ルドルフ・シュタイナーの『オカルト生理学』を読むシリーズの第8回。
栄養素で満たされた人体組織から、栄養素やそれから生じたものといった物質的な部分を全て取り去ってしまうと、超感覚的な力の組織だけが残る、とシュタイナーは述べている。この超感覚的な力の組織は栄養物質を人体の様々な部分に運んでいて、だから人体が(霊的な、ではなく通常の感覚的な)目で捉えられるのも、その力によって皮膚に栄養素が運ばれた結果である、というのだ。
つまり人間が人間たり得るのは、全てのオカルティズムにおいて「人間形式」と呼ばれる、この内なる超感覚的な力によるもので、栄養素がこの超感覚的形式に組み込まれると、人体は通常の意味の五感で認識可能な物質的―感覚的な組織体になる、と。
なお、こうした栄養素を人体に組み込む働きを「形式」と呼ぶのは、自然界のあらゆる場所に働く法則を「形式原理」と呼ぶのに倣ったものである。
この形式が外界から人間領域の中に栄養分を取り込むと、はじめに消化管が働くが、これは植物が大地から養分を吸収する時と同じ、エーテル体の働きによる養分摂取の過程である。エーテル体は養分を変化させて、それを生体へと組み込む。それによって形式が生体へと浸透して人体のあらゆる部分に組織を形成し、この組織から更に骨格や筋肉といった様々な器官が作られる。
このように「人間形式」により、様々な器官を自らの中から作り出す「組織」が出現することになるが、これだけでは植物と変わらない。それが人間存在となるためには「意識」が必要であるが、オカルト生理学で言う「意識」とは例えば現在、脳科学的に考察される「意識」とは違い、内的に自己を映し出すこと=内的体験のことで、それは排出過程を通じて生じる、と考える。
シュタイナーによれば、人体の内部から内部に起こる排出も、内部から外部に起こる排出も、そこには必ず抵抗が存在し、その抵抗に逆らって排出する中で自己認識、自己体験=自我意識が発生するという。そして、そうした人間存在のより高度な段階にとって必要なのが、7つの器官(注)によって作り出される栄養素の流れである。
(注)『オカルト生理学』ではこの「7つの器官」という言葉が繰り返し出てくるが、シュタイナーが挙げている器官は肝臓、腎臓、胆汁(=膵臓+胆嚢のことらしい)、脾臓、心臓、肺臓で、6つしかない。
そこからシュタイナーは更に7つの器官と7つの惑星を対応づけ、人間の内界系は外なる太陽系を映し出していると述べる。
この部分はセミナーのダイジェスト動画でどうぞ。
その上で
これまでもすでに暗示してきたように、私たちは実際、自分の内部を霊視すれば、この固有の内界が知覚できますので、肉眼に映じるままの内臓諸器官を知覚するだけでは満足できなくなります。外的な解剖学の教える空想的な解剖図に満足できなくなり、これらの器官を力の組織であると考え、観察しようとします。外的な解剖学によるのでは、これらの器官の本当の存在を解明することはできません。なぜなら解剖学はその中に詰め込まれた栄養素しか見ないからです。事柄の本質を深く考察するとき、誰でも外的解剖学が詰め込まれた栄養素だけを見ている、と思わざるをえないでしょう。それらの根底にある活力組織は霊視によってのみ見ることができるのですが、それを霊視する人は、外界系が私たちの内界系の中で繰り返されていることを知って、この名称を正しいと思うでしょう。
と述べ、通常の意味での解剖学、生理学では人体の本質を捉えることはできず、霊的修行を積んだ先に見えてくる人体像に基づく神秘主義的な医学こそが真実である、と言明している。
逆にいえば、シュタイナーの主張を検証するためには霊的修行によって彼と同じレベルまで到達しなければならないわけで、(私も含めた)そうでない人間にとっては、彼の言は「はー、さようですか」とただ拝聴するしかないものなのだ。
というわけで、このシリーズ?はここまで。
8回にわたって自分なりに理解したことをまとめてみたが、『オカルト生理学』はとにかく難解な本で、私もいまだにその深いところまで読み解けた感じがしない。だから、これについてより深く知ろうとするなら、実際に本を入手して自分の目と手で読んでみることだ。その時、私の述べてきた解釈があなたの理解を邪魔しないことを祈る。
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