◯◯◯ですから。

いいやま線とか、、、飯山鐡道、東京電燈西大滝ダム信濃川発電所、鉄道省信濃川発電所工事材料運搬線

信濃川発電所材料運搬線(姿付近)

2020-02-02 16:27:06 | 鉄道省信濃川発電所材料運搬線
 

まずは緑丸の辺りの話だ

材料運搬線は姿の集落を抜けると、信濃川のすぐそばまで来ていたと思われる

姿大橋の袂である





今立っている信濃川の堤防の下あたりを、川に沿って走っていただろうけれども、分からない

奥に見える農道を進んで行く



畑があって、竹藪である

それらしい地形は見えない

竹藪の中に突入



ちょっとそれっぽい地形が出てきた

しかし、すぐに採石所に飲み込まれ、痕跡らしい痕跡はこれくらいしか見つからなかった



 

つづいて青丸の辺りだ

ここは県道のせいで大きく地形が変わっている



県道から宮中方を見る

軌道跡は採石場からまっすぐこの辺りに通っていたはずなのだが、よく分からない



振り返ってみると、ここも地形が変わって良そうだが、川と言うか沢が流れている地形

材料運搬線は旧道の近くを走っていたはずだからと、旧道を歩き始める

その時、何か対岸の斜面にある



何か対岸にあるぞ!石積みの構造物だ!



県道から沢を迂回する。県道との位置関係はこういう感じだ。

地形的には軌道の様子が分かるものではなくなってしまっているが、
あの石積みの構造物は橋台に違いない



斜面を少し降りてご対面







沢まで降りると、橋台の下の部分だけコンクリートで護岸されていた



橋台の上に立って、宮中方を見る



笹薮の中にも入って行ってみたもの、それらしいものは発見できず

しかし、橋台のようなものを発見できただけでも良かった

材料運搬線はここを通っていたのだろう

信濃川発電所材料運搬線(安養寺付近)

2020-02-02 15:28:13 | 鉄道省信濃川発電所材料運搬線


現在位置は緑丸で示した場所の下の方の農道の中である

農道から宮中方を見る

立っている場所はほぼ軌道跡と思われる場所であるのだが、
痕跡と呼べるものは農地改良によって一掃されている



そして、材料運搬線はここから川を渡っていたはずなのである

そして、振り返ると



結論から言うと、それらしい地形じゃない

ただの崖だった、写真すら撮っていない

斜面をかけずり降りてみるも、堰堤というか土石流防止の治水工事?



右側を見ていただくと、若い杉が生えている

この辺り一帯が造成されたような地形になっており、造成に伴って植樹されたものと思われる



対岸から宮中方をみると、さっきの写真すら撮っていない斜面が見える

なんとなくすり鉢状になっており、さっきも宮中であったように切取的なものを後年になって埋めた地形なのかどうかも分からない

どうにも分からないので、それならばとここの治水工事が行われる前の空中写真を調べた

 

左は昭和51年の空中写真である

ちょっと拡大して、昭和22年頃の写真とも比較してみよう

 

切取と盛土の様子がはっきりと見える

上記紹介の写真から、特に宮中方はかなり早い段階から切取によって高度を下げて、盛土で谷底を越えていたと推測される

宮中方の切取に沿って農道のような線も見える。相当、深く広い切取だったろうといえそうだ

越えた先もかなり深い切取になっており、そこは現在は県道となっている

結論から言えば痕跡は見つけられなかったが、現地を確認して諦めもついたってもんである



 

続いて、青い丸をした辺り、安養寺の集落の部分である

材料運搬線は集落を迂回するように通っていた様子が見られる



県道上から、集落の縁の辺りを撮ったもの

それらしい感じは分からない

更に進んで行く





キノコ栽培している辺りから、かすかに切取っぽい地形と、
緩やかな左カーブが見て取れる







かなりそれっぽい雰囲気

すぐ右側は河岸段丘の縁で、信濃川へと落ち込んでいる

位置的にも軌道跡だろうと推測される

木製の電柱は由来が不明ながら、一本だけポツンと立っていて象徴的であった

この先まで歩いて行ったが、これ以上は安養寺の集落内でそれらしいものは見つけることが出来なかった