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著者名 北杜夫 初めて讀んだ年(西暦) 1973
出版社 文春文庫 値段 忘れた
お薦め度 : ☆☆☆☆☆
中學1年の時に讀んで、それ以來、舊制高校に憧れた。
弊衣破帽、バンカラな高校生。
デカルト、カント、ショーペンハウエルを讀み耽り、
バッキャローとどなり(挨拶し)、ストーム(嵐のごとき襲撃)をかける。
これぞ、私の理想の高校生の姿となつた。
舞臺は舊制松本高校、現在の信州大學の教養部に相當する。
(まだ「教養部」制度は存在してゐるのだつけ?)
周圍は北アルプスの大自然で、終戰直後の「國破れて山河あり」そのままのシチュエーション。
いつたい、この本を何囘讀んだことか。
中公文庫だつたと思ふが、表紙が擦り切れてセロテープで修繕して讀んでゐた。
當時の本は手許にないが、懷かしくなつて、樂天BOOKSで注文してまた購入してしまつた!
といふわけで、20數年ぶりに再讀した。
久しぶりに讀んで、私の青春時代が蘇へつた。
この本の影響で、高校時代は朴齒の下駄で學校に通つた。(休みの期間だけだが)
さう云へば、寮生活に憧れて、北大とか東北大を受驗しやうと思つたこともあつたなあ。
結局、寮生活はしなかつたが、京都では學生アパートで、アパートとの住人たちと寮生活をしてゐたやうなものだつた。
この本の冒頭ちかくにでてくる言葉。
憧れを知るもののみ、
我が惱みを知らめ
これがゲーテのミニヨンの詩の一節だと教へてくれたのは、私の初戀の人だつたつけ・・・
試驗の時に、手も足もでないときに、短歌を書いたり、駄文を書いたりしたのも、この本の影響だつた。
もちろん、それで通つた試驗はなかつたけれども・・・
40歳を過ぎてから、この本を讀むと、自分の青春時代がまざまざと蘇へつてくる。
俺も年とつたよなあ・・・
2003年7月17日讀了
日経の朝刊の「私の履歴書」は今月が北杜夫です。
家庭での茂吉の姿は何度読んでも興味深いですね。
この文でも北氏は「(父は)歌人として遠くから眺めるのが一番いいようだ」といったことを書いています。
北杜夫の本を讀んでゐると、茂吉がおつかない親父だつたことがよくわかりますね。
あの時代の親父はまだ「地震・雷・火事・親父」だつたのでせうね。
古るき良き時代です。
ちなみに日經新聞をとつてはゐるのですが、全然讀んでゐません・・・
これでもサラリーマンのはしくれなのですけどね(笑)
旧制松本高等学校といえば、名物教授の
蛭川幸茂氏著の「落伍教師」を思い出します。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
『教師からして變である』の章に登場する「ヒルさん」ですね。
乞食のやうなきたない格好をして、腹筋でなんでも飛ばしてしまふといふ數學の教師。
學制改革の時には新制大學の教授にならず、小學校の先生になつたといふ・・・
昔は教師にもスケールの大きな人がゐたんですね。
『落伍教師』、讀んでみたいと思ひます。