仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

『トニオ・クレーゲル』 トーマス・マン

2004-04-11 22:32:04 | 私の愛讀書
トニオ・クレエゲル

岩波書店

このアイテムの詳細を見る
         

著者名 トーマス・マン   初めて讀んだ年(西暦) 1974  
出版者 岩波文庫   値段 確か90圓で買つたと思ふ  
お薦め度 : ☆☆☆☆☆


北杜夫がその魅力に憑かれてしまつたと云ふ作品。

私は中學生の頃、北杜夫に魅せられてゐたので、
必然的にこの本を讀むこととなつた。
とある古本屋で偶然見つけたこの本は、北杜夫が最初に讀んだと云ふ、
實吉捷郎譯の岩波文庫であつた。
私はこの偶然を、あたかも運命の導きであるかの如く感じて、狂喜した。

14歳の少年トニオは自分で詩を書いてゐるような文學少年で、
あたかも自分の額には極印があるかのやうに思ひなし、
他人とは違ふ感受性をもてあましてゐる。
しかし、そんなトニオは自分とは對極にある、
文學なんぞとは縁のない健康な少年ハンスや快活な美少女インゲに思ひを寄せる。
彼ら健全な人々の世界はトニオにとつては別世界であり、
それだけにトニオはさうした愛すべき人間達の世界への憧憬を持つてゐたのである。
後年、すぐれた作家となつたトニオが、偶然、海邊の宿でハンスとインゲに遭遇する。
物蔭から彼らをみつめながら、トニオは自問する。
「僕は君たちを忘れてゐたらうか?いいや、決して!ハンス、君のことも、インゲ、君のことも・・・(略)」

同年代の友人達より多少ませてゐたであらう私は、
この作品を讀みながら、トニオと自分を完全に同化させることができた。
まるで、自分の額にも極印があるかのやうに思はれたのだつた。
その後、高校、大學となにかのをりに觸れてこの本を讀んだが、
いつしか私の額の極印は消えていつたらしい。

青春とは勘違ひの連續なのかもしれない。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『氷壁』   井上靖 | トップ | 穗高のビヴァーク »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿