車イスのある風景 

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2006年8月開始 福祉=前橋市肢体不自由児者父母の会等

看護士の言い分

2008-04-26 22:07:38 | 福祉

12月16日に元気だった父が、1時停止無視の車に自転車ごと撥ね飛ばされて4ヵ月が経った。      頭蓋骨と腰の骨折は回復したが、脳挫傷で左前頭葉は完全にダメになり、人格・記憶等が無くなった。    いわゆる認知症となってしまったため、病院は次々転院させられ、これで 3ヶ所目である。

・・・・・・・・・なんでこんなに転院させられるのか?・・・・・・・・・

枝豆播きの畑に10時ごろ病院から、病院提携の近くの皮膚科医院へ連れて行くようにとの連絡が担当看護士(女性)から入った。    男手2人でないと連れていけない、弟の休み(土曜のみ)の今日を逃すといつになるか難しい、また、診察は午前中のみなので、弟と急いで病院へ向かった。

到着すると看護士が『昼夜逆転の生活になって夜に動いて暴れてどうしょうもない!  強い薬を使っているのに眠らないので見て欲しい(自宅に連れて帰って欲しい)!  他の患者に迷惑がかかる!  大変だ、おおごとだ、等々』と抗議を受ける。

・・・・・・・・・これが受け入れている病院の言う言葉かな?・・・・・・・・・・・

こちらはこちらの言い分を言ったが看護士は解っただろうか?

とりあえず、2人がかりで、近くの皮膚科医院へ行き、抱えながら診察室へ、薬をもらって病院へ戻ったのが2時ごろとなりました。

家へ帰り、中止したままの枝豆播きを再開、播ききったとたん、土被せする前に雨が強く降ってきてしまった。  止めるわけにもいかず雨中での作業を続行した。

・・・・・・・・・・この一作分は、生えないかも知れないナァ~?????・・・・・・・・・・・

  

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大会決議文は?

2008-04-24 18:51:07 | 福祉

肢体不自由児者父母の会連合会の会長・事務局長会議のために山梨県笛吹市へ行ってきた。

・・・186kの距離を高速道路で石和温泉駅前の糸柳旅館へ到着・・・

事業報告、計画案を決定、山梨大会開催について協議する。 いつももめるのが「大会決議文」です、短い文に多くの懸案を詰め込みたいのだからしょうがないかも?修正箇所は最終的には山梨に預ける事になった。  来年開催地は千葉、そして群馬県だが思いやられる。  俵萌子さんの1、2、の3の会の決議文みたいに分かり易い簡単文章でも良いのではと個人的には思うのだが!   ムム・・・にならないから大変だ。

・・・宿泊は経費削減のためスパランドホテル内藤に泊まったが(パソコンで探しておいた)楽しめた・・・

帰りは140号線を秩父市経由で帰りましたがさすがに運転疲れしました。 写真はSn3701hirose 途中の広瀬ダムの風景です。

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犬のこと

2008-04-18 17:06:24 | 映画

今日も雨だナァ 農作業は出来ない。

という事で高崎イオンシネマに『私と犬の10の物語』を見に行きました。       感想は1、何と言うことのないストーリーだ。 2、ほのぼのとしたホームドラマといったところか。 3、チョトした幸せは感じます。     なかに・・あなたと過ごした時間を忘れません・・という言葉がありましたが、犬好きな人は、子供の頃、犬と遊んだ印象が思い出がいつまでも残っているからだと思います。

ジョンのこと

俺が小学校の頃だった、家には雑種のジョンという中型犬が居た。  今でもなんとなく姿が思い出されるのが不思議だ。 なぜなら50年ぐらいの遠い昔の事だから。  その頃、家では朝早く野菜を、父が6キロ?先の前橋市場へ運んでいた。 当時は耕運機(ティーラー)の後ろに野菜をつけたリヤカーをくっつけて、走る。  休日の日などには、俺も乗っていったものだ。  そうゆう時はジョンもリヤカーの後を一緒に走ってついてきた。  ある日、野良犬(当時はいっぱいいた)に出合ったため?はぐれてしまった。   父は市場に行く度に注意しながら通ったが見つからずにいた・・・・・・・・・・それから1年?・・・・・・・・父が市場から帰ってくる後を汚れた犬がついて来たのだという。ジョンと呼ぶと嬉しそうに尾を振ったという。  家に帰って首輪をみると、まさしくジョンのものだった。  

 家中で生還したことに喜び、父を覚えていた事、探していたことに感動した。   しかし、 犬取りの輪がついたまま、これは取れたが、首輪が首の肉に食い込んでしまっていた。  長い間野良犬として生活していたためだ。  祖父と父と自分(見ててだけ)がなんとか取ろうとしたが取れない、取ろうとすると皮が剥げて肉が見えてしまう。  よーく覚えている。  今でも!       それから・・・・・・・・・・どうしたと思いますか

追記: この映画のゴールデンレッドリバー犬は『ソックス』という名前です。

    私の家の犬はゴールデンレッドリバー犬で『久兵衛』です。

    どんな犬? バックナンバーの2007年11月7日の『午後の風景』の庭に寝転んでいます。  クリック拡大してご覧ください。       

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美術館へ行く

2008-04-14 20:57:13 | 日記・エッセイ・コラム

人間は生活していくなか、どうしても憂さ溜まる。  一刻だけでも憂さを晴らしすることは大切だ。  ここはウグイスの声と爽やかな風があった。  俵 萌子 美術館です*                                   

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追記: 自宅から18分で到着しました。     1時間程、ゆっくりして12時には自宅到着。   午後は、枝豆蒔きをしました。

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相馬原自衛隊に

2008-04-13 18:39:21 | 日記・エッセイ・コラム

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相馬ヶ原駐屯地へ友人(20歳で入隊し定年し現在は70歳台)の誘いで、毎年恒例の行事(第十二旅団創立7周年.駐屯地創設49周年)に行ってきた。    飛行場(2年前に同じ年の友人の誘いでヘリコプター試乗した場所だった)で観閲式?を見学する。で寒い。      家から10分位のところにあるので昔は小学校の前の道路を戦車が走った。今は大砲の音が時々、またヘリが上空を飛ぶ風景が見られるといったところかな・・・・・写真は①観閲式②模擬訓練(戦争では役に立たないだろう)③昼食会(体育館で管制気象隊、3尉と歓談)④グランドの桜・・・・災害時での役立つ組織になるような訓練を期待する!!!!

感想は特になし   

 

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もう一つの「日蝕」

2008-04-08 20:47:05 | 小説

ここ2,3日天候が悪く枝豆播きが出来ないので肢体不自由児者の会の総会資料を作ったり、小説を読んだりしてる。

平野啓一郎の一月(いちげつ)物語を読む。 私に言わせると、夢の中の出来事(現実にはありえない)を作品にしているとしか思えない。だからこそ、不思議なところ、想像をかきたてるところが良いのかもしれないが!?!  筆者紹介欄に最年少で「日蝕」により芥川賞を受賞、そして”三島由紀夫の再来”と評されていた。

???「日蝕」と聞いて、おなじの感動した小説を、思い出したので又、読んでみる。

大墳保衛著の「日蝕」である。(筆者は本県玉村町川井の人)   古代(古墳の農耕の時代)豪族間の権力争いあり、恋愛ありの物語である。それも私の住む赤城・榛名山麓地帯が舞台であり、清里(私の住んでいるのは清里です)族と緑野族の交流の話である。・・・・一人の若者の青春と悲劇のスペクタルを見ているようだ、そして、人間は進歩と文化を求めてやまないということを教えてくれる・・・・

私は有名作品より、こんな地方の知れない小説が好きだ。

追記: Webサイトを平野啓一郎で検索したら、298,000件ヒットした。後者を検索したら関した内容は0件でした。 

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温故知古 昔の映画

2008-04-06 15:39:28 | 映画

温故知新は、広辞苑で「古きをたずねて新らしきを知る事」と出ているが、今の時代、こんな映画を観ても古き時代を思うのみで古きを知るのみだろう。    大正時代はこのような映画を楽しみにしたり、感動したり涙したりしたのだろうか?

大正13年7月4日付 上毛新聞(今でも有名な地元紙です)より・・キネマ界という映画のCMより紹介

田中中隊(全5巻)  梗概 

脚色 伊藤 大輔 監督人 若山 治 撮影 下村 緑甫 =役割=初年兵 児玉菊治 義父武次郎 月野 節 養母園千枝子 菊治妻おふみ鈴木信子 二年兵山村 五味國男 同 岩手秀哉 同 清原文雄

山形歩兵三十二連隊第中隊二等卒児玉菊池君の物語である。

彼は今年一月十日初年兵として入営したのであるが、彼の家庭は赤貧洗うが如きみじめさであった、養母と義父は二人とも病床にしたしんでいたのでたゞ彼の妻だけが女の手で働くのにすぎなかった、それとて、杖とたのむ夫に去られては、彼女の仕事もはかばしくなかった。菊池は営内にあって唯ひたすらに家庭の事を案じた。 菊治は営内にあってひたすら家庭のことを案じた。彼は一週毎に下がる給金をそっくり父母のために持ち帰った、日曜毎に一目散に我家をさしては野帰った彼は直ちに軍服をぬいで、せにたった。彼の力強い鍬は明るい日光に日曜毎に輝いた。

折から世は田植え時となった、彼の家でも田植えにとりかからねばならなかった。然し妻のおふみだけではどうする事も出来なかった。 それを知る菊治はひとりもだへ悲しむのであった。   彼の戦友山村はそれを知ると、たゞちに特務曹長に報告した。 彼は哀れな戦友の苦しみを見逃すわけに行かなかったのだ。 中隊長は血あり涙あり立派な人だった。 中隊長は田植えの経験のある兵士をつのった、たちまち四十三名の兵士があつまった、そして君国のためにうち揃って菊治の家へ赴いて一斉に田植えを手伝った、わずかな彼の田はたちまち内に植えつけてしまった。

中隊長の眼にはやさしい涙が宿った勿論菊治は感激の涙にくれるばかりであった。

追記:こんな簡潔な内容が映画なの? 大正の時代は?

 その後の昭和14年2月18日付  読売新聞には  ・・・・「美はしき出発」 原節子 高峰秀子 ・・・・・清純の2大スター初競演 、 そして昭和34年1月24日付 には「ニューヨークの顔役」という作品が掲載されていた。   我家にある明治時代の新聞には映画の宣伝がない、活動写真?だったのでしょうか?

 

           

   

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風歩 kazaho

2008-04-05 18:36:26 | 小説

先月に発売された森山風歩さん(進行性筋ジストロフィーで車イス)の小説を読む。  小さい頃より作家になりたかったと思っていただけに「隙間に住み始めた暗愁」とか「過去幕から開放される」等々とか、文章が妙に大人ぶっている。27歳にしては、自分の哲学を持っており、反骨精神がありすぎる感じの女の子の自伝だ。   ・・・・・良いか悪いかは人それぞれの勝手だが、もっとありのままに、もっと安易な文章で書いてほしい・・・・・   筋ジスが判らなかったため小中学校ではイジメにあい傷だらけの時代だった、高校では藤田先生との出会いが大人の成長の出発点であったこと(肢体不自由養護学校には、この様な先生が必ずいるものだ)、大学では又孤独な時代だった。  そして今に至ったこと。   自分中心に勝手に生きてきたことが綴られている。  生活の匂いが全く感じられない小説だった。  しかし、何も判ろうと思わないし、判ってもらおうとも思わなかった時代から、今では人との出会いに寛容になった(人との出会いを大切にしたいと述べていた)という風歩さんの未来を応援したい。    障害を持っていようがいまいが人は1人では生きられないということを知って、多くの出会いを大切にしようと考えていることを嬉しく思った。  風歩さん! 「わたしはこんな生き方をしているんです」ということを色々な所で、多くの人達に発信してください。

追記: 今日は桜・満開の4月4日です 

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