◯◯◯ですから。

いいやま線とか、、、飯山鐡道、東京電燈西大滝ダム信濃川発電所、鉄道省信濃川発電所工事材料運搬線

信濃川発電所材料運搬線(安養寺付近)

2020-02-02 15:28:13 | 鉄道省信濃川発電所材料運搬線


現在位置は緑丸で示した場所の下の方の農道の中である

農道から宮中方を見る

立っている場所はほぼ軌道跡と思われる場所であるのだが、
痕跡と呼べるものは農地改良によって一掃されている



そして、材料運搬線はここから川を渡っていたはずなのである

そして、振り返ると



結論から言うと、それらしい地形じゃない

ただの崖だった、写真すら撮っていない

斜面をかけずり降りてみるも、堰堤というか土石流防止の治水工事?



右側を見ていただくと、若い杉が生えている

この辺り一帯が造成されたような地形になっており、造成に伴って植樹されたものと思われる



対岸から宮中方をみると、さっきの写真すら撮っていない斜面が見える

なんとなくすり鉢状になっており、さっきも宮中であったように切取的なものを後年になって埋めた地形なのかどうかも分からない

どうにも分からないので、それならばとここの治水工事が行われる前の空中写真を調べた

 

左は昭和51年の空中写真である

ちょっと拡大して、昭和22年頃の写真とも比較してみよう

 

切取と盛土の様子がはっきりと見える

上記紹介の写真から、特に宮中方はかなり早い段階から切取によって高度を下げて、盛土で谷底を越えていたと推測される

宮中方の切取に沿って農道のような線も見える。相当、深く広い切取だったろうといえそうだ

越えた先もかなり深い切取になっており、そこは現在は県道となっている

結論から言えば痕跡は見つけられなかったが、現地を確認して諦めもついたってもんである



 

続いて、青い丸をした辺り、安養寺の集落の部分である

材料運搬線は集落を迂回するように通っていた様子が見られる



県道上から、集落の縁の辺りを撮ったもの

それらしい感じは分からない

更に進んで行く





キノコ栽培している辺りから、かすかに切取っぽい地形と、
緩やかな左カーブが見て取れる







かなりそれっぽい雰囲気

すぐ右側は河岸段丘の縁で、信濃川へと落ち込んでいる

位置的にも軌道跡だろうと推測される

木製の電柱は由来が不明ながら、一本だけポツンと立っていて象徴的であった

この先まで歩いて行ったが、これ以上は安養寺の集落内でそれらしいものは見つけることが出来なかった

信濃川発電所材料運搬線(宮中付近)

2020-02-01 18:26:25 | 鉄道省信濃川発電所材料運搬線
 

例によって昭和20年初頭の空中写真とgoogleの空中写真との比較

落書きはおおよそここだろうと言う材料運搬線の位置である

今回紹介するのは丸く記したあたりである

宮中ダムから軽便が最初にカーブして、川を渡る辺りだ

写真は特に注釈を付けていないものは、基本的に小千谷方(宮中方を背にして)を向いている



既に農地になっており、その痕跡は窺い知れない

おおよそ軽便は畑の中にある電柱に沿って、画像で言えば斜め左方向に向かって走っていたはずである

そのまま川を渡って、段丘上の杉林が少し

この時点で、その先の対岸にある河岸段丘との高度差があまりに大きく、鉄道でこんな地形はあり得ない状況である



川にぶつかる

とてもじゃないがこの高度差をどうにかしていたとは思えない段丘の壁がそびえている

ご丁寧に石垣まで積まれた立派な壁になっている

特に川の中に痕跡が見つけられるでもなく、自分も対岸に渡る



対岸の河岸段丘の上に移動した。これは宮中方を向いている

何も無い平地であるが、特に水田などにもなっている雰囲気の無い、ぽっかりとした土地である

そして、やっぱり杉林がここだけ途切れている



段丘上の縁まで来た

それらしい痕跡と言えそうなものは見当たらない

ここから軽便は集落の中を走っていたようであるから、再び小千谷方へ歩き始める





なんの変哲もない水たまりと言うか、溝

しかし左の道が後から付けられたものと考えると、余りに自然な勾配と切取で集落へアプローチしているように見える

もしや、これは軽便の切取の跡なのではないか?

と考えると、さっき紹介した田んぼでもない平地は、後に埋め戻された地形であり、
対岸から見た石垣も後年になってから作られたものではないか?と思える



ちなみに、この場所は赤丸の部分だ

そのまま軽便は集落の中を進んでいたようで、
おおよそ正面左の倉庫の裏辺りでカーブして、杉の木の下あたりを走って行ったものと思われる




あくまで推測であるが、この区間について、
材料運搬線は大規模な切取で河岸段丘の高度差を克服していたと考えている



空中写真の当該部分のアップだ

中心を横切るように川が流れており、中心を縦断するように軽便が走っている

ちょうど、川を渡ってすぐに軌道の敷地が広くなっているように見えるのが、
切取なのではないかという推測と合致するように見える

とはいえ、あくまで全て推測である

現役当時の写真を私は見ていないから



更に小千谷方に進んで行く

集落内や農道になっている部分、農地改良されて当時の地形が残っていないと思われる部分はスルーしている

集落内や農地になっている部分に関しては、ほぼgoogleのストリートビューで見られるので、
興味がある人は追ってみて欲しいという紹介に留めたい

 

続いて、現在は県道が整備された辺りだが、川を渡る部分があるのでその部分を見てみたい

 

丁度、材料運搬線が旧道を渡るところ、現県道もその上に整備された



川を渡る手前を県道から見る

なんか、手前は水田だが、川の向こうに手付かずの場所が残っているように見える



川を渡っていただろう部分

右側が宮中方、左側が小千谷方

右の宮中方が少し高いような気がするが、
綺麗な田んぼは「後年の農地改良のせい」という便利な言葉を使うことが多くなった

この写真では空中写真にも見られる、農業用水池も見える

そして、川を渡った先







農地転用も特に見られない場所に切取と盛土らしき部分が軌道跡っぽく残っていた

現在位置を軌道跡として、まっすぐ宮中方に戻って、さっきの川を見る



橋台らしきものは見当たらないが、水面附近に石垣がある!

河原へ飛び込んで石垣を観察する





綺麗な石積みだ

信濃川発電所関連工事では現代にも語り継がれるくらいに「特筆すべきはその丁寧な工事」という点があると聞く

100年、200年後の日本の首都圏の鉄道の電力需要を賄うためという途方もない前代未聞の工事で、
今に残る各施設群の状態の良さなりを指す言葉だと思うが、材料運搬線の施設についてもそれが言えると思っている。

特に、石垣の石の積み方が綺麗だ

私は特に石垣について詳しくないのだが、信濃川発電所工事関連と思われる各地の石垣について見ていると、
川石の大きさを揃える、面を揃えるということにこだわって工事されて来ただろうと推測される綺麗さがあるのだ



現県道との位置関係

そして、川に洗われるように、川底にコンクリート構造物が残っている

軌道跡と思しき場所の真下だ





コンクリート構造物からは金属の棒が飛び出している

おそらく材料運搬線に関する構造物だと思われるが、どういう川を渡る設備だったのかは想像もつかない

ただ、川を渡る部分に、それらしい構造物が残存している傾向がある

この先、何が待ち受けているのか楽しみだ


以上、宮中付近の材料運搬線の紹介