仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

「マンボウ阪神狂時代」 北杜夫

2006-04-08 12:00:27 | 讀書録(一般)
「マンボウ阪神狂時代」 北杜夫

お薦め度:ベテラン阪神ファン☆☆☆☆ /阪神ファン☆☆☆+α /一般☆☆☆
2006年4月5日 讀了


熱狂的な阪神ファンである北杜夫の阪神應援エッセイ集。
昔に書かれたものは別として、最近のものは、どうやら口述筆記のやうだ。
北さんの健康状態が氣遣はれる。

第3章と第4章では、1962年から1992年に至る30年間に折にふれて書かれたエッセイや對談がまとめられてゐる。
懷かしい選手の名前や、懷かしい試合のことが書かれてゐて、ベテランの阪神ファンにはたまらない。

1973年はベテランの阪神ファンには忘れられない年だ。
この年、タイガースは讀賣と優勝を爭つてをり、最後の2試合のいづれかを引き分けるか勝つかすれば優勝だつた。
しかし、タイガースは星野投手(2003年の優勝監督)の中日に破れ、翌日は甲子園で讀賣に破れて優勝を逃した。
北さんはこの2試合を觀に行つて、その時の虚脱感を書いてゐる。
當時の私はまだ野球に興味がなくタイガースファンになつていなかつたが、
もし既にタイガースファンだつたとしたら、恐らく世をはかなんで、鬱鬱とした日々を過ごしてゐたことだらう。
この年に優勝を逃したタイガースは、その12年後の1985年まで優勝出來なかつたのであつた・・・

北さんは1975年、掛布が3割打者になることを豫言し、翌年には掛布は3割2分の成績をあげた。
若手の選手を見る目には確かなものがある。
1977年正月の掛布との對談の模樣が書かれてゐるが、掛布の眞面目な姿勢が伺はれて面白い。

1980年は岡田(現監督)が入團した年。
岡田の使ひ方については、いまの鳥谷のやうにはいかなかつた。
當時のブレイザー監督は岡田の起用に愼重であつた。
オープン戦でもなかなか使われなかったので、ファンはじりじりとしてゐたことを思ひだす。
北さんは、このエッセイのなかで、岡田を常時使ふべきだと主張してゐる。
先見の明といへるだらう。

1977年と1985年には吉田監督と對談してゐる。
1985年は21年振りに優勝した年だが、その年の10月、つまり優勝直前の對談である。
こんな時期に短いとはいへ監督が對談してゐるとは吃驚した。
北さんならではの對談なのだらう。


2006年4月5日讀了


マンボウ阪神狂時代

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