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大正時代の信濃川発電所材料運搬線 - ◯◯◯ですから。
※文中、「材料運搬線」「軽便」など表記のブレがありますが、特別に説明が無ければ信濃川発電所工事材料運搬線のことです。今までも念仏を唱えるよう...
大正時代の信濃川発電所材料運搬線 - ◯◯◯ですから。
以前、私は山本山大橋付近に大正時代の軽便線のものかもしれない石垣があると紹介した。その時の話は上に張り付けた記事に書いている。
今回、私は雪解けを待って、その石垣を再度見に行ったので、ここに紹介したい。
山本山大橋の直下である。軽便線は以下の写真の右手上の現道の橋がある位置を切取で高度を下げて段丘崖を克服しつつ、段丘崖に沿って急カーブして一定の高度を保ちながら左手へ抜けていたと考えている。
丁度そのような場所にそれらしき石垣が残っていたため、大正時代の軽便線のものではないかと言っているのだ。したがって、明確な資料があるものでもなく、現物の施工状況から判断する能力もない。あくまで状況からそう推測している。僅かに残る石垣だけがそれらしきものとして佇んでいる。周辺の地形を見てもらうと、この石垣は異質なのだ。石垣の右手は山本山大橋に関連する法面工事で綺麗なものだし、その左手は水槽の余水か小水力発電か何かの鉄管が据えられて綺麗な斜面となっている。だから、この石垣だけがぽっかりと残されているように見える。斜面の土留めというには心許ないし、さらにこの石垣はカーブしているのが不可解なのだ。
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そして、私が「信濃川らしい石垣」とよく言う石の積み方。石の大きさやツラを揃えていて、相変わらず綺麗だ。
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石垣は、明らかに破壊された痕跡が残る。何のために破壊したのかというのは、現地の状況からして先に記述した水槽の余水か小水力発電か何かの鉄管が据えるためにこの後方の斜面で土木工事が行われたからであろう。
中途半端に破壊されつつも、完全に撤去もされていないことから、この石垣は現状で何かしらの役割を持った構造物ではなさそうなことが分かる。要は、もはやどうでも良い存在。
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川砂利が多めに見えるが、ちゃんとコンクリートで固められており、しかも結構分厚く見える。当時は、この石垣はそれなりに丈夫である必要がある役割を与えられていたのではないかと思える。
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遠景から見ると、プツリと途切れていることが分かる。
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以上、雪解け季に改めて山本の石垣を見てきた結果である。