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『イエスタデイをうたって』の「あしたはどっちだ?」

2020-06-20 19:58:52 | 趣味人的レビュー

2020年春期のアニメは、新型コロナの感染拡大の影響で放送延期や放送中断になる作品が相次いで寂しい限りだったが、それでも粒ぞろいの作品が揃っていたように思う。中でも『波よ聞いてくれ』と『イエスタデイをうたって』の2本は出色の出来で、仮に全ての作品が予定通り放送されていたとしても、この2本が春期のトップ2になることは揺るがなかっただろう。

で、ここでは最終回を前に、そのうちの『イエスタデイをうたって』について考察する。

『イエスタデイをうたって』は冬目景(とうめ けい)の同名のマンガが原作。私は冬目景作品では『羊のうた』と『黒鉄(くろがね)』は読んでいたが、『イエスタデイ』はそういうマンガを書いていることは知っていたものの全く読んでいなかった。Wikipediaによれば、連載開始は1998年だが、もともと遅筆な上、連載誌(「ビジネスジャンプ」)の休刊などもあって、完結したのは2015年で、確か完結した時はニュースになったほど。

『イエスタデイをうたって』は青春群像劇ということになっているが、ザックリ言ってしまえば、4人の男女の煮え切らない恋愛模様を描いた話である──と書いてしまうと何だか冴えないアニメを想像してしまうかもしれないが、冬目景のタッチそのままのような描線といい、微妙な感情の揺れを見事にすくい取って見せる演出といい、間違いなく神アニメのレベルにある逸品である。

魚住陸生(リクオ):大学を卒業したものの、就職もせずコンビニでバイトしているフリーター。写真に興味があるが、それを仕事にすることをためらっている。大学時代、同じサークルだった森ノ目榀子(シナコ)に告ったが、見事に振られてしまう。だが再びシナコと出会い、彼女への思いが膨らんでいく。
森ノ目榀子:東京の大学を卒業後、故郷の金沢に戻って非常勤講師をしていたが、再び東京に出て、都立高校に正規の教員として勤務(担当は化学)。好きだった死んだ幼なじみ、早川湧(ユウ)のことが今も頭から離れず、そのため湧の弟、浪(ロウ)にもいろいろ世話を焼いてしまう。だが、再びリクオと出会って告られたことで心が揺れ動く。
野中晴(ハル):シナコの元教え子。高校時代、バーでバイトしていることが問題になり自主退学。今も件のバー、ミルクホールでバイトしている。母子家庭だが、母親には再婚話がある。以前出会ったリクオに一目惚れし、そのリクオがコンビニでバイトしていることを知って猛烈にアタックするが、リクオからはウザがられている。カンスケという片足の悪いカラスを肩に乗せている。
早川浪:湧の弟。子供の頃からずっとシナコを思慕していて、シナコが東京に移ると金沢からシナコの勤務する都立校に転入してくる。幼なじみを名目にシナコを呼び捨てにし、何かとすねて見せてはシナコの歓心を買おうとする。昔、シナコに絵を褒められたことがあり、今は美大に入って自分のことをシナコに認めさせようとしている。

『イエスタデイ』の連載は足かけ18年にもなったが、物語の上の時間は1年ほどしか経っていないから、1998年から1999年頃ということになる。
1991年、バブル崩壊。当初は、遠からず再びバブルが起こると唱える専門家も少なくなかったが、結局バブルは来ず、日本は長い景気後退期へと入る(個人的には、そうした「バブル再来論」の息の根を止めたのは1995年の阪神大震災と地下鉄サリン事件だったように思う)。1997年には消費税が3%から5%に上がり、それを断行した橋本内閣は1998年、参院選で大敗し退陣、小渕内閣へと代わった。また1997年から1998年にかけては、北海道拓殖銀行(拓銀)、日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行(日債銀)、山一證券、三洋証券などの大手金融機関の倒産、廃業によって金融危機への懸念が広がり、国は金融機関の再編と公的資金注入へと動いた。そんな状態だから企業は軒並み新規採用を絞り、就職氷河期と呼ばれたのもこの時代である。
『イエスタデイ』という物語にはそうした時代背景があるが、連載が終了した2015年にはそれらは全て過去のことであり、冬目景はどんどん遠のいていく過去のことを回想して描いていたことになる。まさに「イエスタデイをうたって」だ。

そしてふと思うのは、「昔のマンガ、アニメ作品は、みんなひたすら『あした』を向いてたのにな」ということだ。例えば『あしたのジョー』では主題歌で尾藤イサオは「あしたはどっちだ?」と歌い、丹下段平が少年院にいる矢吹丈に差し入れたボクサーになるための練習メニューには「あしたのために、その1」と書かれていた。対して『イエスタデイ』では、リクオもシナコもロウもひたすら過去と折り合いをつけようと足掻いている。4人の中でハルだけが異質に見えるが、それは彼女がどうにか自分の過去と折り合いをつけて曲がりなりにも「今」を生きているからだ。その彼女がリクオに固執するのは、リクオだけが唯一、まだ決着をつけられない過去の残骸だからだろうか。

この4人の前には、ほんの一時期現れては消えていく登場人物たちがいる。面白いのは、その彼らは「きのう」に目を向けている時に4人(のうちの誰か)と出会い、視点が「あした」へと向かうと物語から退場していくのだ。

とするなら、この『イエスタデイをうたって』という物語の終わりは、その4人の心が「きのう」から「あした」に向かう時なのだろうか? だとしたら、彼らの「あしたはどっちだ?」

アニメ『イエスタデイをうたって』にはOPがなくEDのみ。そのED1「籠の中に鳥」のフルを公式が『イエスタデイをうたって』の場面つきでアップしているので、それを最後につけておこう。


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