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第1部では『代替医療のトリック』(新潮社刊)が述べる、科学的検証に基づくという鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法の医学的有効性の評価について書いた。ここから更に先へ進むに前に、せっかくなのでキネシオロジーとクラニオセイクラル・ワーク(この本では、クラニオサクラル・セラピー(頭蓋オステオパシー)となっているが)の評価についても引用しておこう。
まずキネシオロジーだが、![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0252.gif)
ではクラニオはどうかというと
ので、クラニオの施術をしても無意味
──ということになるのだろうか。
代替医療を批判する本は数多くあるが、この本がその他の類書と大きく違って異彩を放っているのは、著者が2人とも物理の博士号を持つ、科学方面のエキスパートのせいもあって「こう書くと、きっとこういう点を反論してくる読者がいるだろう」ということを予測し、常にその予想される反論への答を用意している点にある(こういう点は日本人の書き手も見習ってほしいものだ
)。その辺は実に周到で、第1部で私が「なかなか食えない本」と書いたのは、そういう理由による。
例えば、「いろいろ言われるけれども、代替医療は西洋医学的な考え方に基づく通常医療と違って長い歴史を持ち、人間全体を丸ごと診るという優れたコンセプトがあるじゃないか」という反論に対しては、
1 科学は代替医療を検証することができない。
2 科学は代替医療がわかっていない。
3 科学は代替医療に偏見を持っている。
である。ね、なかなか食えない本でしょ?
私はこの部分を見た時、「やられた」と思いましたよ。そしてそれは、こうも続く。
」が待っている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0158.gif)
ということで、第2部はここで終了
。第3部では、この本の言説に対する自分なりの反論を述べていきたい。
まずキネシオロジーだが、
通常医療の医師たちは、《応用運動療法(キネシオロジー)》(注:←アプライド・キネシオロジー(AK)のこと)1964年にジョージ・J・グッドハートというカイロプラクターが発明した治療法も認めていない。グッドハートは、患者の筋肉の強さを手で調べれば、身体のどこが悪いのかがわかると主張した。治療に効果があれば、患者の筋肉はすぐさま強くなり、治療が有害だったり、身体に毒物やアレルゲンを近づけたりすれば、筋肉はすぐさま弱まるという。実際の治療では、患者に腕を伸ばさせて、その腕にテスターを押しつけ、抵抗の強さと安定性を測定するのが一般的だ。その測定は言うまでもなくきわめて主観的なので、医療用価値があるとは考えにくい。実際、対照群を用いた臨床試験によって、応用キネシオロジーの主張には根拠がないことが明らかになっている。と、ものの見事に一刀両断されてしまっている。
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ではクラニオはどうかというと
一般的には、幼児期のうちに頭骨と仙骨は融合して、強い構造ができることが知られている。たとえ骨と骨の間にわずかな動きがあるとしても、そのせいで人の健康が大きく害されるとは考えにくい。つまり、クラニオサクラル・セラピーは、生物学的には考えにくい理論にもとづいている。とのこと。とすると、見た目が怖そうで患者を緊張させてしまう人は肝心のプラセボ効果が発揮できない
クラニオサクラル・セラピーはほとんど研究されておらず、ごく少数の調査では、病気に治療効果があるという根拠は示されていない。(中略)子どもをセラピストのもとへ連れていく母親は、治療のおかげで子どもの具合が良くなって驚くことがある。これはセラピストの穏やかな治療と落ち着いた物腰のおかげで、子どもの緊張が解けるためだろう。しかし、そうした効果は長続きしないのが普通だし、治療費は必ずしも安くはない。
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代替医療を批判する本は数多くあるが、この本がその他の類書と大きく違って異彩を放っているのは、著者が2人とも物理の博士号を持つ、科学方面のエキスパートのせいもあって「こう書くと、きっとこういう点を反論してくる読者がいるだろう」ということを予測し、常にその予想される反論への答を用意している点にある(こういう点は日本人の書き手も見習ってほしいものだ
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例えば、「いろいろ言われるけれども、代替医療は西洋医学的な考え方に基づく通常医療と違って長い歴史を持ち、人間全体を丸ごと診るという優れたコンセプトがあるじゃないか」という反論に対しては、
人びとが代替医療に心惹かれるきっかけは、多くの代替医療の基礎となっている三つの中心原理によるところが多い。代替医療は、「自然(ナチュラル)」で、「伝統的(トラディッショナル)」で、「全体論(ホーリスティック)」な医療へのアプローチだといわれる。代替医療を擁護する人たちは、代替医療を選択する大きな理由としてこれら三つの中心原理を繰り返し挙げるが、実は良くできたマーケティング戦略にすぎないことが容易に示される。代替医療の三つの中心原理は、誰もが陥りやすい罠なのだ。と延べ、この3つ原理の1つひとつについての批判が展開される。それだけでなく、
もちろん、代替医療のセラピストたちは、科学者は概して代替医療に批判的であることを知っているので、科学の信憑性そのものを疑問視することで、科学的批判をくつがえそうとする。として、その批判の代表的な3つのパターンを挙げて、それぞれに反論していく。その3つとは、
1 科学は代替医療を検証することができない。
2 科学は代替医療がわかっていない。
3 科学は代替医療に偏見を持っている。
である。ね、なかなか食えない本でしょ?
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興味深いことに、代替医療は何かと科学を批判する一方で、自分たちに都合のいいときには科学を利用することにも同じくらい熱心だ。しかしその場合もやはり、代替医療セラピストの宣伝は、飛躍のある議論と陥りやすい誤りにもとづいている。注意を要する点は大きく三つに分類できる。そして、「それでも私は代替医療の治療を行って/受けて、実際に効果があったんだよ」と物言いをつける人に対しては、
1 代替医療に対する「科学的説明」代替医療セラピストのなかには、治療法に信憑性を与えるために科学的な言葉を使って説明する者がいるが、なるほどと思える説明でも、それが事実とは限らない。(後略)
2 代替医療に対する「科学的装置」代替医療セラピストのなかには科学的に見える装置を使う者もいるが、そういう装置が実際に機能するとは限らない。(後略)
3 代替医療に関する「科学的臨床試験」これまで力説していたように、治療が本物かどうかを判定する際には臨床試験が重要な役割を果たすが、代替医療のセラピストがひとつの臨床試験を挙げて治療法を擁護しても、治療法に効果があるという証明にはならない。(後略)
一番の問題は、二つの出来事が立て続けに起こると、私たちはその二つに関連があるはずだと思ってしまうことだ。という「お言葉
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たとえば患者は通常医療の薬を飲んでいて、たまたま患者がホメオパシーの丸薬を飲んだ時期に効果が出はじめたのかもしれない。その場合、効果があったのは通常医療の薬のほうなのだが、患者はホメオパシーの丸薬のおかげだと思うだろう。そして、「代替医療がプラセボだっていうなら、それでもいいよ。プラセボだって効果はあるんだから、それの何が悪い?」という人には、「第Ⅵ章 真実は重要か?」が用意されている。あぁ何て至れり尽くせり
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ということで、第2部はここで終了
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>いや~実に巧妙な手口です(笑
そう、実に巧妙に、うまく書かれています。そして著者たちの熱意や使命感のようなものも感じます。
しかし読めば読むほど、著者たちがそれほど後生大事にしている「科学」なるものの薄っぺらさばかりが見えてきてしまうのは、なぜなんでしょう?
「真実」ということですが自説に都合のいいごく一部の真実をピックアップして全部を論じるあたりは心憎いばかりです
大勢に影響のない部分で自己批判をするあたりは好感度アップしそうです(笑
こういった手法により全体的に信頼できそうな「雰囲気」が漂いますね
いや~実に巧妙な手口です(笑
著者たちは、まえがきの中で
「六つの章すべのに通底する重要なテーマは《真実》ということだ。」
と書いていて、この本の内容にはかなりの自信を持っているようです。でも、その《真実》とは誰にとっての真実
まえがきでは更に
「科学的方法で真実を判定できると考えるつもりがまったくないなら、第Ⅰ章を読むことにすら意味はない。実際、もしもあなたが代替医療について、すでに確固たる意見を持っているなら、本書を書店に返し、代金を払い戻してくれるよう頼んだほうがいいかもしれない。すでに答を持っているなら、たとえ何千件という研究から引き出された結果であろうと、今さら聞く意味はないだろう。」
とまで述べていますが、その何千件もの研究も的外れな物だったら仕方がないと思うのですが…
>1 代替医療に対する「科学的説明」
>2 代替医療に対する「科学的装置」
>3 代替医療に関する「科学的臨床試験」
これの「代替医療」を「西洋科学」に置きかえて読んでみると・・・そのまんま西洋医学批判に使えますよね。
しばしば人の口から出た言葉は、ブーメランのごとく言った人に帰ってってその後ろ頭にぶつかったりするものですが。
著者はブーメランがかえってきてることにも気かないほどのにぶちんでしょうかね?
・・・いや、本当は著者も自らの信奉する科学的手法の限界も、よく判った上で確信犯的に代替医療を口撃してんでしょうね。