曇り空の朝、最低気温は2.1℃から雲の隙間からの日差しもあり、ほんの一時
だけ二桁の10.1℃迄上がるが、日中は一桁台で冷たい風が吹き抜けている。
13時半、8.3℃、48%
奈良市中央公民館の奈良学セミナー「書は散なりー空海の書」お話は奈良市
在住の書家 日展会友「仁科 惠椒(にしな けいしょう)」さん
高知県四万十市での幼稚園の帰途、一人で一軒一軒書道の先生を尋ね歩き、
崖下の先生を見つけ書道を始められたと・・・すごい子供ですね。
話の最初は『書論』、平安末期の『夜鶴庭訓抄・やかくていきんしょう』藤原伊行
(世尊寺家6代目)により著された日本における現存最古の書論書からの話、
書道における「三聖」は、空海・菅原道真・小野道風
「三筆」は嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)・空海
空海さんがどちらにも登場しています。
室町時代、日本書道史を体系的に論じた尊円法親王『入本抄・じゅぼくしょう 』、
入木とは中国の「書聖」と言われる「王羲之」が木に書いた字が気に入らず、
削れば墨跡として木に三分も染み込んでいた故事に由来し、日本の書は、書の
神とされていた空海の書風を受け継ぎ、中国の書を越えたと書かれていると。
次は『書体』、漢字の書体は五体で『篆書(てんしょ)・隷書(れいしょ)・?・行書・
草書・楷書』の順に完成し、楷書は唐の時代に完成したと。
さて真ん中の?は約100年前の大谷探検隊の敦煙・トルファン文書の書体が
研究対象となり、この間を挿む書体ではないかという説も出てきている。
調べてみれば、龍谷大学図書館研究 113号から
続いて『書は人なり』、良書は人を磨くことに繋がる。
空海15歳で「志学」として儒教を学ぶ、
18歳で大学明経科に入学し、行書を学ぶ
20歳、大学を中退
24歳で宗教的寓意小説 『三教指帰』、儒教と仏教の修行者から在家男性信者
「優婆塞・うばそく」になると。(この書体と中国から帰朝後の書体を比較する)
三教指帰より
32歳、中国に渡り青龍寺に恵果を訪ね、胎蔵界、金剛界、伝法阿闍梨の灌頂
33歳、帰朝し大宰府滞在中に『請来目録』を献上
36歳、入京し、嵯峨天皇に「世説」の屏風を書し献上する。『性霊集』著す。
後記する
38歳、『風信帖』を書く
風信抄より
*上下運動を避け、平行移動で時間をかけて書かれており、真ん中を避け、
左右の間に隙間が広がり、右下に流れるような動きが絶妙です。
39歳、高雄山寺で金剛界灌頂を授け、『灌頂歴名』を書く
さて本題の書は散なりは・・・『性霊集』14より
先人の字をなぞらえて書く「臨書」、
"書も古の意に擬するを以て善しとす。古の跡に似たるを以て巧みなりとせず
所以に古よりの能書百家體別なり。
字の塊→心を学び、心を開放させれば、
上手になり、感性が泡のように吹き出し、宇宙と一体化する。
だがなかなか難しいこと。
また自分を出さずその書かれた人の気持を感じ、我を削りに削って最後に真の
個性、書のエッセンスをつかむ。本質が大事だという考え方を示された。
例えば、書の展覧会で、個性的なものより、通り過ぎた作品からもう一度振り
返させる作品が良いもので、当たり前のものの中から醸し出す品格と。
続けて『書の本質』について
"六書の萃楚を折めて、八體の栄華を摘る。轉筆を鼑態に學むで、超翰を草聖
に擬ふ。山水を想っては・・・・・・”
*鼑態とは王羲之の事で、書の本質を述べ、文字の関係性
つまり上下と行間のことで、余白を生み出している。
さらに『性霊集』14より
"古人の筆論に云く『書は散なり』。 ただ結裹を以って能しとするに非ず。
必ず須らく心を境物に遊ばしめ、懐抱を散逸す。 法を四時に取り、形を万類
に象るべし。此を以て妙なりとす。
*つまり王羲之の書は個性的ではなく、当たり前の書で、古くて新しいもの
最後に空海さんの字で一番好きな字を紹介くださいました。
今日で最終回だったNHK大河ドラマ『光るの君』の題字の素晴らしさを
かみしめています。
さて奈良では今日15日から18日迄、春日大社「春日若宮おん祭」の中心行事
午後1時からの「大宿所詣(おおしゅくしょもうで)」が最初でした。
講演が終わり、猿沢池まで行けば、「采女神社」も門が開いていました。
お参りをさせて頂きました。
大宿所まで5分もかからず着くのだが、やはり人出が多く、早々に帰宅へ。