福山城伏見櫓は三層三階、初層と二層は柱や長押を表わした白亜塗りとし、三層は塗籠で本丸南西隅に現存し、伏見城松の丸東櫓を移築したものです。
津山城の4層5階の層塔天守は明治時代に破却されましたが、天守台(写真中央)はしっかり残っています。天守台は本丸の一部を石垣(写真右から手前)により区画され四方を二層櫓、多聞櫓に囲まれていました。
本丸に復元された備前櫓内では、コンピュータグラフィックスで再現された津山城を見ることができます。この映像の中では天守入り口への階段が左からとなっているが、現存する階段は右からとなっています。いつかの時代に改変があったのでしょうか?
JR伯備線備中高梁駅から駅前商店街、深い森の山道を歩くこと約1時間、中太鼓櫓跡の石垣に出会います。それほど大きくはないが、しっかりした櫓台の石垣にびっくりし、備中松山城への期待は高まります。さらに進むと、大手門跡に行き着きます。大手門跡からは三の丸の石垣、厩曲輪の石垣、鉄門跡前の石垣が空に向かい、続いています。この石垣群には、ただびっくりするだけです。
岡山城二の丸内屋敷にある病院の最上階から望む天守は、南面に比しとてものっぽに見えます。天守の手前は、本丸中の段北西隅の月見櫓です。喫茶でコーヒーを頂きながらシャッターを切った岡山城の雄姿は、いかがでしょう。
月見櫓は、2層2階の隅櫓(内部は3階)で、最上階の南面と東面に回廊があります。
三の丸(島根県庁)前から内堀越しに天守を望むと、二の丸の高石垣上には平成13年に復元された南櫓、中櫓、太鼓櫓が並び建っています。高石垣下の内堀際には、白い岩盤が見えます。多くの城と同様、松江城も硬い岩盤の上に築かれています。
昨日は勤務する会社の関係で東京に出かけ、午後から少し時間が取れましたので、江戸城の田安門から桜田門まで内堀通りを歩きました。写真は内堀通り沿いの毎日新聞社ビル9階から、平川門を鳥瞰したところで、枡形の様子が良く分かります。雨上がりの緑が大変美しい、素晴らしい眺めでした。
中海を直下に見下ろす湊山(標高90m)山頂に大小二つの天守が築かれた米子城も、今山頂に残るのは本丸の石垣のみです。小天守石垣の遥か後方に、伯耆富士大山が一望できます。
8月16日朝早く出発し、岩国城へ出かけました。JR岩国駅から路線バスに乗り、約10分で錦帯橋です。錦帯橋からは比高約200mの横山山頂にそびえる岩国城を望むことができます。山頂へは、所要時間3分のロープウェイで向かいます。山頂に築かれた二の丸、出丸の高石垣は見事です。現在の岩国城は錦帯橋からの景観を考え、本来の場所を移動させ、四重六階、南蛮造の天守が昭和37年に再建されました。山麓の居館跡、錦帯橋、城下が一望できる物見からの景色が壮観でした。