さてさて、第2部までで概要を述べてきた『代替医療のトリック』(新潮社刊)だが、この本が全体として語っているのは、
1.代替医療の側では通常医療で行われているような科学的見地からの検証が行われていない。それを行ったとする報告もあるが、どれも十分なものではなく信用に値しない。また、(いずれも物理学の博士号を持つ)著者らの見るところ、信用に値する研究のいずれもが「代替医療の効果のほとんどはプラシーボ(プラセボ)によるもの」という結論を導くものである。
2.プラシーボにすぎない代替医療がこれほど幅をきかせているのは、
・代替医療側の科学を装った詭弁と巧みなマーケティング
・実態を知らない無責任なマスコミ、医師、政府当局、WHOなどの国際機関による代替医療の擁護
などによるところが大きい。
3.「プラシーボでも効果があるならいい」などと考えるのは誤りである。プラシーボに頼った医療は
・病の程度によっては患者の生命に関わる。
・医師(施術者)と患者との間の嘘のない誠実な関係を壊す。
・(代替医療は通常、高価なものが多いので)医療費をいたずらに増大させる。
といったことから、認められるべきではない。
ということだ。そして最後に著者らは言う。
(本当は、この後に付録があるのだが)。
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で全体が明らかになったところで、そろそろ反論したいのだけれど、第2部にも書いたように、この本は鉄壁の防御
を備えているので反論するのはかなり難しい。まずは、よくやってしまう反論と、それがダメな理由を挙げてみよう。
・○○療法には、その有効性を証明する××という研究がある。
→著者らに言わせれば、それらのほとんどは対象集団が少なすぎるとか、研究の十分な公平性・透明性が担保されておらず、科学的価値はない、ということになる(中には著者らも「確かに○○療法は△△症には多少の効果があるようだ」と例外的に認めているものもある)。
・現実に△△症の患者に対して○○療法を行い、これだけの改善実績がある。
→著者らはそれぞれの療法のプラシーボ効果は認めているのだから、単にその患者が改善したと主張しても意味はない。また、この患者が通常医療を併用していたり、過去に通常治療を受けているなら、改善したのは通常医療の効果だと言われて終わり。そうした物言いに対しては、明確に「違う」と証明できる手段はないのだ。
・○○療法は国際的にも広く認められている。
→著者らはWHOによる調査報告すら科学的見地から信用できないとし、そうした国家や国際機関によるお墨付きがエセ科学的な代替医療の蔓延に一役買っていると非難しているので、これでは反論にならない。
それに何より、著者らが示す「代替医療はプラシーボにすぎない」という研究結果を1つひとつ精査して、これは受け入れられるがこれは不当、などという作業をやることもできない(注1)
。そういう形での反論ができないとしたら、さてどうしたらいいだろう…?
(注1)とは言え、読んですぐハッキリ変だとわかるものもある。
鍼治療の結果がプラシーボかどうかを検証する方法として、著者らが紹介しているのが
・鍼を深く刺入した場合とごく浅く刺入した場合の効果の差を比較する。
・鍼を経穴(ツボ)に打った場合と経穴以外の点に打った場合の効果の差を比較する。
というもの。そして、これらの実験で治療効果に有意差が現れなかったことが「鍼治療はプラシーボ」という結論の大きな部分を支えているようだ。が、この項目を考えた人は、鍼には流派ごとにさまざまな考え方や技法があることを全くご存じないらしい。
最初の項目は、(中国の理論によれば)ごく浅く打った鍼は経絡に届かないので、経絡に届くように深く打った鍼と比較することで鍼治療の効果を検証することができる、ということらしい。確かに中医学的な鍼では深く打つことが多いが、経絡治療では経絡は体表からごく浅いところを流れていると考えて、一般に刺入はごく浅い。積聚(しゃくじゅ)治療に至っては、鍼先を体表面に触れるだけの接触鍼という方法を用いる。また鍼にも鍉鍼(ていしん)という刺さない鍼があり、実際に臨床で使われている。
2番目の項目についても、ツボは教科書通りの位置で一意的に決まる、などということはない。(中国では教科書通りの位置に正確に鍼を打つことを厳しくトレーニングされるそうだが)実際にはツボの位置はその時々で微妙に変化する。また「ツボに鍼を打つ」というのとは全く違う考え方を用いる積聚のような治療もある。
だから、これらの項目で治療効果に有意差がないことと「鍼治療はプラシーボ」ということの間には何の関連も見いだせない、ということがわかる。残念だったねー。
そこで、正攻法ではないやり方で反論を展開する。つまり「患者は何のために病院や治療院を受診するのか?」ということだ。
患者は何のために病院や治療院を受診するのか?──病気を治すため…? 確かにそういう面はあるだろう。しかし、患者が病院や治療院を受診する理由は、そんな単純なことばかりではない。例えば、親身になって自分の話を聞いてくれる人がほしくて病院や治療院に来る人もいる。あるいは(表面上はともかく)治らないことを望んで来る人もいるのだ(注2)
。いや、そんな別の理由で治療を受けにやってくる人の割合は、通常考えられているより実はずっと多いのではないだろうか。
そんな人に対して、この治療法は効果が実証されているだの、いいやプラシーボだのと声高に主張することに一体何の意味があるだろう。医療サービスも他の多くのサービスと同様、トータルとしてお客(患者)に満足を与えられるかどうかが商品価値を決めるのであり、治療効果も提供するサービスの総体が生み出すものだ。著者らは、通常医療は「科学的に検証された治療効果」に基づいていると言うが、そんな実験レベルで検証されたものなどサービス全体を構成するone of themの要素にすぎないのだ。
患者が通常医療ではなく代替医療を選ぶのは、彼らが無知で、代替医療の側の巧妙なマーケティングに踊らされているからということではなく、通常医療が提供するサービスより代替医療の方が総体としてまさっているところがあるからだろう。そもそも実体を伴わなないマーケティングのみのものなら、黙っていてもそのうち化けの皮ははがれる。著者らが考えるほど、お客さんはバカじゃない。だから、ずっと長きに渡って、またこんな本が書かれるほど、代替医療を利用する多くの人がいるという事実こそ、どんな「科学的」検証にもまさる、代替医療の広い意味での効果を証明するもの
に他ならない。
(注2)以前、私が診た1人の患者は、2時間以上かけてさまざまな治療を試みたが、症状は全く変わらなかった。けれど、その患者は治療を受けても全く良くならなかったというのに、帰る姿が妙にうれしそうに見えた。その人はそれきり来ていないので本当のところはわからないが、私にはまるで何をやっても治らないことが確認できて安心しているように感じられた。誰もが本当に治りたがっているわけではないのだ。
あるいはユング的な考え方を取るならば、「治らないことが、その人の人間的成長にとって意味がある」場合だって決して少なくないだろう。
さて、こういう反論はお気に召しませんか? では、別の形での反論を第4部でご用意しましょう(って、こんなに長くなるとは正直、思ってなかったよ…
)。
1.代替医療の側では通常医療で行われているような科学的見地からの検証が行われていない。それを行ったとする報告もあるが、どれも十分なものではなく信用に値しない。また、(いずれも物理学の博士号を持つ)著者らの見るところ、信用に値する研究のいずれもが「代替医療の効果のほとんどはプラシーボ(プラセボ)によるもの」という結論を導くものである。
2.プラシーボにすぎない代替医療がこれほど幅をきかせているのは、
・代替医療側の科学を装った詭弁と巧みなマーケティング
・実態を知らない無責任なマスコミ、医師、政府当局、WHOなどの国際機関による代替医療の擁護
などによるところが大きい。
3.「プラシーボでも効果があるならいい」などと考えるのは誤りである。プラシーボに頼った医療は
・病の程度によっては患者の生命に関わる。
・医師(施術者)と患者との間の嘘のない誠実な関係を壊す。
・(代替医療は通常、高価なものが多いので)医療費をいたずらに増大させる。
といったことから、認められるべきではない。
ということだ。そして最後に著者らは言う。
「医療のなかには、科学的でない別種類のものがある」という考えは、私たちを暗黒時代へと後戻りさせる。自分たちの医療介入の安全性や有効性に目を向けようとしない代替医療セラピストはあまりにも多い。そういう施術者たちは、自分の治療法を支持したり否定したりするために、厳しい臨床試験を行って科学的根拠を得ることの重要性も理解できない。そして、治療法に効果がないか、または安全でないという科学的根拠がすでに得られているなら、代替医療のセラピストは、両手で耳をふさいでその情報を聞かないようにしながら、これらも治療を続けていくだろう。…というわけで、著者らが社会に対して高らかに警告を発したところでこの本はおしまいおしまい
(中略)
もしも代替医療に高い水準が課されなければ、ホメオパシー、鍼、カイロプラクティック、ハーブ療法をはじめとする代替医療のセラピストたちは、社会の中でもっとも切実に医療を必要としている弱い立場の人たちを食い物にし、金を搾り取り、ニセの希望をもたせ、健康を損なう危険にさらし続けるだろう。
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で全体が明らかになったところで、そろそろ反論したいのだけれど、第2部にも書いたように、この本は鉄壁の防御
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・○○療法には、その有効性を証明する××という研究がある。
→著者らに言わせれば、それらのほとんどは対象集団が少なすぎるとか、研究の十分な公平性・透明性が担保されておらず、科学的価値はない、ということになる(中には著者らも「確かに○○療法は△△症には多少の効果があるようだ」と例外的に認めているものもある)。
・現実に△△症の患者に対して○○療法を行い、これだけの改善実績がある。
→著者らはそれぞれの療法のプラシーボ効果は認めているのだから、単にその患者が改善したと主張しても意味はない。また、この患者が通常医療を併用していたり、過去に通常治療を受けているなら、改善したのは通常医療の効果だと言われて終わり。そうした物言いに対しては、明確に「違う」と証明できる手段はないのだ。
・○○療法は国際的にも広く認められている。
→著者らはWHOによる調査報告すら科学的見地から信用できないとし、そうした国家や国際機関によるお墨付きがエセ科学的な代替医療の蔓延に一役買っていると非難しているので、これでは反論にならない。
それに何より、著者らが示す「代替医療はプラシーボにすぎない」という研究結果を1つひとつ精査して、これは受け入れられるがこれは不当、などという作業をやることもできない(注1)

(注1)とは言え、読んですぐハッキリ変だとわかるものもある。
鍼治療の結果がプラシーボかどうかを検証する方法として、著者らが紹介しているのが
・鍼を深く刺入した場合とごく浅く刺入した場合の効果の差を比較する。
・鍼を経穴(ツボ)に打った場合と経穴以外の点に打った場合の効果の差を比較する。
というもの。そして、これらの実験で治療効果に有意差が現れなかったことが「鍼治療はプラシーボ」という結論の大きな部分を支えているようだ。が、この項目を考えた人は、鍼には流派ごとにさまざまな考え方や技法があることを全くご存じないらしい。
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最初の項目は、(中国の理論によれば)ごく浅く打った鍼は経絡に届かないので、経絡に届くように深く打った鍼と比較することで鍼治療の効果を検証することができる、ということらしい。確かに中医学的な鍼では深く打つことが多いが、経絡治療では経絡は体表からごく浅いところを流れていると考えて、一般に刺入はごく浅い。積聚(しゃくじゅ)治療に至っては、鍼先を体表面に触れるだけの接触鍼という方法を用いる。また鍼にも鍉鍼(ていしん)という刺さない鍼があり、実際に臨床で使われている。
2番目の項目についても、ツボは教科書通りの位置で一意的に決まる、などということはない。(中国では教科書通りの位置に正確に鍼を打つことを厳しくトレーニングされるそうだが)実際にはツボの位置はその時々で微妙に変化する。また「ツボに鍼を打つ」というのとは全く違う考え方を用いる積聚のような治療もある。
だから、これらの項目で治療効果に有意差がないことと「鍼治療はプラシーボ」ということの間には何の関連も見いだせない、ということがわかる。残念だったねー。
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そこで、正攻法ではないやり方で反論を展開する。つまり「患者は何のために病院や治療院を受診するのか?」ということだ。
患者は何のために病院や治療院を受診するのか?──病気を治すため…? 確かにそういう面はあるだろう。しかし、患者が病院や治療院を受診する理由は、そんな単純なことばかりではない。例えば、親身になって自分の話を聞いてくれる人がほしくて病院や治療院に来る人もいる。あるいは(表面上はともかく)治らないことを望んで来る人もいるのだ(注2)
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そんな人に対して、この治療法は効果が実証されているだの、いいやプラシーボだのと声高に主張することに一体何の意味があるだろう。医療サービスも他の多くのサービスと同様、トータルとしてお客(患者)に満足を与えられるかどうかが商品価値を決めるのであり、治療効果も提供するサービスの総体が生み出すものだ。著者らは、通常医療は「科学的に検証された治療効果」に基づいていると言うが、そんな実験レベルで検証されたものなどサービス全体を構成するone of themの要素にすぎないのだ。
患者が通常医療ではなく代替医療を選ぶのは、彼らが無知で、代替医療の側の巧妙なマーケティングに踊らされているからということではなく、通常医療が提供するサービスより代替医療の方が総体としてまさっているところがあるからだろう。そもそも実体を伴わなないマーケティングのみのものなら、黙っていてもそのうち化けの皮ははがれる。著者らが考えるほど、お客さんはバカじゃない。だから、ずっと長きに渡って、またこんな本が書かれるほど、代替医療を利用する多くの人がいるという事実こそ、どんな「科学的」検証にもまさる、代替医療の広い意味での効果を証明するもの
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(注2)以前、私が診た1人の患者は、2時間以上かけてさまざまな治療を試みたが、症状は全く変わらなかった。けれど、その患者は治療を受けても全く良くならなかったというのに、帰る姿が妙にうれしそうに見えた。その人はそれきり来ていないので本当のところはわからないが、私にはまるで何をやっても治らないことが確認できて安心しているように感じられた。誰もが本当に治りたがっているわけではないのだ。
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あるいはユング的な考え方を取るならば、「治らないことが、その人の人間的成長にとって意味がある」場合だって決して少なくないだろう。
さて、こういう反論はお気に召しませんか? では、別の形での反論を第4部でご用意しましょう(って、こんなに長くなるとは正直、思ってなかったよ…

その質を鑑みるとこの本の内容は取るに足らぬ議論だとも思います
まあ、私としても反論する現実的なメリットはないので労力をかけるつもりもありませんが・・・
>「対象物を黒く描いておいて、その黒さを批判するのは学問として成り立たない」
まさに至言なり!です。
>その質を鑑みるとこの本の内容は取るに足らぬ議論だとも思います
確かにそうなのですが、本文でも書いてきたとおり、この本は非常に良くできているのです。これがただ代替医療を攻撃するだけの薄っぺらい内容の本だったら、私もここまでムキになることはなかったでしょう。
この本のことを取り上げている他のブログも見ています。喝采派から反発派までスタンスはさまざまなですが、代替医療を語る上で、今後この本で書かれたような方向の議論が出てくることは十分に考えられると思います。
私がここでやっているのは、それに備えた、まぁ理論武装のようなもの
雇用鍼灸マッサージ師をしています。
私はこの本を読んで多大なショックを受けました。ホメオパシーなどに批判的だったのに、鍼灸も結局は一緒だと言われていますから。
著者も好きなだけに、余計に悩んでしまいます。
コメントありがとうございます。
この本に書かれていることで、あまりショックを受ける必要はないと、私は思いますよ。本文にも述べたように、科学的調査の結果と医療効果とは同じではないですから(その辺は第4部で更に考えていく予定です)。
ただ、「だから、こんな本は無視していいんだ」ということはありません。こういう本が出た、ということは今後、患者の側がその治療の意味をシビアに問うてくることが増えてくることが想定される
この反論文章を読んでいると、効き目が無いことを認めてしまっていますよね。
QOLを左右する体質改善や、体調の調整って、西洋医学ではそもそもアプローチがなされていないので、だから、こうした代替医療に目が向くのです。
まあ、プロフィールのところで、『私の望みは「この世界の核心に触れる」ということです。』とおっしゃっていますしね。治す気もなく、人に治療を施すとは滑稽な話です。
ブログ記事をお読みくださり、またコメントまでいただき、ありがとうございます。
>まあ、プロフィールのところで、『私の望みは「この世界の核心に触れる」ということです。』とおっしゃっていますしね。治す気もなく、人に治療を施すとは滑稽な話です。
こりゃあ痛いところを突かれました
さて、折角コメントをいただいたので、私からも2,3述べさせていただきます。
他の治療家さんや医師の方がどう考えているのか、私は知りませんが、私は
「良くなる人は、良くなるべくして良くなる」
と考えています。どんなものであれ医療、治療というのは、その人の「良くなる力」を側面から支援する以上のものではない、と。
世の中には、ひどい治療、意味を持たない治療、見当違いな治療といったものが少なからず存在していることは間違いないですが、それを差し引いても
「良くならない人は、然るべくして良くならない」
ということです。
西洋医学では体質改善ができない、代替医療は根拠がないから効かない、と原因を外に求め、それを批判しているだけでは、状況は何も変わらないし、埒(らち)が明かないのではないでしょうか。