は、お読みください

たぶん、1節づつになると思います

********************************* はじまり *************************************************

私の人生は、今まで平穏で穏やかだった。
それは普通に幸せなことだと思っていた。
しかし今思えば、退屈だったかもしれない。

それに気づいてしまった今、昔の状況にはもう戻りたくない。

そう思えるほど、私の人生が変わったのだ。
穏やかな日常がいけないわけではない。
それを望む人がいて当然だが、日常が平凡だから穏やかに過ぎ、気づいてみれば、何時も同じ日々。
平々凡々。それがいいのは当然だろう。

ただ、
私の日常が静かに時を刻んでいたとするなら、今の日常は、一秒ごとに時を刻む音がする。
少しでも共に過ごせる時間を記憶したいと思うようになった。
それが私の生きている実感であり、生きてきた証拠になるのではないかと思うようになったのだ。

そんな私の時間の話だ。



時は少し前にさかのぼる。私は大学で働いている。
そう、教員という職業をしている。
共学とは言え、女生徒の多い学校なので、出来るだけ問題を起こさないように、目立たず静かに過ごしていた。
同僚とも生徒とも、一定の距離を保ち、他人に踏み込まない、他人に踏み込ませない事を心がけていた。
それが、私の日常だった。
毎年夏休みになると、学校見学の日程が組まれる。
新入生を獲得するために体験入学をさせるのだが、その日程以外に見学希望が入った。
他の者はそれぞれの仕事が忙しく、手の空いているものは、理事長と、私だけだった。
体験入学以外の日の案内は、学校内を案内するしかない。
体験できるような物を用意することはできない。それでも、良いという先方の了解をとった上での、案内となった。
見学希望者に学校の魅力を少しでも多く知って欲しいと思っても、体験させるものがない。
個別に考えることは、苦手だ。私は事務的に済ませればいい、理事長が説明するだろうと安易に考え、引き受けた。

当日約束の15分前にセーラー服姿の学生がやってきた。
本人一人であった。
ハスキーな声に背中まである髪は毛先が綺麗にカールしていた。
栗色の柔らかな髪は、なんだかセーラー服と不釣合いに見えた。
理事長が中心となり彼女に学校の説明を始めた。私は、二人の後姿を見ながら、後ろを歩いていた。
時折、理事長が私に話を振ったが、私は相槌を打つぐらいで、たいした話は出来なかった。

理事長とは、同じ大学の先輩、後輩だ。
彼は、2年後輩で、今は私の上司になっているが、心許せる仲間である。
公私共に、彼とは持ちつ持たれつである。

彼は、学校の素晴らしさを語り、彼女は、食い入るように彼の話を聞いていた。
体験入学日ではないので、説明以外出来ないことが、申し訳ない様に思い、授業の体験をしてみるかと聞くと、彼女の瞳が輝いた。
理事長も久しぶりに教壇に立ち、緊張していた。
私は、理事長と彼女を交互に見た。
彼女は、教壇に立つ理事長の言葉を真剣に聞いていた。
30分ほど講義が終わり、私と交代した。

私は、何を話そうかと彼女を見た。
何気なく見た彼女と視線が合った。一瞬、時が止まった。
それは数秒か数分か、わからない。
いつだって、同じように生徒を見るが、視線を合わせたことなど今までなかった。
ましてや、視線が、釘付けになるようなことはなかった。

きっと初めてだ。

その視線を、私はそらすことが出来なかった。
そして彼女も、視線をそらすことはなかった。
二人は確かに見詰め合っていた。不思議な時間があった。

私は自分の専門分野の話をした。
説明するとき、彼女に背を向け、黒板に文字を書きたくないと思った。
出来るだけ正面を見ていたかった。このような思いを持ったことは、初めてだ。
視線の先には、何時も彼女がいた。
私の話で彼女の表情の変化がわかる。
これほどまでに、話す言葉に神経を使ったことがあっただろうか?
信じられないほど、言葉があふれてきた。
話の間、幾度となく目が合ったが、彼女は視線をそらすことなく、まっすぐに私のほうを見つめていた。
その時、心から、私の持っている知識を、彼女に教えてあげたいと思った。
理事長より少し長めに話しただろうか。
何時もの授業に比べたら、半分以下だろうが、話し終わった後の高揚感と、教える楽しさを感じている自分に驚いた。
彼女により、忘れていた何かを、思い出した気がした。

昼食をとった後、理事長は、彼女と事務的な話をしていた。
私は、少し離れたソファーに座り、彼女を見つめていた。
彼女は、バッグの中から取り出した筆箱から、古びた万年筆を取り出し、書類を書き始めていた。
高校生の彼女には不釣合いに感じるその古びた万年筆は、私の視線を釘付けにした。
そんな私の視線に気がついたのか、彼女は、「私のお守りです」そう言って、大切そうに、テーブルの上に置いた。
しばらく理事長との会話を眺めていると、窓から差し込む日差しの暖かさに、私は、うとうとしていたようだった。
時計を見ると、数分だが、確かに私は、寝てしまっていた。彼女は、話も終わり帰る用意をしていた。
「今日はありがとうございました。」彼女は私の前に来て、挨拶をした。
「来年また、会いたいですね。」私は、簡単に返事をした。
理事長は彼女を送り部屋を出て行った。

私は、ソファーに座りながら、窓の外を眺めた。
8月の太陽は、ぎらぎらと輝き眩しかった。中庭には、理事長と話しながら歩く彼女の姿が見えた。
室内に目をやると、先ほどまで彼女の座っていたテーブルに、彼女の万年筆が置いてあった。
「私の宝物です。」という彼女の言葉を思い出した。

私は、万年筆を手にすると、走り出していた。
エレベーターは、1階にあった。待つ時間がもどかしく階段を駆け下りた。
彼女の姿を捉えたとき、校門のところで、挨拶をしているところだった。
振り向いた理事長が、私に気がついた。「忘れ物」と、大きく口を動かした。
理事長は、「私か?」というように、自分を指した。
「違う」と私は、首を横に振り、彼女のほうを指差した。
「私?」というように、彼女は、自分を指差した。

私は、万年筆を指差し「忘れ物」と大きな口で言うと、彼女は、「あっ」というように、大きな口をあいた。
慌てて、私のほうに駆け寄ってきた。
「忘れただろ?」
「ありがとうございます。」
万年筆を手渡すと、夏の太陽に負けないほどの笑顔で微笑んだ。
私は、ほっとした。彼女は、走ってきた私の額の流れる汗を、軽く拭いた。
驚いた。子供だとばかり思っていた彼女の仕草に、大人の女を感じた。

「いいよ・・・」

そう言って、彼女の手を止めた。
彼女のその行動は、私を驚かせ惑わせた。
彼女のハンカチで私は額から流れる汗を拭いた。
暑さだけではない汗も流れているような気がして、幾度となく額を押さえた。
私は、もう少し彼女と話しがしてみたくなり、「帰りは、地下鉄?」と聞いてみた。「はい」と答える彼女。
「送るよ」そういって、私は、彼女を地下鉄まで送ることにした。

彼女と話してみたいと思ったが、何を話せば良いのか、思いつかなかった。
彼女のほうが気を使いあれこれ話しかけてくれるものの、単調な返事に、会話かなかなか進まない。
もどかしいまま、地下鉄に向かう階段を降り始めていた。少し落ち着いたのか、急に気がついた。
私は彼女のハンカチを持ったままだった。
額を拭いてしまったハンカチを、そのままか返すわけにはいかない。
背広のポケットから、ハンカチを出し、
「ハンカチ借りてしまったから、これを使って欲しい。」
「いいですよ。」
「クリーニング上がりで、綺麗だから大丈夫だよ。」
「良いですよ。私、他のハンカチ持っていますから!」
少し疑り深い目で、彼女を見ると、鞄の中から違うハンカチを出した。
それを見ると、強引に渡すわけにもいかず、ポケットにハンカチを戻した。

それでも何か、接点を探そうとしている時、自分の名詞を渡してなかったことに気づき、胸のポケットから名刺を出し、彼女に渡した。
「何か質問があれば、聞いてくれて良いからね。」
「一之瀬正隆先生なんですね。」と彼女は、言った。
彼女の口から、私の名が出た時、心臓が大きく脈を打った。
その時、私は、もう一枚名刺を渡した。
「ハンカチ送るから、アドレス書いてくれないかな。」
「返さなくても良いですよ」
そう言われて、素直に引き下がってしまっては、いけない。
半ば強引に、アドレスを書いてもらった。

なぜそこまで強引だったかというと、私は彼女の名前を聞いたはずなのに、忘れていたからだ。
思い出そうとしたが、思い出せなかった。私は確かに、学校案内を軽視していた。
理事長がいることで、私はおまけぐらいに思っていた。
共に周るうちに、彼女に教えられたように感じ、彼女に興味を持ち始めた、出足で私はミスをしてしまったことに、気がついたのだ。
最大のミスだ。

名刺の裏に彼女はアドレスを書いてくれた。
「ありがとう」
「本当に、返さなくて良いですからね。」
その口調に、「返さないで!」というような強い意志を感じた。
私は名刺をポケットにしまった。彼女は切符を買い、改札に向かった。
「大下君」彼女は振り向いた。ハンカチを握った手を前に出し「ありがとう」というと、彼女は軽く会釈した。
そしてホームに向かって歩いていった。時刻表を眺め腕時計を見る。
かばんにコインケースを戻す姿を、私はじっと見ていた。
ホームに地下鉄が着き、彼女は乗り込んでいった。
彼女は、私の位置から見える席に座ったが、私のほうを一度も見ないまま、電車は、時刻どおり発車していってしまった。

手の中のハンカチを握り締めた。私は、彼女が振り向くことを期待したのだ。
なぜだ・・・
何を期待したのだろう・・・
名刺を取り出し、「大下雛美礼」と心の中で呼んでみた。
私は確かに、彼女に何かを期待したのだ。

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