深夜ふと目が覚めれば雨音が・・・停滞前線が南下してきたようだ。
だが夜が明けると雨は止み、御蓋山と若草山の芝がかろうじて見えはじめ、
昼前から日差しもあり、停滞前線が北上したのか。
11時、24.2℃、83% 12時、26.8℃、76%
だが明日にかけ停滞前線は秋雨前線の呈で上下し、こんな天候が続きそう。
来週になれば、太平洋高気圧は引っ込み、雨の後本格的な秋がやって来そう。
衣替えが必要になりそうですね。
NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「シュウメイギク・秋明菊」
キブネギク・貴船菊とも呼ばれるが、キンポウゲ科アネモネ属になる。
花言葉は「忍耐」と。
我が家のシュウメイギク、白は今盛り、だがピンクは終わりです。
盛りのシュウメイギクだが、本家の「キク・菊」小庭では白菊はまだ蕾
『白菊の目に立て見る塵もなし』 芭蕉
今日は上句のように芸術性の高い芭風を確立された俳聖「松尾芭蕉」の忌日。
大阪御堂で1694年の今日没し、享年50歳で『芭蕉忌』とされる。
時雨の句もよく詠まれ、旧暦十月の別名も「時雨」から「時雨忌」、
以前の俳号の「桃青忌」や「翁忌」とも呼ばれている。
常に死を意識されていたようで、辞世の句は詠まれていない。
次の二句が当てはまるとされている
『旅に病んで夢は枯野を駆け巡る』 芭蕉
『この道やゆく人なしに秋の暮れ』 芭蕉
話はかわり、奈良のピラミッドとも呼ばれる『頭塔』ってご存じですか?。
現在東側にあったホテルが取り壊され、東側と北側の全貌がよく判ります。
史跡「頭塔」は東大寺南大門から南に約1km、高畑町にある土製の奈良時代の塔で、1辺30m、高さ10m、7段の階段ピラミッド状の構造の土壇が石で覆われ
露出した13基の石仏は1977年に重要文化財に指定され、1986年の発掘調査で
14基の石仏が見つかり、そのうち9基が重文へ追加指定されている。
石仏は、毘盧遮那仏浄土、阿弥陀浄土、釈迦浄土、多宝仏如来、過去仏如来、
弥勒浄土などが刻まれていると考えられている。
発掘調査で、東西南北の各面に11基づつ44個の石仏が天蓋の中に配置されて
いたと推定される。
北半分は復元保存されており、
南半分は発掘前の頭頭の森に戻された。
見学入り口からで、近くのお世話されている方に電話にて300円で見学可
頭塔の名の由来は、かつて頭塔は奈良時代の悪僧とされる「玄昉」の頭を埋め
た墓との伝承からで、大江親通『七大寺巡礼私記』1140年に記されている。
実は土塔(どとう)がなまり、頭塔(ずとう)になったようで、
本来の頭塔の造営は、神護景雲元年(767年)に東大寺の僧で二月堂修二会行法
「お水取り」を創始した「実忠」が、東大寺別当の良弁の命により造った塔と
されている。
だが1986年の発掘調査でさらにその下から、6世紀の古墳を壊して造営された
「三重の土塔」が見つかった。
正倉院文書「造南寺所解」から、760年に別の人物が造営したものと判別され
良弁さんの命とは・・・位置的に大仏殿、南大門の延長線上にあり、
東大寺の南方への寺域の拡張を目指したものと指摘する意見や
巨大なストゥーパ(仏塔)を造営したかったかもしれない。
またこんな考え、最上部のもう一体の仏さまを祀っていたかもしれず、
立体曼荼羅を構成していた考えも提起されている。
なおこの頭塔に類似するものとしては、行基さんが関与した堺市の土塔がある
謎が謎を呼びますね。