四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

僧りょに催涙弾 NHKニュース7時

2007年09月26日 19時28分24秒 | 社会問題
わからん。どうして、僧りょを僧侶にするのか?

催涙弾は漢字としては難しい、たぶん「さいるいだん」と読めるひとは少ないかもしれない。それではさいるい弾、あるいは催るい弾、さい涙弾、などとしても良いのかもしれないが、漢字とはそういうものではない。この一太郎の変換にしても僧侶とすれば僧りょとは出てこない。

ほとんど意図的に僧りょと使っているのであろう。

坊主の団体からはクレームが来ないのであろうか? 漢文仏教の日本ではお経はすべて漢字である。

日本文化の衰退で日本はますます醜い国になっていく。


少数派を支持した時代 判断能力と才能

2007年09月26日 14時17分37秒 | 美術・建築・工芸
今では出版社も売れなさそうな本は出さないようになっている。
それが売れるか売れないかは出版してみなければ分からないのであるが、出版する前から出版会議があり、編集部と営業部がぶつかり合う。

大体、売れそうにないものは通らずに没になる。それは最初編集者から編集長にあげられる前に没になることが多い。

今はそれが良いか悪いかでは判断しない。売れるか売れないかが問題となる。会社自体が大規模化し、社員の給料は作家などよりもはるかに高くなった時代である。

著名な大家でも出版にこぎ着けるのは難しいと言われている。いまでは著名な大家もいなくなってしまったが、ついこの間までは多少は生き残っていた。

いま文学で食えるのは学者だけになっている。学者に才能が備わっている場合は極めて低い。能力はそれなりにあるであろう。

気質と才能は関係している。ブログは誰でも書くこともできる。いっぱしのことを書くことは、少し教育を受けていれば誰でも書くことができる。しかし、スピリッツを効かせることは難しいと思える。

日本の読者層並びに出版界見ていると、プルーストやジョイスやサルトルなどがたとえ出てきても、日本の中では育ち得ないだろうと思える。

私の知り合いでもブログを書いているが、毎日それを閲覧しているのは私一人のようである。カウンターを設置しているから、そのカウンター数を見ると毎日一番だけあがっている。

これだけブログ数が多い中、宣伝もしないで見ず知らずの人がたどり着くのは至難のことであるし、ブログを読んで自分に関係する内容であるとか、読んで面白いとかいうことはそうそうにあるものではない。

有名人が書いているブログにしても推敲ができる時間を割けることはまず無い。私もほとんど読み返していない。

読み返すと必ず脱字・誤字・ご記入・誤変換・文章の乱れを発見する。読み返すと嫌になるし、紙のようにぱらぱらとめくって書き直すことが、面倒である。

つまり、便利さの中の不便な状態を機械は持っている。
この行為は打つのであって、書くのではない。パチンコ玉をはじき出すのに似ている行為である。



生まれて来た以上 ある程度の地獄を背負っている

2007年09月26日 13時48分37秒 | 未分類
地獄を背負って生きているのは日々実感することである。
この荷物が重いからと言って、この荷物を投げ出すことはできない。

投げ出せばもっと思い地獄を背負うことになる。
それが人生の経験である。

おぼっちゃまはこの経験則を学ばないものと見える。

しかし、地獄の口は何処にでも開いているが、天国の口だけはどこにも見あたらないでのある。

私は錬金術(alchemy)から煉丹術まで試みたが、やはり天国の入り口は滅多に見つかるものではないようだが、私は発見しているのである。

人生とは辛いことの連続である。たぶん私の辛さはダブルオーセブンよりもスリルに富んでいるであろうが、実際連続的に危機一髪の状態が続くと、人間はへとへとになり、生きる気力も失われてくる。

何をやってもまた危機一髪か? シジフォスの地獄になっているのである。あまり汁を吸ったことのないものは他人を楽しませることもできないであろう。

いったいそういう人間に天国の口が開くということは無いのである。私はキリスト教徒では無いが子どもの頃から聖書とのつき合いは長い。

金持ちの天国に入るのは駱駝が針の穴を通よりも難しい。
私が金持ちなら、駱駝が入れるほどの大きな針を作るであろうが、神さはは更に富士山より大きな駱駝を生み出すであろう。

結局金持ちには天国の入り口は用意されないのである。これは譬喩であるが、地獄を背負って生きていることは天国の入り口を見つける糸口になる。

それは地獄という苦しみから天国という解放の世界を日々心がけで探すからである。

貧しきものは幸いなりとはこの言葉に当たる。



喫煙しなくとも世の中は汚れていく それより他者の迎合の方が地獄に行く

2007年09月26日 13時16分57秒 | 事件・事故・自殺
だいたい女のヒステリーから禁煙運動は始まった。

最初はアメリカ、その次はシンガポール、そして日本となり、ヨーロッパまでが禁煙運動に走り出した。

その主なる理由は肺ガンになる、心筋梗塞、脳卒中、煙たい、臭いなど。

それでは、他に病気を併発するものはないのかというと、一般に食べられているインスタントラーメンやレトルトものや弁当などの加工食品、生ものまで着色・防腐剤・酸化防止剤などがいたるところに使われている。魚でも干し魚・刺身・寿司材にまでこれらのものが使われいないものはないのである。これらの食品添加物は厚生労働省が許可しているから安全であるというが、カネミ油症事件、森永ヒ素ミルク事件、血液製剤など、薬害のすべては厚生省ならびに厚生労働省の許可があったものばかりである。

学者にも政府のお雇い学者や製薬会社から研究費を貰っている学者は国民の安全に対してはあまり興味がない。それゆえに、何でも安全説の方に傾きがちである。

しかし、発ガン性があると言われているものは少なくないし、日本人の出産の奇形率は放射能汚染地域を除いて世界一だと言われている。

それにはこれらの食品添加物が影響しているだろうとも言われているのである。1回に体内に摂取する量は微量でも、国民総体が年間に摂取する量は数万トンにも及んでいるわけである。

先にも書いたが刺身・寿司材にまでこれらのものが使われているのである。ちなみにイオンで売っている刺身のパックの品書きをみると使われている添加物の名前が印刷してある。いまは大抵のスーパでも添加物の名前が印刷してある。

養殖物に関しては飼料の名前は書いていない。河豚の抗生物質使用は問題になったが、問題になっただけで使用が禁止された訳ではない。だいたい養殖や家畜の餌に抗生物質は欠くべかざる材料になっているのである。

しかし、タバコのようにうるさく言わないのは何故であろうか。

油を取ってみてもノルマルヘキサンを使い、醤油にしても脱脂加工大豆(ノルマルヘキサンで油を搾り取った大豆滓)を使っていながら、ほとんど反対運動は起こらない。

自動車の煤煙、タイヤの磨耗による粉塵はタバコの被害どころではないのである。
大衆は訳がわかって流れるのではなく、流れる方向へ流れる性質をもっている。

大衆心理は流れる前には制御しやすいが、一端流れてしまうと土石流と同じで制御しづらい。

禁煙運動などはこれに近い。いまタバコで死ぬよりも仕事に出てストレスが溜まり、精神病になり、鬱になり、自殺する方が数が増えている。しかし、仕事に行くなとは誰も言わない。安倍晋三は仕事を放り出して命を大事にした。そして命を大事にすることで批判されているのである。だから、世間では仕事に行くなとは誰も言わない。

タバコを買うな吸うなと人々は口を酸っぱくしているが、家を買うなとは誰も言わない。家を買ってローンが払えず死んでいく人の方がタバコで死ぬ人間よりも多いのである。
住宅ローンの焦げ付きで世界の株価が暴落したのはつい先日のことであり、いまもその問題がくすぶっている最中である。しかし、家を買うなとは誰も言わないのである。

CMでは不動産の宣伝は歌舞伎役者まで活発にやっているのである。

世の中を汚すのは人間であるが、その人間を生み出すセックスを新婚夫婦に対してやってはいけないとは誰も言わない。俺にもやらせろの世界なのである。

問題は女のヒステリーが男にも移ってしまったということである。

メス化する自然になっていることの方が恐ろしい。ちなみに私はタバコは吸わない。

1円で買える本
井口 泰泉 デボラ キャドバリー
集英社(1998-02)
定価 ¥ 2,100



ビジネスを標榜する人々と私は無縁である

2007年09月26日 11時55分17秒 | 未分類
たしかに私の悪い癖でこのブログというものの存在を知っていたが、長い間手を付けることが恥ずかしい気がしていた。

最近、何か浮かんだら書くようにしているが、内容は自分でも分かっているが、お粗末なことばかりである。

生まれて来たものは、死ぬまで生きる。これは当たり前であるが、人々は都会のコンクリートとガラスの近代的なオフィスや鉄やガラスやゴムによってアスファルトの上を走る自動車に憧れて生活をしている。

子どものころから好きでもない、表面的な学習を繰り返して、それに勝利するために高学歴の世界に行き、都会のオフィスに入ることが親子共にユートピアと考えている。

こういうのがビジネスマンの典型である。たしかに工場や現場仕事のような汚れた仕事、立ち仕事の辛さや、さまざまな不便から逃れることができるようであるだろうが、高度情報化の波は、このオフィスと工場や現場を益々乖離させる働きがある。

最近アスベストの問題は遠のいているが、科学的な発見、材料工学や高分子、光触媒など新しい分野で企業は金儲けをしようとして、効果を単に金儲けできるところだけで判断する。

しかし、アスベストもまさにそのような一面だけで世の中を汚染してきたのである。最後に何が残るか、健康被害と生命の危機である。

人間は、死ぬまで生きると最初に書いたが、人間の生き方の選択肢は自然状態でも極めて狭いが、科学の発展や民主主義の枠の中で、ますます狭くなっている。

大八車の時代には大八車同士の衝突はそれほど多くは無かったであろう。
しかし、これだけ自動車が行き交えば、自動車同士の衝突は増え、歩行者への危害も増えるに違いない。

電子レンジの中のコップの水がマイクロ波によって加熱させられ、分子同士が衝突する確率がたかまるように、今の時代は動きを速くする故に衝突は避けられない。

自動車事故は飲酒運転が原因のように言われ出しているが、平常の運転での事故の法が件数は多いのである。

人々は道路交通法を知らないで運転しているし、知っていてもそれらは無視されているし、尚かつ法律そのものに不備があるばあいがあり、道路の設計が間違っている場合もある。

とにかく路上は危険な場所であるということを知るべきで、家族全員で一台の車に乗ることは避けなければならない。

私も田舎にいるため、自動車を持っているが、他者が乗れないように工夫している。最近は大雨のとき位しか乗らないようにしているが、かえって大雨が降るとどこへも行かないようにしているため、車にのることも稀になっている。

大抵は自転車で間に合っている。夜間帯に視認性を良くするためヘッドライトは3個付けている。そのうちの一つは点滅式である。

ビジネスが加速して、たとえば株価の値段が上がり資産が増えたとしても、それは数の上でのことで、そういう資産は直ぐに下がってしまうのである。

ゼロサムゲームといわれてから数十年が経過しているが、誰か得をすれば誰かが損をしているのである。

得をする人間の数は少なく、損をする人間の数は多いのである。みんながみんな血眼になってマネーゲームに夢中になるが、もうかるのは元締めである。

世の中アフィリエイトばやりであるが、私も偶に書籍を紹介しているが、ここに訪れる人の数もすくなく、案内書籍をクリックする人もほとんどいない。

たぶん、いまやアフィリエイトばやりのために、アフィリエイトを回避して、直接アマゾンなどへ行って、調べるのであろう。

私はいまだ1円も手にしたことがない。たぶんコンビニでバイトした方が現金を手に入れる確率は高いのである。しかし、人々はアフィリエイトで生活が成り立つように考えるのはなぜだろうか。

やはりそこには意識のずれがある。宝くじを買う人は自分が当たるかもしれないと考えるように、参加すれば自分は成功するかもしれないと考えるのである。

たしかにそれを全面的に否定することはできないが、取らぬ狸の皮算用であり、待ちぼうけである。緻密な設計をできない人間にはプロの道は約束されていない。

プロゴルファーの上田桃子は最近頭角を現してきた、以前から注意して見ていたが、なるほど出るものは出て来ると思っていたが、得意とするパットは、正確に彼女の頭の中でイメージが浮かぶから、はずれることはないと確信するのである。

あやふやに物事を行おうとしても事が成功するはずは無いのである。

ビジネスと名の付く肩書きをもつ多くの人は、当たるかどうか分からない宝くじをちらつかせているような存在である。




オーマイニュースの市民記者たち

2007年09月26日 00時07分55秒 | 社会問題
だれでも記者になれる時代になってきた。どこの新聞社通信社を見ても記者の質がどんどん下がっている。

さらに市民記者などというものが登場してきた、訳の分からぬ取材記事が登場している。

yahooBBの無線LANの拠点としてマクドナルドが選ばれている。一部のマクドナルドだけであるが、この無線LANをするために、マクドナルドに陣取って、無線LANだけをして、飲食はしないでよいと考える市民記者がいるようである。

ちょっと待った、私の思考ではコーヒーも頼まないで店内に入り込み無線LANだけをやってよいという考えがまず浮かんでこない。

社会部の記者はずうずうしいというのは知っているが、市民記者というのはさらにもっとずうずしいのである。

いや、ちょっとわからない。マクドナルドで水だけ頼んで出るとか、ミルクとシュガーを貰って、便所を使って出るとか、の行為と大差がない。

断れば便所くらいは使えるであろうし、実際断りもなく便所だけ使う人間もいることはいる。

しかし、いまや無線LANだけをやってマクドナルドを後にするという発想ができるのである。

しかも、そのことで店員に注意されるとしつこくクレームを入れるというのであるから、なかなか大した度胸である。こういうのが親になって学校にクレームを入れ出すと若い教師はどんどん自殺に追い込まれていくのであろう。

ついでに、この記者は眼鏡ブスである。ブスと美人の区別は付けがたいが、嫌みな顔をしていることだけは慥かである。

わたしも嫌みな顔をしているとよく言われる。


筑紫哲也NEWS23 こちらは僧侶を僧りょ

2007年09月25日 23時27分37秒 | 社会問題
いつまで筑紫哲也なのか分からないNEWS23であるが、ここに来るニュースキャスターの女はNHKから流れてくるのが定番になっている。

東大の医学部は国立で一匹の医者を作るために、莫大な税金を使っている。
ついでにNHKもアナウンサーを育てるために我々の視聴料で莫大な銭を使っている。

つまり、国立やNHKで育てて貰っているのは我々の懐の金を抜き取ったおかげである。

筑紫はガンで死にかけているのであろう。安倍晋三のような仮病ではないのである。
それなのに未だ復帰のめどもないのに、NEWS23に筑紫の名前はいらないであろう。

この番組はTBSのNEWSですでに放送されたものの寄せ集めである。つまり商品で言うとアウトレット商品である。

僧侶が僧りょに化ける必要はないのである。お昼や夕方のNEWSでも僧侶になっているものが、NHKのように僧りょにスル必要はないのである。

たぬきのような女アナウンサーは人気があるというが、たしかに日本では狸は人気がある。最近は館林の分福茶釜の人気が到来しているという。この夏の暑さでこの町の人気も鰻登りである。
TITLE: 分福茶釜 (1)
URL: http://sato4net.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/1_5ec2.html
BLOG NAME: sato4net
DATE: 09/29/2007 02:05:16
むかし、むかし、それは大むかし。ある人里離れた山奥に一匹の狸がおりました。その狸

病人らしくない病人 50代の若き首相は去っていく

2007年09月25日 21時38分50秒 | 社会問題
世の中では50の若造と言われるが、政治の世界ではオタマジャクシになる前のなんぼのもんじゃい、といわれかねない。

年寄りを支えるはずの年齢のものが、年寄りに支えられてどうする。しかも、国家の代表である。

子は親をみて育つが、国民は元首をみて行動するものである。

なんか、流行言葉にアベするというのがあるらしい。安倍川餅でも食べるのかと思いきや、今日は学校をおさぼりか、仮病で会社を休むことらしい。

特に若い者への悪影響は流行感冒のようなものである。感冒長官もやっていたのだから、意味は汲める。よく考えると感冒長官ではなく、幹事長であった。勧進帳の義経のように相手の目を眩まして、安宅の関を切り抜ける、仮病でごほんごほんと咳をしながら!

しかし、今やマスコミは同情的な方向に動いているが、私などは許すことができない気分である。



TITLE: 安倍川餅人気の商品
URL: http://ninki.inbu.info/2007/10/post_135.html
BLOG NAME: 人気
DATE: 10/04/2007 20:54:45
安倍川餅人気の商品は、静岡県名物の和菓子の1つで、柔らかい餅にきなこや餡子などを塗した物です。最近は、抹茶をまぶしたものなどもあるようですね。安倍川餅の由来は、江戸初期、徳川家康が安倍川近くにある茶店に立ち寄りました。そこの店主が、安倍川上流で取れる砂...

福田内閣は守りが弱いから短命に終わる

2007年09月25日 18時03分10秒 | 社会問題
残念なことだ。

せっかく福田さんが当選したのだが、大臣の顔ぶれは安倍内閣と大した顔ぶれの違いはない。

ここは斬新な組閣が必要であった。これでは国民のためにはならない。

結局、国は傾いて行く。

人材のいない時代である。いっそうのことファナックのロボットを大臣に起用する方が良いのかもしれない。

少なくとも大臣は自分で選び、10月の衣替えに向け、大臣も一掃すべきであった。郵便局も表面的には変わるのである。実質変わりようがないが、手数料は値上がり、いままで使っていた書式の書類も廃棄ともったいない限りである。

アーメン
AUTHOR: 編集者
URL: http://flv-p.net/hi/93
DATE: 09/26/2007 01:31:00
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人それぞれ問題意識が違う 人それぞれ好む食べ物が違う それでも何かを問題にし、何かを口にする

2007年09月25日 01時23分48秒 | 未分類
自分の価値観をあまり他人に押しつけようとは思わない。
たぶんそれは不可能に違いない。

共感の無いところには共鳴はない。
共にとか同時は英語だとシンクロである。

ネットワークではシンクロさせることが大切になる。
同期をとることが大事である。
ATMなどは非同期で通信を行わせるのであるが、これは高度な通信方法である。
その単位はセルという。

人間同士でも同期が合わないと合わないものである。ところが1対1で合わないものが、もう一人なり、もう二人なり入れると、どこかで同期をとることができる場合がある。

国民とは合わないもの同士の集まりであるが、どこかで合うものを持っていることもたしかである。

だから、纏める人間はそれらのことを冷静に判断しなければならない。

同期の桜が存在するように!

同期に関係した言葉は以外とよく使われている。シンパシー、シンクロナイズ、シンフォニーなど。

恨み辛みをいうと、これは必ず同期を取れなくする。

セールスの基本はイエス、バット、ノット。はいさようです。しかし、お客様、こういうものもございます。

最初にノーをいうバカ者が増えているので、これでは商売にはならない。人間関係もノーから始める奴には碌な奴はいない。だいたい、否定から始めるのは女に多い。視野が狭い証拠である。

昔のスッチーは親切であった。日本での国際線はJALしか無かったから、ANAが国際線を出す頃には質も低下した。

旺文社で出ていた『反対尋問』という厚い文庫を水平飛行になった国際線の機内で読んでいると、声を掛けてくれたスッチーは色白で賢そうで奇麗であった。すでにそのスッチーはわたしもその本は読みました。などと言ってくれた。

あまり関係のない話であるが、ANAのスチュアーデスがハワイでジャンボ機から落ちて死んだことはあまり話題にもならなかった。隠蔽されたからである。

国際線では各国のさまざまな空港に着陸するため、すべて空港内に続いているような蛇腹の通路と接触するわけではない。タラップがやってくるのを知らないで、ドアを開けてしまったスチュアーデスは、そのまま足を踏み外し落下して死んでしまったのである。

ANAが海外に出た当初はパイロットも経験が浅く、着陸が危険な状態だった。何回も空港の上で旋回し、その数は千回にわたることもあったという。

派遣のスッチーもいまでは数多く出回っているらしい。ジュリアナ東京の踊り子がGOODWILLの派遣社員になり、スッチーになっているといううわさ話も聞いたことがある。

昔はそれなりの人たちがそれなりのポジションに付いていた。もっと昔は階級制度があり、それなりの階級が厳しい秩序の中で生きていたものである。

福田さんのサラリーマン時代もそうであったろう。そして福田さんの奥さんがスッチーをやっていた時代もそうである。

それぞれに職業の厳しさが人を育てていたのである。安倍晋三などは甘やかされて育ったために、同期をとることの難しさを知らないのである。

ネットワークでも同期を取るためにはその規格のために雁字搦めにしなければならない。交換機、ケーブル、プロトコル、スピード、周波数と勝手な振る舞いはゆるされないのである。

シンクロナイズスイミングでもたった一人の100分の1秒の乱れが美しさを乱してしまう。

福田さんはその点、乱れの少ない人である。戦後始めての乱れの少ない首相が誕生するのでは無いだろうか?

わたしは自民党は好きではないが、福田さんならこの時局を乗り切るか、少なくとも途中で投げ出すことなどはないだろうと思う。




漫画派と知的派の戦いは終結した 地方の自民党党員は土建屋などがかなりいる

2007年09月24日 21時22分15秒 | 社会問題
漫画派と知的派の戦いは終結した。

福田新首相は思索派である。小泉チルドレンの知的派は福田氏を応援した。

麻生氏を応援したのはいったいどういう連中であろうか?

いろいろな人間がいるし、東大を出ていても、バカは数限りなくいる。
予想以上のいい勝負であったが、この国家の危機的状況に人物を選ぶ方の人間の方が少なくなっている。

今は、早稲田卒の方が東大の学者の中でも幅を利かしている。評論家も実業家も早稲田出身が活躍しているという。

福田新首相も早稲田である。

以前、高田馬場の駅前から早稲田大学行きのバスに乗ったとき、バスの運転手が若い女性だったのに驚いた。

しかも、その運転手は沢口靖子よりも美人かと思えるほど美しいひとだった。えっ、ひょっとして俺は浦島次郎になって竜宮城にでも来てしまったのかと思った。

沢口靖子は堺の出身で一度あったことがあるだけに、この運転手との出会いは何か運命であるのか、と思っていると、直ぐに早稲田大学に着いてしまった。それ以来この美女とはあっていない。

国立は一期校、私大は早稲田、同志社の時代である。それ以降の大学の知的レベルは低下している。たぶん、意味はくみ取れないであろう。

自民党はこのまま国民の支持をえるのは難しいだろう。自民党の最後の首相かもしれない。つまり麻生の予想のしなかった高得票は一炊の夢を見たに過ぎない。


髪を染めることとは何か 犯罪との拘わり

2007年09月24日 01時54分16秒 | 未分類
最近では髪の染色は当たり前になってきた。髪染めが流行してから15年ほどが経つ。始めの頃は多少違和感をもって社会は対応してきたが、今では別段不思議がらないし、流行程度と考えられている。

いうまでもなく髪は身体の一部である。毛髪ともいうように毛の一部である。動物は身体一面に毛を持っている。人間も産毛をいれれば全身に毛を持っているのである。

つまり身体と密接につながっている。毛穴は発汗作用と呼吸もしている。
特に髪の毛は他の毛と違って、人間にとっては重要な意味を持っている。

日本人はこの毛をわざわざ髪と言っている。新井白石はカミとは人のことである。と言っているが、私はカミとなのつくものは、上であり、神様のカミであると考える。

つまり、うえにあるもの。天に近いものである。ヘルメス文書などでは天に近い頭蓋を特別なものとして考えている。球体の頭蓋は地球であり、天でもあった。アトラスはこの地球を持ち上げる力持ちである。人体では背骨が頭蓋を持ち上げているイメージから背骨のことをアトラスという。

ギリシア時代には地球は球体であるという考え方も一部にあった。エラトステレスは素数を発見する工夫をした哲学者であるが、地球の円周を測った最初の人としても知られている。

そういうわけで地球と頭蓋とは密接な関係で重要なものとして考えられていた。
今日でも脳は人間の臓器の中では他の臓器と異なる重要な器官であると考えられるようになっている。

その頭蓋に上に発毛している、髪の毛に、化学的な処理を施すということは、何にせよある程度の危険を脳にもたらせている。髪は直接的に頭皮から血管へと繋がり、頭蓋は血管を通す小さな穴を持っている。

最近の犯罪の傾向として、何か脳に異常を来さなければ行い得ないような犯罪が増えているから、その原因が頭髪に処理された化学薬品が電磁波をより多く吸収するので、電磁的な影響が犯罪との関係に影響を来しているのではないかと一部の科学者や思想家は疑いだしているのである。

電磁波は携帯電話からのものが直接に影響されやすく、小さな子どもも髪に染色をし、携帯を使っている。子どもの犯罪との関係も一応は疑っても良いのかもしれない。

あるインド思想では、アーユルヴェーダの医学が【アーユ(生命)、ヴェーダ(智慧)】重要なのは、宇宙からの微弱な電波を頭髪が受け止めるために、瞑想を行い、静寂の内にその宇宙からの微弱な電波を体内に吸収する必要があると考えられている。それらが体内に滞ることによって、智慧を授かるとも考えているのである。

毛の無い人はどうなのかというと、毛の無いひとにも毛根があり、産毛は生えている。

携帯で会話をするということは、脳に良からぬ刺激を与えていることになる。
音は空間の広がりの中で伝わってくるのが自然なのである。受話器やヘッドホンから伝わってくるのは本来の音の伝わり方ではない。こういうことを続けている人間に突発性難聴が来るのはうなずける。

森の中にはいると小川のせせらぎや様々な音が聞こえてくるが、かえってそらの音の中に静寂を感じることがある。

電波は宇宙からの様々な音波を遮っているため、現代人は静かなこころを失いつつあるのである。

一円で買える本
ジョン フェイガン
さんが出版(1996-12)
定価 ¥ 1,835




報道2001 アンパンマン竹中授と武部元農水相狂牛病大臣の嘘

2007年09月23日 09時29分50秒 | 事件・事故・自殺
報道2001年郵政民営化の議論を見ていての感想(腹が立つから)

地方が切り捨てられているのは構造改革が不足していると、この慶応大学教授はいう。構造改革がやり足らないというなら、参議院議員を途中で放棄して慶應の教授に返り咲かなければよいではないか。調子のよいのはあんパンのような顔からも伺えるが、こういう浅はかな人間が浅はかな小泉とコンビを組むのは理解ができる。ついでに武部などが入ればまさに新転覆トリオを組むことができるであろう。

身の立ち回りの巧い人間に地方の人間の苦しみは分からない。実際過疎地の実情はその中で生活をしてみなければ分からないものである。

都会の恵まれたバカ学生が集う大学からは、人の命を預かる医学部から集団強姦するような鬼畜が生まれ出、そこで教鞭を執っている教授の思想をそのような学生の魂へ埋め込み、人間でない行動様式を取らせているのである。

そんなところから地方にいる人間の苦しみは理解できない。地上に僻地などは本来ないのである。それを人工的に変えてきただけの話なのである。

人間は嘘つきであるが、地位が上がればあがるほど嘘を吐く傾向がある。

慶応大学、医学部の学生が集団強姦した事件をことあるごとに思い出すが、そもそも福沢諭吉の実学、金儲け主義を掲げて作られた大学だけあって、安っぽいイメージしかない。

優秀な大学ということで有名であるが、本質は強姦主義なのではないだろうか。
ドンキー・ホーテの社長も慶應出身だし、かなりあくどい不動産業の社長さんなんかも慶應出が多いと聞く。

福沢諭吉の『学問のすすめ』も功利的な書物であるし、『福翁自伝』を読むとやはり本質的な意味での人物ではないということが伝わってきた。

西脇順三郎の名誉欲もうなずけるところである。

地方は身体の部分で言えば手足である。手足が壊疽で腐れば、同体は手足がでなくなる。つまり、手足は非常に大切な部分である。脳だけでは身動きができないということである。自分の手足はどうでもよく、目・鼻・耳・口のある頭蓋骨の場所だけが大事であるということは、身を滅ぼすであろう。


富田 正文 福沢 諭吉
岩波書店(1978-01)
定価 ¥ 798



交通事故 飲酒をしなくとも事故は起きる

2007年09月23日 06時55分51秒 | 事件・事故・自殺
道路は日常生活体の中で一番危険なところである。
飲酒運転よりも正常運転の方が事故が多いのは何故か。
飲酒運転を強調しているが、自動車事故は人間が運転するために危険なのである。
工場では制御システムを導入しているため、人間のぽかりをできるだけ防ごうとしているが、道路ではそういうシステムがない。
車は走る凶器である。私は車がギロチンに見えて仕方がない。
子どもをもっている親はもう少し認識を高くしても良いのではないか?
あまり好きではないが、宇沢さんの本でも読んで下さい。

宇沢 弘文
岩波書店(1974-01)
定価 ¥ 735