こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ユトレイシア・ユニバーシティ。-【24】-

2022年01月10日 | ユトレイシア・ユニバーシティ。

【サルマキスとヘルマアフロディトス】バルトロメウス・スプランヘル

(初めてこのお話読んだ時、「なんつーひでえ話だ」と思ったのはわたしだけですかね・笑^^;)

 

 今回も前回に引き続き、萩尾先生関連の動画のお話♪

 

 

 

 いえ、わたし2525のほうの続き、見てないんですけど……あと、実際に話が萩尾先生のほうに流れるまで、ちょっとイントロ(?)長いかもしれませんが、自分的にすごく見てよかった動画でした

 

 特に岡田史子さんの、『ヘルマプロディトス』のあたり……わたし、ずっと読みたかった萩尾先生の『A-A’』ようやく読んだんですけど、感想途中まで書いてそのままになってたり(^^;)

 

 というか、その中に『X+Y』というお話があって、その中に出てくる性転換薬というのはたぶん、大島弓子先生の『ジョカへ……』に出てくる性転換薬の応用編(?)なんじゃないかなと思ったんですよね♪

 

 それはさておき、萩尾先生は九州出身ということで、時代的なこともあるとはいえ、やっぱり男性上位と言いますか、そのあたりで抑圧されたり、反発する気持ちというのが強くあって、「男であるとはどういうことか、女であるとは」というか、そのあたりの性の転換みたいなことに、すごく惹かれるところがあったのではないか……なんて、自分的に思ったりするわけです。

 

 そのあたり、(わたしが個人的に勝手に思うには)竹宮先生は「少女漫画で男性の漫画家と対等に渡りあう」ですとか、「なおかつ、それよりも上をいくものを描いてやる」というか、そうしたことにも革命の意志みたいなものがあったのではないか……と思ったりもします(そしてそれは、『風と木の詩』や『地球へ……』といった代表作によって達成されているのではないかと思うんですよね)。

 

 また、ベルばらのオスカルさまを出すまでもなく、男っぽい女の子、男まさりな女の子、あるいは何かの事情によって女であることを隠し、男として生きているとか、少女漫画の設定として珍しくないわけですけど……このあたり、萩尾先生は男性の女性化と言いますか、『X+Y』のタクト、『マージナル』のキラやエメラダのように、遺伝子的には<XX>のクラインフェルター症や(正確にはXXYと思う。また、XXXXY症候群という染色体異常の場合でも、体のほうは男性となりますが、外性器のほうは顕著な発育不全が見られる、ということなんですよね^^;)、同じく『X+Y』に言及のあるターナー症の場合は、X染色体が一本しかないことによって、乳房が膨らんでこなかったり月経がやってこないことで……こうした言い方は間違いなく語弊がありますが、ある意味女性としての性を持ってはいても、より中性的であるように思われるわけです。

 

 ええと、『性の進化史―いまヒトの染色体で何が起きているのかー』(松田洋一先生著/新潮選書)というとても面白い本があって、わたしがこの本読んだのは、いずれ放っておくとY遺伝子は滅ぶかもしれない……とHKでやってたのを聞いて、だったと思います。

 

 で、『マージナル』読んでた時にもこう思ったんですよね。『マージナル』は女性がいなくなったあとの不毛な地球のお話……という部分があるわけですけど、ジェニファー・グレイブス博士が「いずれ将来的にY遺伝子は滅ぶ」という研究発表をその前にされていたら――萩尾先生は頭よすぎる方なので、『マージナル』という素晴らしい漫画は誕生しなかった可能性もあったのではないか、なんて(^^;)

 

 簡単にいってしまえば、人の性決定っていうのは、胎児期の極初期に、お母さんのお腹の中で生育中、SRY遺伝子という性決定(精巣)遺伝子のスイッチが押されて、働くか働かないか……ということだったと思うのですが、このSRY遺伝子が働くと、性を男性にすべく、男性ホルモンのシャワーを胎児は浴びることになるわけです。そして、性が女性になる場合は、このSRY遺伝子が働かず、そのままであれば女性になる――ということだったと思います(これも簡単にいえば、人間というのは放っておけば全員女性になるけれど、ここにSRY遺伝子が働いて男性化が起きる……ということは、男性というのは女性の性XXをカスタマイズしたもの、ということになるわけです。また、一説ですが、いわゆるオカマさんというか、「神さまはわたしの体を女じゃなく、間違って男にしちゃったのよ」という方の中には、原因のひとつとしてこの時、男性ホルモンのシャワーを胎児期に十分浴びなかったからではないか……という説があるそうです)。

 

 その~、こんなことも当然萩尾先生はご存知でしょうし、萩尾先生も竹宮先生もBL的な作品がいくつもあるわけですけど、竹宮先生はBLという事柄に関しては真性の方であって(あの、間違いなくいい意味です)、萩尾先生もまた少年にしか興味のなかった増山法恵さんの影響といったこともあったにしても――男⇔女ですとか、女⇔男ですとか、男同士に限らない性のヴァリエーションの可能性について表現するにはどうすればいいのか……と模索する中で、いくつもの傑作が生まれてきたのではないかと、そんな気がしています(ええと、特にSF設定だと、こんなに広い宇宙の中で、異星人でさえもオスとメスというか、性が男性と女性しかないとか、むしろなんか不自然ですよね。だからといって、そのあたりどんな新しい雌雄の方程式を用いれば真新しくかつ不自然でもなく、さらには面白い人間ドラマとして描けるか……そんな問題もあると思うのです)。

 

 だから、同じような両性具有といったテーマでも、竹宮先生が漫画で表現される場合には『イズァローン伝説』の主人公、ティオキアのような形になるのでしょうし、一方萩尾先生の場合には『11人いる!』のフロルのようになるという、この「違い」が、自分的にすごく面白いところではないかと、そんなふうに思ったりします♪

 

 あと、きたがわ翔先生の、『小夜の縫うゆかた』の分析もまた、とても秀逸と思いました。自分的に、萩尾先生のお姉さんの名前が小夜さんとおっしゃることから……結婚して、双子のお子さんがいて、さらにはクリーニング店のパート、生け花サークル、海外文化交流会のサークル、趣味の七宝焼きサークルと飛び回り、ここにまだ余力が残っていて他の方のお世話まで焼きたいなどとおっしゃる素晴らしく欠点のないお姉さま。正直、『思い出を切りぬくとき』のこのあたりの描写を読んだ時――「うわ~、わたしそんな完璧なお姉さんが上にいなくて良かったあ~」とか、そんなふうに思ってしまいました(すみませんww殴☆)。

 

 それで、ですね。だからわたし『小夜の縫うゆかた』って、そのあたりの日本の伝統を受け継いだ家庭的な系譜については、萩尾先生はお姉さまに任せて、作中にある>>「盆に帰ってきた仏さま」のように、日本の伝統的な何がしかは受け継ぎつつも、「わたしは自由に生きるわ」という、あの部分はそんなふうにも解釈できるんじゃないかなあ……みたいに、勝手ながら思ってました(^^;)

 

 ヴァージニア・ウルフが確か、「女性が仕事をするためには、家庭の天使を殺さなければならない」的なことを言っていて……これはようするに、ウルフにとっては家庭の仕事に煩わされていたとすれば執筆活動がままならないということだったと思うのですが、「仕事に集中していると、家に残してきた子供のことで罪悪感が働き、かといって子育てや家事に集中していると、仕事や研究のことが停滞している気がしてつらくなる」という、女性というのは家事と仕事の両立のことでは苦しむことが多いということですよね。

 

 そうした事柄に関して、ウルフは「女性は妻として、母として家庭の天使となるのが理想」というこの押しつけ、家庭の天使を殺さなければ、執筆活動を続けられなかったのだろうなあ、というか(あ、ヴァージニアの旦那さんになった方は、奥さまの執筆という仕事にすごく理解のある方だったわけですけど……ヴァージニアが彼に残した遺書は、何度読み返しても胸に迫るものがあります)。

 

『少年の名はジルベール』には、出版社には男性の社員さんばかりといったことが書いてありますし(男尊女卑といったエピソードも)、萩尾先生も『一度きりの大泉の話』の中で、「男はね、女より偉いんだよ」とか、今同じこと言ったら多くの女性から無麻酔で歯を引っこ抜かれるだろう男性の話が出てきますが、それがほんの五十年くらい前の話だと思うと――その前まで人類は一体この長い歴史の中で何をやっておったんだろうという気がしてしまいますよね(^^;)

 

 このあたりの、少女漫画におけるジェンダー論とか、きっと何人もの方がすでに書いたりしてそうなんですけど……たぶん、ちゃんと一からそうしたことを系統立てて語れるように、漫画資料の保存ですとか、そうした施設の建設ですとか、すごく大切なことなんだろうなあと、あらためてそう思ったりしました

 

 もし、今も増山法恵さんが生きてらして、竹宮先生と萩尾先生の間にも例の問題がないままだったとしたら――結構このあたりでお互いに協力しあって、昔の大泉時代と同じように、三人とも瞳をキラキラさせながら少女漫画の歴史について語ったりしてたのかもしれない……これも言っても仕方ないタラレバ話ですが、そうなることが出来なかったというのは、本当に残念なことのような気がします

 

 それではまた~!!

 

 

     ユトレイシア・ユニバーシティ。-【24】-

 

「やっぱり、左岸の不動産事情と右岸のそれっていうのは違うものなのね。橋を渡って右岸に一歩足を踏み入れた途端……家賃がこんなに高くなるとは思わなかったわ」

 

「でももう、引っ越すのはやーめた!っていうのだけはナシだよ。リズがあそこにいる限り、シャロンも引っ越さないって言ってるんだからさ。その……前から言ってるみたいに、初期費用のほうはオレがだすし、家賃だって払ったっていいんだよ。だから、一階っていうのは絶対なし、オートロック付きじゃないところも絶対ダメだ。かといって、大学からあんまり離れすぎると今度は地下鉄やバス料金が高くなるし――やれやれ。ネットでもう一回、目が充血するまで物件をさらうしかないな」

 

 ロイとリズは、彼の家のリビングでそんな話をしていたのだが、その時不意にソファに座るふたりの後ろからアリシアが現れた。先ほどから、会話のほうならダイニングまですっかり筒抜けだったからである。

 

「ねえ、リズ。きっとあなたはこんなの嫌だろうけど……ここに住むっていう方法もあるわよ?」

 

 アリシアはニコニコしながら、袖椅子のほうに座って言った。

 

「ほら、リズのお母さんのレベッカ、もし今後退院されることでもあったら、ここで一緒に住むなんてどう?うち、部屋ならたくさんあるし、わたし、あなたのお母さんが好きなのよ。で、もし将来ロイとなんかあって別れたとしたら……まあ、そんならそれでもいいじゃない。お互い若いんだし、きっとあなたたちなら別れたあともいい友達でいられるわよ」

 

「やめてよ、母さんっ!そんなんだったら、オレがこっから出てリズと同棲でもしたほうがずっといいよ。第一、リズがシャロンと一緒に住まないのも、そういう理由からなんだし……ほら、どんなに仲が良くたって一緒に住むとなったら話は別っていうさ。シャロンだって同じ理由で、ジョゼフィンたちと同じ屋敷で暮らす気はないんだ。あくまでも比較的近い場所に住んで、エマやアーロンの面倒を時々見たりっていうそんな感じでね」

 

「でもわたし……もし、本当にご迷惑じゃないとしたら……」

 

「えっ、ええっ!?」

 

 リズが考える余地のあるような態度だったので、むしろロイのほうが驚いた。というのも、ふたりの間では「同棲するのは流石に早い」ということで意見が一致していたからである。お互い、大学を卒業するまでは――また、ふたりとも大学院へ進学したいと思ってもいるので、学生のうちは勉学が第一と心得るべし!というのだろうか。そうした意味でも、これからもゆっくり愛を育んでいこう……といったように、意見が一致していたのである。

 

「あっ、ごめんね、ロイ。そりゃもちろん、あなたは嫌よね。でも母さん、この間一週間くらいこちらでご厄介になった時、すごく楽しそうだったの。まあね、あの時はたまたま偶然、母さんも状態が落ち着いてたってだけなのかもしれない。それに、退院するにしても、お医者さんの話ではもっとずっと先の話だってことだったし……」

 

 実は、話はこうしたことだった。リズはよくロイの家へ遊びに来ていたし、アリシアやハリーとも、食事の席をともにすることがよくあった。そうしたある時、アリシアがふとこう言ったのである。「リズのお母さんを一度うちに招待するのはどうかしら?」と。「あなたたち、ボランティアやってるんだからわかるでしょう?それで言ったら、赤の他人より自分の身内を一番大切にしなくちゃ絶対駄目よ」

 

「わたしもあなたたちを見習ってボランティアがしたいの」とアリシアが強く主張したため、リズは母が入院している精神病院へ行くと、担当医にそのことを相談した。すると、「まあ、一週間くらいならいいでしょう」ということだったのである。「もちろん、一日か二日でも不穏な状態になったり、何か様子がおかしいと思ったら、病院のほうへ戻らせてくださいよ。あとは、薬の服用のほうを間違いなく忘れないように」――といった経緯によってルイス家へやって来たレベッカ・パーカーだったが、当然やって来た時、彼女は恐縮しきって怯えていた。娘が将来を考えている男の実家とはいえ、レベッカにとっては誰も知らない屋敷で一週間も寝泊りせねばならぬのだから、無理からぬことである。

 

 だが、レベッカはまず、何よりアリシアと宗教のことで話があった。このことはアリシアにとってはなんら不思議なことではなく、リズが「母はペンテコステ派のクリスチャンなんですよ」と聞いた時からわかっていたことだった。レベッカは七月半ばの土曜日にやって来て、その翌日にはアリシアと一緒に教会へ行き……すっかり親しくなって帰ってきたのである。

 

 その翌日も、一緒に聖書を読んだり祈ったりして過ごし、自分の家族の不信仰を自分がいかに嘆いているか、アリシアはレベッカにとっくり話して聞かせたのだった。「四人も息子がいて、小さい頃はみんな真面目に教会へ通ってたのに……今じゃすっかり父親と同じ科学の信徒になってしまいましたの」と。「まあ、それは大変ですわね。奥さま、ふたりで心を合わせてお祈りしましょう。イエスさまも、ふたりの人間が心を合わせて祈るところにはわたしもいると、そうおっしゃってますもの」――というのが、アリシアの嘆きに対するレベッカの答えであった。

 

 アリシアの目にもハリーの目にも、またロイにとっても……レベッカは「普通の」というより、普通以上に善良そうに見える、純朴そうな人として映った。娘のリズの話によれば、「ようするに母は父という悪い男に引っかかってしまったということなのよ」と、そういうことであるのらしい。

 

「わたしも父のことでは色々悩んだから、DVについて書かれた本とか、図書館で借りてきたりして、随分読んだりしたのよ。そしたらね、母の場合はひたすら忍従するタイプだから、父の暴力がそこにピッタリ嵌まってるっていう、そういう不幸な取り合わせだっていうことがわかったの。奥さんのほうが口が達者で、旦那さんが言い返す前に十倍も言葉を並べるから、堪らなくなった旦那さんが暴力を振るうって場合も当然あるわけだけど……まあ、自分で自分の惨めさとか人生がうまくいかないあれやこれを、母に投影して、それを殴ってるってことよね。簡単にいえば自分で自分を殴ってるようなものだけど、本人が痛みを感じるわけじゃないから、またある周期で母さんの元へやって来ては殴ってお金を巻き上げていくっていうね。そんな強いストレスがしつこいくらい何度もなかったら、母さんも精神病院に入院する必要まではなかったはずなのよ」

 

 レベッカがやって来た三日目の火曜日、ルイス家にもある周期でやって来る来客があった。テッド・レズニックである。彼は酒を片手に遊びにやって来たのだが、リビングで見知らぬ女性がいかにも真摯な様子で刺繍仕事をしているのを見て――首を傾げた。暑い夏場はルイス家ではあちこちの窓が開いたままである。そのことを知っている彼は、リビングに通じるフランス窓から勝手知ったるなんとやらで入ってきたのだった。

 

「ここの家の人は、どうしたんですかね?」

 

 テッドは、レベッカに対して最初、「どこにでもいる普通のおばさん」といった印象を持った。それから、大体のところ自分と同じ年齢だろうと思い、(そんなこと言ったら、俺だって「どこにでもいる普通のおっさん」だわな)と、自分のことがおかしくなった。

 

「えっ、ええ!?」

 

 レベッカは次の瞬間、飛び上がりそうなほど驚いていた。誰もいないと思っていたのに、突然見知らぬ中年男が現れたのだから無理もない。

 

「ああ、すみません。あやしい者じゃありませんので、ご心配なく。俺はルイス夫妻の昔からの友人なんですよ。親しすぎるあまり、びっくりさせようと思って、フランス窓からこっそり忍びこんだんです。泥棒や強盗じゃありませんので、警察に通報する必要はありませんよ」

 

「そ、そうだったんですか。じゃあ、アリシアさんを呼んできましょう。ハリーさんの部屋で、具合の悪くなった旦那さんのお世話をしてるはずだから」

 

「あいつ、具合が悪いんですか?」

 

(タイミングの悪い時にやって来たかな)と、テッドは内心で溜息を着いた。

 

「なんでも、夏風邪だということでしたよ。ええと……なんでしたっけね。アリシアさんは宇宙の瞑想だのと言ってましたっけが、何かそうしたご研究に熱心になるあまり、エアコンをつけっぱなしにして寝てしまったのが悪かったとかで……」

 

「そいつはただの現代人の贅沢病だな。じゃ、心配して見舞いの言葉を述べたりする必要まではないだろう」

 

 テッドは冷蔵庫の中からサラミやチーズなどを取りだして持ってくると、それを摘みにしてワインを飲みはじめる。

 

「良かったら、どうぞ」

 

 テッドはワイングラスをサイドボートから取りだすと、そちらにも白ワインを注いだ。けれど、レベッカのほうでは「わたし、お酒は飲みませんの」と、どこかつんと澄ましたように冷たい態度で言うのみだった。

 

「ふうん。それで、お宅はどういった客人なんですか、このルイス家の?」

 

「わたし、精神病院に入院してまして、一週間くらい外出許可を得て、ルイス夫妻のご厚意で滞在させてもらってますの」

 

(へえ……精神病院ねえ)

 

 テッドとしては、一体どこから彼らがそんなことになったのか、その点がわからず、首を傾げるのみだった。

 

「なんですの?頭のおかしい人間がそんなに珍しいんですか」

 

「いやあ、違いますよ。概して、自分のことを頭がおかしいと言う人の中に、本物の狂人はいません。それに、あなたは至極まともそうに見えるご婦人ですよ。それなのに精神病院に入院されてるのが不思議だなと思っただけです」

 

 このあと、レベッカはテッドには何も言わず、手許の針仕事にのみ集中し続けた。テッドのほうではサラミとチーズを交互に食べ、そして酒を飲む。

 

「一体、どこがお悪いんですか?」

 

「わたしの頭のどこからへんが、という意味ですか?」

 

「そうです。精神疾患であれば色々あるでしょう。統合失調症とか、鬱病とか神経症とか……」

 

「医者の話では、わたしは幻聴が聴こえるタイプの統合失調症だそうですよ。けどまあ、今は大分良くなりました。医者は薬の効果だと言い張るんですが、わたしはそう思っておりません。神の力です」

 

(ははあ。このおばさん、確かにこりゃちょっと頭がおかしいわけだな)と、テッドはそう思った。

 

「神の力があなたの精神の病気を癒した……が、あなたはまだ精神病院に入院していらっしゃる。そこに矛盾はないのですか?もし神があなたを癒したのであれば、あなたはとっくに退院しているはずなのでは?それとも、精神病院の居心地がいいので、病気の振りをしてそこに居続けているとか?」

 

「わたしにはもう……幻聴は聴こえておりません。ですが、疑り深い医者のほうが『そんなはずはない』と言って、わたしを入院させ続けているのです。あなたは一生の間薬を飲まなければいけないし、薬を飲まなくなったらまた状態が悪くなるんですよとこう言うのです。でも、わたしにはわかっています。ある時、教会で聖霊の声を確かに聞いたのです。『あなたは癒されました』という……まるで天使のような美しい声でした」

 

(だから、それが幻聴なのでは……)

 

 テッドはそう思ったが、軽く笑って終わらせた。彼は神など信じていないし、極めつけの懐疑主義者でもあったが、精神病の女性に対し、教会で聴こえた天使だか聖霊の声まで否定するのは可哀想だと思ったのである。

 

「なんですの?一体何がおかしいんですか?」

 

「いえ、べつに……ということは、なんにせよ、あなたは神を信じておられるわけだ。俺はね、不思議で堪らないのですよ。アリシアはあなたと同じようにキリスト教の神とやらを信じているわけですが、どうも俺の心が救われるようにと彼女は祈っている節がある……だが、どうです?俺の心が救われない崖っぷちから転落して、もう何十年にもなりますが、俺自身には一向神の救いの光など、人生のどこにも見当たりませんよ。あなただってきっと、精神病院に入院してるというだけで人に偏見の目で見られたりなんだり、色々あるでしょう?それなのに神など信じて一体なんになります?」

 

「まあ、あなたもきっと主イエスにとっては彷徨える可愛い子羊なんですわ。そうですわね。わたしがまず、あなたにぴったりの聖句を探しだして教えて差し上げましょう」

 

 レベッカはそう言うと、マントルピースの上に置いた自分の聖書を取り出し、いかにも厳粛な様子でページを捲りはじめた。

 

「これなどいかがでしょう?ローマ人への手紙、第10章11節『神に信頼する者は、決して失望させられることがない』」

 

(このババア、人の話聞いてんのか)と、テッドはそう思ったが、むしろレベッカのそうした様子を今ではすっかり面白がっていた。

 

「俺の話、聞いてましたか?俺は今現在、失望の最中にあるんですよ。それに、神を信じぬ者が神に信頼することも当然できない……そうは思われませんか?」

 

「そうですわねえ。じゃあ、これなんてどうです?『ブタはまた泥の中に転がる』なんていうのは?」

 

 テッドは思わず、ブッと酒を吹きそうになった。だが、レベッカのほうは皮肉を言ったつもりはないらしく、彼が一生懸命笑いを堪えているのが何故なのかも、さっぱりわからないようだった。

 

「わたしの娘が小さかった頃、こう言ったことがあるんですよ……『リズは聖書の中でどの聖句が好き?』って聞いたら、『ブタは身を洗って、また泥の中に転がる』っていうペテロの手紙の言葉が好きだって。わたし、思いました。聖書は詩篇とか雅歌とかヨブ記とか伝道者の書とか、とても素晴らしい言葉の宝庫なのに、なんでよりにもよってその言葉なのかと思って。そしたら、リズは言うんですよ。『人間はみんな同じようなものじゃない?』って。『自分では悪いことをしてるってわかっていながら、また同じ泥の中へ転がるのよ』……その時あの子、まだ小学四年生とか、そのくらいでした。だからわたし思ったんですの。これは近所に住んでる人の悪い影響だなって。何分、娼婦や麻薬の売人とか、そんなのばっかりしか同じアパートには住んでませんでねえ。かと言ってお金もなくて引っ越すことも出来ないし……本当、あの子には悪いことをしたと思いますわ。それなのに、今では国で一番の大学に入学してますの。親のわたしは何も出来ませんでしたが、とにかくあの子がいい子に育つようにと、毎日お祈りを欠かしたことはございません。まったく、主イエスこそ我が盾、我が岩、我が砦ですわ」

 

「サムエル記に記されている、有名なダビデの賛歌ですね。確か、旧約聖書の詩篇にも大体同じ言葉があったと思いますが……」

 

 レベッカの今の言葉で、テッドにもようやくわかった。彼女はロイのガールフレンドのリズ・パーカーの母親なのだということが。そして、精神病の厄介な親戚を持つことになってもまるで構わないという、彼女を精神病院から招いたのはそこらへんの意思表明なのだろうということも。

 

「あら、よくご存知じゃありませんか。あなたはきっと隠れキリシタンなんじゃありませんこと?」

 

 ここで、アリシアがリビングのほうへ戻ってくると――テッドの愉快そうな笑い声が聞こえてきて、彼女は驚いた。見ると、冷蔵庫の中の物をいつも通り勝手に取りだして食べているのがわかる……いや、それはいいにしても、テッドのみならずレベッカも一緒になって笑っているのが、アリシアには不思議だったのである。

 

「いやあ、彼女はとても愉快なご婦人だね。なんにしても、今日はもう帰るけど、また来るよ。彼女、まだ夏休みの間、暫くいるんだろ?」

 

「ええ。でも、今週の金曜日には帰ってしまうのよ。病院のほうに連絡して、もう何日か伸ばしてもらおうとは思ってるんだけど……」

 

「ふうん。そうか。なんにしても、ハリーにお大事にと言っておいてくれ」

 

 ――この翌日、テッドは再びやって来た。午後四時頃のことだったが、アリシアに聞くとレベッカは庭を散歩中ということだったから、彼は彼女の姿を探して広い庭の中を彷徨った。瓢箪池にかかる朱色の太鼓橋を渡ったり、薔薇園のあたりを探したり……アガパンサスやギボウシ、ルピナスやルドベキア、アゲラタム、ホタルブクロ、八重咲のハイビスカス――などなど、緑したたる庭は花盛りだったが、レベッカの姿がなかなか見当たらないため、彼女がすでに屋敷の中へ戻ってしまったのではないかと彼が疑いはじめた時……庭の隅のほうにある東屋に、ようやくテッドはレベッカの姿を見つけたのだった。

 

「ここにおいででしたか。庭の中を探すうち、すっかり汗をかいてしまいましたよ」

 

「まあ、こんにちわ。ミスター……」

 

 レベッカが思い出せないというように首を傾げたため、「テッドですよ。まあ、ミスター・レズニックでも構わないといえば構いませんが」と挨拶した。とりあえず、すぐ隣に座るというのは失礼に当たるかもしれないので、テッドは彼女の向かい側に腰かけた。

 

「読書ですか?やあ、確かにここは風の通りもよくて、少しは涼を取れますね。一体、何をお読みなんですか?」

 

「ヘレン・ケラーですよ。彼女の書いた『私の宗教』という本です」

 

(やれやれ)と思い、テッドは内心で苦笑した。だがまあ、わからなくもない。信仰心を支えにヘレン・ケラーは三重苦を乗り越えたということだったから、それに比べたら自分の人生の困難などいかなるものぞ……と、そこに励ましを受ける人間は多いのだろうと、テッドにしてもその点については理解できる。

 

「面白いですか?」

 

「ええ、とっても……」

 

 傍から見ても、レベッカが本の内容に夢中になっているらしいのは見てとれた。だが、テッドとしては彼女と話がしたかったため、邪魔して悪いと思ったが、構わず話し続けることにした。

 

「あれから、考えたんですよ。俺は今から何十年もの昔……グランド・ジョラスというヨーロッパにある山でね、登山中に仲間をふたり失い、それからハリーの体をあんなふうにしてしまいました。俺はその登山隊を率いる隊長だったんです。ヘリコプターに救助されて下山したあと――責任を感じている俺に対して、多くの人たちが『君のせいじゃない』といったようなことを口にして慰めてくれた。だが、俺の心から罪悪感が消えることはその後も決してありませんでした。そしてその後、時々こんな夢を見るようになったのです……あの雪山で、『わたしたちが死んだのはおまえのせいだ』と、幽霊のようなふたりに詰られたとすれば、俺はいっそ、きっと気が楽だったでしょう。でもふたりとも、何も言わないんです。綺麗に晴れ渡ったどことも知れない雪山で、幸せそうに微笑んでいるという、それだけで……その夢を見たあと、俺は何故だか一時的に赦されたような気持ちになります。そしてそのあと、俺の心の中でふたりの人間が格闘しはじめるんですよ。それはまるで、聖書のヤコブと天使の格闘みたいなものでね……俺の心の中には、自分の良心と罪悪感という、ふたつの強い人格を持つ人間がいるんです。そして、罪悪感の塊のようになっている俺が、赦されたいと願うもうひとりの俺の首を絞め、『おまえは赦されないぞ、赦されないぞ、これからも決して赦されることなぞないのだ』と、もうひとりの俺が気を失うか死ぬかするまで、ぐいぐいそんなことをやるわけです……そして、そういう時に俺はこのルイス家へやって来て、酒を飲んでは嫌な人間になってくだを巻きます。ハリーやアリシアにしてもよく、『いい加減よしてくれ。もう二度とうちへは来るな、迷惑だ』と言わなかったものだと思いますよ。いや、実際のところ、俺はそう言われて愛想を尽かされたくて、繰り返しそんなことをしてるんだと思うんだが……まるで、駄目人間のギネスに挑戦でもするみたいに」

 

「幻聴が、聴こえるんですよ」

 

 レベッカは、本のページを繰る手を止めると、ふとそんなふうに呟いた。目も顔も、テッドのほうを見てはいない。

 

「するとね、その声は大体わたしに否定的なことを言うんです。『おまえは駄目な人間だ』とか『だからこんな目に遭うんだ』とか、その他、聴きたくもないような汚らわしい言葉なんかをいくつもね……わたしの場合は、誰か人と親しくなったりするでしょう。そしたら、その人が『実は本当はこんなふうに思っている』みたいな感じで、それが肉声にも近い声で聴こえてくるんですね。だから、ほんとにその人がそう言ってるように思ってしまう……今はね、随分よくなりましたよ。最初のうちは、そんな声が聞こえてくるたびに『でも、イエスさまがわたしを愛してくださっている』と思うことで、随分慰められました。でも、この間お話しましたでしょう?天使さまか聖霊さまの声かもわかりませんが、『あなたは癒されました』という声を聴いて以降、ピタリとそうした幻聴が聴こえなくなったのです。きっと、あなたにもわかる時がやって来ます。本当はずっと昔から自分はその人たちから赦されていたんだと、そうわかる瞬間がね……」

 

 この瞬間、テッドは突然どっと涙が魂の奥から流れでるように溢れてきて――自分でも驚いた。彼は決してそういった種類の感傷的な人間ではないし、今話したことも、レベッカがむしろどう答えていいかわからず、戸惑って終わるだろうと思っていた。だが、テッドは彼女にならば何故か話しても良いと思ったのだ。また、何故そう思えたのかも、彼自身不思議なことではあったのだが……。

 

「俺は本当に……赦されているんでしょうか。もし仮に赦されていたとして、どうやってそれを信じます?今もし仮に一時的にそう思えたとして、また再び例の懐疑的な感情に襲われるでしょう。そうすればまた、同じことの繰り返しだ。そうですよ……あなたがこの間言っていた、『ブタはまた泥の中に転がる』というやつです……」

 

「ブタはもう泥の中を転がりません」

 

 レベッカはあくまで至極真面目な顔をしたまま言った。

 

「それか、また泥の中を転げたくなったら、わたしに会いにいらっしゃい。それか教会へ行って、赦されていることをまた疑ってしまいました、ごめんなさいと、神さまに向かって懺悔するのです。いいですか?」

 

 テッドは東屋の木で出来た床に膝をつくと、レベッカの膝に抱きついて泣きだした。この時、アリシアが東屋のほうへ向かってやって来るところだったのだが……「ごめんなさい」とか、「赦してください」と、あのテッドが鼻声で呟いているのが聞こえ――彼女は再び、池にかかる太鼓橋のほうへ引き返していった。

 

 テッド・レズニックに何事かが起きたことはわかったが、彼がレベッカに抱いている感情は、恋愛感情といったものではないとわかっていた。しかもこのあと、テッドはレベッカと一緒に戻ってくると――「何も知らない」という振りをしてキッチンで料理していたアリシアに向かい、「ありがとう」と一言いって、酒を飲むでもなくそのまま帰っていったのである。

 

 アリシアはレベッカに、「テッドに何が起きたの?」とも聞きはしなかった。レベッカはただ、「あなたの貸してくださったこの本、本当に素晴らしいわ」と言ったが、それはただの本に対する純粋な賞賛であって、彼女の顔には<テッドの魂は救われた>といったような、誇らしさの影すら見当たらなかったといえる。

 

 もし仮にこのことがあってもなくても――アリシアはレベッカに対する友情と愛情のゆえに、自分たちの屋敷に引き取りたいとは願いでたことだろう。けれど、他の誰にもどうすることも出来なかったテッド・レズニックの心の苦しみを棘ごと彼女が取り除き、癒してくれたことのゆえに……今後一時的にレベッカとの間に不和が生じたり、少しばかり喧嘩した、お互い腹の居所が悪く、意味もなく感じの悪いオーラを発しあった……ということがあったにせよ、大抵のことはテッドのことのゆえに、アリシアもハリーも自分たちのほうが安々と折れることが出来るだろうと、そう確信していたのであった。

 

 こうした事情に加えて、リズのほうでもルイス家の雰囲気が好きだったこともあり、ロイはそれ以上、この結婚前の奇妙な同棲状態に反対しようとはしなかった。彼の希望としては、いくら屋敷の部屋が十数部屋空いているからといって――その端と端に離れて暮らしたにせよ、そのくらいであれば本当に<ふたりきり>で新しい部屋で暮らしたかったのである。そうすれば、彼が家賃を支払うことにリズも反対しないだろうし、新婚のような甘い時間も同時に過ごせるだろう……だがこのあたり、リズは考え方が違うのだった。「1DKとか2DKくらいの狭い空間にいたら、わたしたち、絶対にすぐ喧嘩になるわよ」と言うのである。「どっちが食事の支度をしたのしないの、風呂掃除しないのゴミを捨て忘れて出かけただの、そんな具にもつかないくだらないことでね。でも、ロイの家に住んだとしたら、わたし、家事の手伝いはするけど、それはアリシアの邪魔にならない範囲でってことなの。嫁と姑になる前から険悪になるとか……ロイの心配してることもわかるけど、わたし、アリシアとならたぶんうまくやれそうな気がするのよ」

 

「だといいんだけど……」

 

 ちなみに、ロイはこの件についてあまり賛成でない、という自分の意見表明をしてのち、父のハリーにも助言を求めていた。家にいても仕事をしている間は書斎へ引きこもっていないも同然の父ではあるが、一緒に暮らすということは、屋根の下にいる全員の一致が必要と思ったというのがある。

 

「私の意見か……ロイがアリシアとは違って、そんなものが必要だと思ってくれただけでも、私は感謝すべきなんだろうな。といってもまあ、私の意見というのはな、ロイ、『女どもには好きにさせておけ』というものさ。いいかね?私のユトレイシア交響楽団の友人に、こういう妻を持っている人がいる……もちろん、彼女にピアノの才能がなかったとは私も言わん。だがな、結婚を決めた時にそちらの才能についてはピアニストとしてソロリサイタルを開けるほどでないとして、諦めたはずなんだ。ところがその後、二十年くらいしてふたりは、離婚するかどうかというくらいの大喧嘩をした。確か、きっかけは子供の留学のこと云々で……その時、奥さんはこう言ったわけだな。『わたしがあの時ピアノの道を諦めてなかったら、今ごろは世界各地をピアニストとして駆け巡っていたわ』と、こう来たわけだ。どう思うね?二十年もの結婚生活の間、ずっとこの奥さんは心の底にそうした鬱屈とした思いを抱えておったわけだよ。ようするにな、ロイ。アリシアやリズが今後、『だからあの時こうしておけば良かったのに!』みたいにならないためには、彼女たちの好きにさせるしかない。で、向こうでなんかがうまくいかないらしいとなったら、私とおまえで『あれ~?ぼくたち最初に反対したはずだけどな~。変だな~。あれ~?』みたいな雰囲気を醸しだせばいいさ。それだけで女性のほうでは絶対気づく」

 

「だけど、そうなってからじゃ遅いとオレは思ってるんだよ。家族っていうのは365日ずっと一緒にいるもんだから、いつでもお互いの腹の居どころがいいとは限らない。でも、そんなのを乗り越えつつだんだん空気みたいにいるのが当たり前になってくものだろ?オレ、実はそれが一番怖いんだよ。オレとリズ、結婚する前からもう空気って……まだつきあいはじめて一年にもならないのに」

 

 この時、ロイは父の書斎で、壁際の本棚にぎっしり並ぶ本を手に取りながら、そんなふうに言った。そう考えていくと、本当に心底ゾッとする。

 

「はははっ!まあなあ、ロイの言いたいことは私にもわかるよ。こんな実家なんていう新鮮味のないところじゃなく、おまえにしてみたらそりゃあ、新婚家庭を持つか、新しい環境で同棲するかでもしたほうが……男としてよっぽど夢とロマンが持てる。もし今後、アリシアとリズの関係が本人たちが思っとる以上にうまくいかなかったとしたら――その時には、そうしたことを考えればいいだろう。その時には、ロイとリズの新居費用は私がだすよ。そういうことでどうだね?」

 

「ありがとう、父さん。そういうことならオレも、気は進まないけど……まあリズには反対しないで『手伝うから、いつでも引っ越しておいで』ってそうオッケーサインを出すことにするよ」

 

 ――こうして、リズがまず左岸のリバーサイド地区から右岸中央区、一等地に建つルイス家の屋敷へ引っ越してきた。元の部屋のほうには、彼女の母親のための部屋が、病院から戻ってきた時のためにそのまま保存してあったが、その荷物はすべてルイス家の一階にある一室へとそのまま移動することになった。レベッカが時々、病院から外出許可を得て泊まりにくる時のためである。

 

 リズの部屋は二階の、元は一番上の兄と二番目の兄の部屋の真ん中あたりにある場所と決まった。ちなみに、ロイの部屋のある位置とはかなり離れているが、リズ曰く「普段はお互い、勉強もしなきゃいけないし、メリハリって大切でしょ?」ということだった。

 

「わたしね、アリシアと母さんの仲がいい感じだっていうことの他に……ここへ引っ越してくることにしたのは、ロイのお父さんの影響も大きかったりするのよ。だって、ロイのお父さん、家にいてもほとんどいないみたいな感じじゃない?だから、わたしも勉強してる間とか、気を遣わないで同じようなものでいいのよって、アリシアもそう言ってくれたし……」

 

「まあね。オレも最初は反対したけど、こうして実際にリズが引っ越してきてくれると、やっぱり嬉しいよ。そういえば明日、二番目の兄貴のロドニーが奥さんのアリスと一緒に来るって言ってたっけ。例のセクシーなメルセデスが元の状態に戻ったから、オレにも見せてくれるって」

 

 いらないものはリズも、「断捨離、ダンシャリ」と唱えつつ、なるべく荷物の量を減らしたつもりではあったが、それでも引越し業者が2トントラックで二往復することになった。この翌週、シャロンもリズの下の402号室から退去することになったが、リズもシャロンも実はとてもラッキーであった。というのも、このアパートメントの所有者が(彼は斜め向かいに住んでいて、共用部分の電気が無駄に点いてないかいつでもチェックしているのである)――老朽化したこの建物を潰して土地を売る予定でいると、つい先月、そのように話をしに来ていたからであった。「まあ、年内をメドにね、考えておいてくれないかね。引越し代その他、多少はこっちでも保障させてもらいますからね」と。

 

 その話を聞いたリズもシャロンも、「これはわたしたちはここから出ていく運命だってことなんだわねえ」と、顔を見合わせて笑っていたものである。

 

 ノースルイスからジョゼフィンたちがユトレイシアへ引っ越してくるのは、もう少し先になるということではあった。だが、エマもアーロンもすでに、今住んでいる屋敷の近所に友達が出来ており……みな、子供たちの今後のことを一番心配していたが、きっとなんとかなるに違いないと――心からそう信じていた。

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

 


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