仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

20100531_京都の街の南北の通り

2010-06-03 18:32:12 | 仙丈放浪記



京都の街は碁盤目のやうになつてゐるといふことはよく知られてゐる。
南北の通りと東西の通りが街を構成してゐるので、通りの名前で場所を示すことが出來る。
例へば河原町四條といへば、南北に走る河原町通と東西に伸びる四條通が交叉するところを指す。

友人から聞いた話を思ひ出した。
彼は京都驛から市バスに乘つた。
目的地は烏丸何とかといふバス停だつたらしい。
烏丸などといふ奇妙な地名だからすぐわかる筈だとたかを括つてゐた。
すると、停るバス停、停るバス停、すべてが烏丸何とかなのであつた。
さう、彼の乘つたバスは烏丸通を北上するバスだつたのだ。

「まるたけゑびす」といふ童歌がある。
これは、東西の通りの名前を丸太町通から五條まで南へ順番に歌ひこんだ歌で、たいへんに有難い歌である。
この歌のお蔭で、私なども東西の通りを覺えることが出來た。
ところが、南北の通りに關しては、かういふ便利な歌がない。
なので、5年間京都に暮してゐた私でも、細かい通りは全くわからない。
誰か作つてくれたら良いのに、などと思つてゐたものだ。


二條城から御池通を東に向かつて歩いてゐたら、こんなサインを見つけた。(上の寫眞)
西の堀川通から東の川端通まで、南北の通りを網羅し、いま自分のゐる通りの名前と位置がわかるやうになつてゐる。
これはじつに素晴らしい。
私が向かつてゐる「間之町通」がどのへんにあるのか、あと何本目なのかが一目でわかる。
また、名前の讀みがわかるのもありがたい。
「間之町通」を私は「アイダノマチドオリ」だと思つてゐたのだが、「アイノチョウドオリ」なのであつた。
こんな素晴らしいサインを設置してくれた京都市に拍手!






<使用カメラ:Canon PowerShot G11>




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3 コメント

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丸竹戎二押御池 (吉岡家一同おとうさん)
2010-06-03 21:53:57
丸竹戎二押御池姉三六角蛸錦
四綾仏高松万五条
雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚
六条三哲通りすぎ
七条越えれば八九条
十条東寺でとどめさす

というのが東西の通りの名前を歌い込んだ、いわゆる辻うたですが、当然ながら年僕の通りの辻うたもあります。ご存じないようなので、ペダンティックにひけらかします。

寺御幸麩屋富柳堺 高間東に車屋町
烏両替室衣
新町釜座西小川
油醒ヶ井堀川の水
葭屋猪黒大宮へ
松日暮に智恵光院
浄福千本果ては西陣

見れば分かるんですが、寺町と御幸町から始まって西に進んでいます。ですから、河原町は含まれていません。そして、実は、最後の西陣は通りの名ではなかったりします。

5年間お住まいの方よりも、オギャアと生まれてから大学を出て東京に行くまで京都に暮らした私の方が詳しいところを、実に自慢げにひけらかしておきます。でも、さすがに記憶はあやふやなので、もしも、間違っていたらお詫びします。
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やっぱり間違ってました (吉岡家一同おとうさん)
2010-06-03 22:03:59
誠に相済みません。やっぱり、間違ってました。
心配になって手元で調べ直すと、「丸竹戎」ではなく「丸竹夷」でした。お詫びして訂正します。なお、中段の「年僕の通り」というのも、「南北の通り」のタイプミスです。重ねてお詫びします。
ブログ汚しのコメントをしてしまい反省しております。これからは記憶だけに頼ってコメントするのではなく、しっかり調べるように致しますので、ご容赦ください。
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吉岡家一同おとうさん さま (仙丈)
2010-06-03 22:26:09
南北の通の歌もあるのですね!
いやあ、知りませんでした。
さすがに京都生まれのかたはご存じなのですね。
ありがたうございました!
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