仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

4月7日の寫眞 ( D80 & 18-50mm )

2007-04-08 07:43:55 | 寫眞日記

花海棠(ハナカイドウ)。



杉の葉つぱのやうな植物が地面を這つてゐる。
その先端に花のつぼみがついてゐた。
どんな花が咲くのだらう・・・



<使用カメラ> : Nikon D80
<使用レンズ> : 「Sigma 18-50mm F2.8 EX DC MACRO」



しんどい一日だつた。
前日に、會社から屆いたメールの内容について、心療内科の先生と相談したのだが、それがストレスとなつたらしい。
朝からひどい頭痛だつた。

朝の散歩をしてから、ブログに穗高の寫眞を更新して、眠つた。
ひる飯で起されて、食事をして、また眠つた。
午後6時前に起きて、11時過ぎに眠つたので、一日のうち9時間しか起きてゐない。
先生は、「眠りたい時には、いつでも、好きなだけ眠つてください」と仰つたので、これでもよいのだとは思ふのだが・・・

ずゐぶんよくなつてきたと思つたのに、またひどくなつてきたやうな氣がする。



コメント (11)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 04/01~04/07 の閲覧数とラン... | トップ | 井川はどこへ行つても井川 »
最新の画像もっと見る

11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
自分も今 (ken)
2007-04-08 08:17:46
自分も今感情障害の悪化でボロボロですが・・・出勤できるのが救いです。
察知してかけつけてくれ、昨日まで滞在していた母に、仙丈さんの写真を幾つか見せました。
「あれまあ~。。。」
と、絶句して帰って行きました。
・・・とてもきれいで爽やかだったから、です。
返信する
しんどいですね (仙丈)
2007-04-08 10:47:13
kenさん

kenさんもしんどさうですね。
ブログを拜見して、氣にかかつてゐます。
私のはうは、會社からのメールに協力しようと思つて醫師に相談したら叱られてしまひました。
自宅であらうとどこであらうと、いまは仕事のことは頭から追ひ出して考へるなとのことでした。
ネットが發達してゐる現在、やろうと思へば自宅でも仕事は出來てしまひますからね。
會社には迷惑をかけてしまつてゐるので、何とか少しは協力しようと思つたのですが・・・

>察知してかけつけてくれ、昨日まで滞在していた母

さすがは、お母さま、ですね。

>・・・とてもきれいで爽やかだったから、です。

どうもありがたうございます。
寫眞を撮つてゐる時は氣持ちが樂です。
不思議なものです。

返信する
ごく普通の? (あらん)
2007-04-08 22:52:30
シバザクラじゃ有りませんか?
返信する
Unknown (Unknown)
2007-04-08 23:15:54
>會社には迷惑をかけてしまつてゐるので、何とか少しは協力しようと思つた

これは、僕も叱られた経験があるんですよ (^^;

叱ってもらえて、よかったですよ~。

週末に義妹がお医者に付き添ってくれる事になりました。
僕の方は、とにかく、出社し続けられる事が最大の課題なので・・・
(稼ぎは、どうしても必要ですものねえ。。。)
返信する
unknownは (ken)
2007-04-08 23:16:57
私です(^^;

どーも、こんなふうにぬけるんです、この数日特に。
返信する
芝櫻 (仙丈)
2007-04-08 23:26:01
あらんさん

芝櫻の葉つぱ、こんな葉つぱなんですねえ。
よく見たことなかつたです。
お恥づかしい・・・

返信する
言語道斷 (仙丈)
2007-04-08 23:30:31
kenさん

醫者の先生に、「ありえない話、言語道斷!」と云はれました。
會社の姿勢がどうなつてゐるのか、ほかの同じやうな状態の人に同じやうなことをさせてゐることはないか、など突つ込まれました。
私が「人事」の人間だけに、より嚴しいことを仰つたのだと思ひます。
まあ、どこで仕事をしても、それは仕事から離れることになりませんものね。

返信する
森を見て木を見ない (あらん)
2007-04-09 00:19:59
ちょっと偉そうな言い方かも知れませんが、全体のことを考えるあまり、部分部分に注意することを忘れてしまったと言えましょうか。
シバザクラの件と同じく、会社のことを考えるが故にご自分のことに気を配ることがおろそかに成ってしまった、「企業は人なり、人は企業なり」という言葉が有ったような。(無ければ私が作りました)

よく言われる、「会社の歯車でしかない」という言い回し、私は嫌いです。
例えば時計の一つの歯車のそのまた歯一本が欠けてもまともに動かなくなる、それぞれ大きさも違う歯車簡単に取っ替え出来る筈がない、どれも大事な部品です。
そのためには、まず正しい形の丈夫な歯車となることが先決です、材質から鍛え上げて立派な歯車になって下さい。(笑)
返信する
Unknown (仙丈)
2007-04-09 07:18:12
あらんさん

ありがたうございます。
シバザクラは、たとへば名所に行くと、廣大なスケールで一面シバザクラだつたりして、凄いなあと思ふわけなんですが、この寫眞のやうなひとつひとつの花をぢつと見ることがなかつたりするわけなんですね。
私などはシバザクラをカーペットのやうにしか見てゐませんでした。
それもペルシャ絨毯などの纖細なガラのあるものではなくて、安いアクリルの單色のカーペット。
だから、その編み込みのひとつひとつを見てゐない。

幸ひ、私は自分を「齒車」と思ふことはあまりありません。
むしろ「將棋のコマ」かな?。
あまり代はり映えしませんね(笑)
將棋の解説で、「銀のはたらきがよくない」とかいひますが、いまはそんな状態かも・・・

返信する
歯車でも将棋の駒でも (ken)
2007-04-09 19:35:12
いいのではないかな・・・
歯車でも、僕だったら、構いません。
些細に見える歯車が1個かける事で、機械は正常に作動しない。
将棋の駒1個とられる事で、勝負は形勢不利になる。

その言葉の持つ一般的なイメージでモノを考える・・・それしかできない・・・
いま、自分が抱えている問題は、どうもそこから怒っているように思えてならずにおります。

人の間で、人として機能していられる事の幸せは、あまりに空気のようであるために、酸欠になってみないと感じられないのではないか、と、ふと静かに反省してみました。

京都の寺さんの井戸で、真ん中の縁を口の地に見立てて、周りに四つの字を配したのがありましたね。
読むと、
「唯吾知足」
となるのだそうですね。
・・・その心境に遠い私。時間が経てば、至れる心なのでしょうか?
・・・至ったとして、それは消極的な心のありようなのでしょうか?

まだまだ、分からないなあ。
返信する

コメントを投稿