信濃川の川の流れがここまで変わるほどの歴史の流れの中で、未だ残る材料運搬線の痕跡を追う
信濃川発電所工事が決まり、材料運搬線などの準備工事から数えると100年も経つ
現在紹介している区間が実際に工事で使用されたと推測されるのは戦前から戦後にかけての一期工事・二期工事くらいの段階であるから、
材料運搬線としての運転時期~廃止までは準備工事時期と比べると幾分は減じるものの、その発端は大正期であることは記しておきたい
東京電燈(現・東電HD)信濃川発電所と鉄道省(現・JR東日本)信濃川発電所の両発電所の取水により信濃川の川の流れが大きく変わっていくのも事実だ
それくらいの時間の流れを感じつつ、私は現地を歩くのだった
さて、今回は〇の落書きも無い
珍しく、ほぼ全線で軌道跡を紹介できる程度の遺構が残っている
ドリームパ〇ルの工場の裏手から、切取が続く
ドリームパ〇ルの工場敷地は痕跡を見つけるどころかって感じだ
実際、この切取から工場敷地までも2m程度は段差があるくらいの、地形ごと吹き飛んでいる部分である
工場裏手から切取を歩き始める
切取&盛土の連続
写真では分かりにくいが、きっちりと路盤の両脇には排水路と言えるような溝まで感じる程度の、
軌道跡らしい雰囲気のまま山の中に残っている
切取なんか山側斜面が相当高いほどで、これほどの工事を材料運搬線のためにやっていた信濃川事務所の本気を感じる
河岸段丘の際をいく軌道跡は、ちょっとすぐそこに信濃川への崖っぷちを感じるような場所である
これでもできるだけ通しやすい場所を通した結果だろう
途中、農地改良で水田となっている場所は痕跡も残ってないが、すぐに軌道跡は復活する
林への入り口
ここには左下から右へと沢が通っている
農地の縁には水路なり小川なり沢がある
急峻な地形を形成する河岸段丘を行く信濃川発電所材料運搬線にはよくあるパターンである
とはいえ、私はそれを当時の痕跡だと断言できる知識も無いので紹介とする
ここの場所は暗渠を造って材料運搬線は越えていたと推測される
沢に降りる
当時のものかどうかは分からない
ただ、これまでの石積みの綺麗な遺構をみてると、
どうしても信濃川発電所由来なんじゃないかと思える意匠だ
そんな記録は私も見ていない
こういう暗渠を造ったという記録を見ていない
しかし、それっぽいという感覚があるだけだ
更に千手方に進めば、切取&盛土の連続
特に残存する盛土の綺麗さは随一で、場所によっては石積みによる土留めすら残る次第である
豪雪地域にある根曲がりの樹木が目立つ中、それだけの積雪に数十年も耐えてきた石積みが残っているのが嬉しい
しかし、材料運搬線の軌道跡は、現道に飲み込まれる
無残過ぎる終わりである
ここで、軌道跡の痕跡は一切が飲み込まれる
現道に上がって撮った、軌道跡の終わりだ
振り返れば、ここまではっきりとした軌道跡が残っている
俯瞰しても石積みの跡が見て取れる
最後は現道から車を止めた場所まで帰る途中に撮った写真だ
現道からもこれだけ痕跡と言える姿を残している
ここを、小さな機関車に引かれた列車が行き交っていたのだ
信濃川の軽便用機関車”ケ” なのかは知らんが
ただ、ここに列車が通っていただろう、それだけで十分