工事軌道があったと信濃川発電所工事史に記録されている場所に、それはあった
廃線を調べる中で、レールが残っていることほど、嬉しいことは無い
やっぱり、レールというのは鉄道の痕跡として象徴的だと思う感覚が私にも根深い
施設群の中で、いかにも材料運搬軽便軌道のものと言えるレールはなかった
そんな中で、思いがけず、レールがあった
何より、森林鉄道や鉱山鉄道にあるような細いレールで、本線規格のものではないことは明らかなレールである
おそらく、信濃川発電所の材料運搬軽便軌道で使われていたレールだろうことが推測される場所と、レールの細さである
あいにく、錆止めのためか、厚塗りのペンキで刻印もほとんど読めないながらも、いくつか刻印が見える場所もあった

1922 USA くらいは読める
1922年と言えば、大正11年
それこそ敷設され、試運転までされながら、活躍は幻となった大正年間の信濃川軽便で敷設されていたレールだろうか

<CONSTECO> アメリカ ベスレヘム・スチール社スチールトン製材料の代理店らしい
先日の桑名川駅構内に残る飯山鐡道当時のものと思われる古レールもそうだが、
まだまだ米国輸入レールが多かった時代背景を鑑みると、十分にあり得る話だ

このレールが残る場所の、工事当時の映像が残っている
信濃川発電所三期・四期工事における工事軌道についての記事で、もうちょっと詳しく紹介しようと思っている
廃線を調べる中で、レールが残っていることほど、嬉しいことは無い
やっぱり、レールというのは鉄道の痕跡として象徴的だと思う感覚が私にも根深い
施設群の中で、いかにも材料運搬軽便軌道のものと言えるレールはなかった
そんな中で、思いがけず、レールがあった
何より、森林鉄道や鉱山鉄道にあるような細いレールで、本線規格のものではないことは明らかなレールである
おそらく、信濃川発電所の材料運搬軽便軌道で使われていたレールだろうことが推測される場所と、レールの細さである
あいにく、錆止めのためか、厚塗りのペンキで刻印もほとんど読めないながらも、いくつか刻印が見える場所もあった

1922 USA くらいは読める
1922年と言えば、大正11年
それこそ敷設され、試運転までされながら、活躍は幻となった大正年間の信濃川軽便で敷設されていたレールだろうか

<CONSTECO> アメリカ ベスレヘム・スチール社スチールトン製材料の代理店らしい
先日の桑名川駅構内に残る飯山鐡道当時のものと思われる古レールもそうだが、
まだまだ米国輸入レールが多かった時代背景を鑑みると、十分にあり得る話だ

このレールが残る場所の、工事当時の映像が残っている
信濃川発電所三期・四期工事における工事軌道についての記事で、もうちょっと詳しく紹介しようと思っている