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こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

惑星シェイクスピア-第三部【37】-

2024年12月17日 | 惑星シェイクスピア。

 

 以前、第一部の【30】の前文に、鎖帷子の下に「ギャンベソン」という綿の詰まった衣服を着用していたらしい……的なことを書いたんですけど、その時点ですでに、「中世・兵士の服装」という本の中でそれを「ジャック」と呼んだ……みたいにもどこかに書いてあったんですよね。それで、「ギャンベソン」と「ジャック」、鎖帷子の下に着るのは名称としてどちらが正しいんだろう――みたいには、その時から思ってはいたというか(^^;)

 

 んで、その後、「中世ヨーロッパ、武器・防具・戦術百科」という本の中に、次のように書かれているのを発見しました

 

 >>中世初期の騎士は比較的軽装備だった。たとえば1066年のノルマン人騎士は、革やキルティングで裏打ちした長い鎖帷子(チェーンメイル)、ホーバークを着て、頑丈なブーツを履き、頭は顔の部分に鼻当てのある兜で保護しているだけだった。このホーバークは馬に乗りやすいように前と後ろにスリットがあり、胴体だけでなく脚の上部と腕も守る。特に裕福な戦士は、ホーバークと重ねて脚を守るすね鎧(ショウス・鎖帷子のすね当て)も使ったが、ほとんどの戦士はこれを買う余裕がなく、代わりに頑丈なブーツですねを守った。

 また”ホーバージョン”と呼ばれる丈の短いホーバークが使われることもあった。ホーバージョンだと保護する体の面積は小さくなるが、軽く、値段もかなり安い。いっぽう鎖帷子(チェーンメイル)は製作に手間がかかるため鎧はどうしても高価になる。多くの戦士たちにとって防御能力の高い鎖帷子(チェーンメイル)は高嶺の花だ。そのため貴族や騎士、羽振りのいいサージェントなら鎧を一そろい購えても、貧しいものたちは主君やそのほかの後援者が装備を提供してくれない限り、軽い防備で間に合わせざるを得なかった。いちばん簡単な防具は、厚いキルティング地や革で作った袖なしの短い胴着、ジャーキンで、これは"ジャック"とも呼ばれていた。ジャックは鎖帷子(チェーンメイル)の下に着る胴着、つまり鎖帷子を装着する胴着とよく似ていたが、この上に重い鎧を重ねるときは”ガンベソン”または”アクトン”と呼ばれた。ジャックは、鎖帷子(チェーンメイル)に加えられた衝撃を和らげるクッションの役目も果たす。これがないと、たとえ切られなくても激しい衝撃で気を失ったり、肋骨が折れてしまうのだ。

 ときには、キルティングの服を鎧の下と上の両方に着ることもあったため、このふたつを区別し、鎧の下に着るものをアクトン、鎧の上に着るものをガンベソンと呼ぶ歴史家もいる。しかし中世の時代、これが一般的な使い方だったかどうかははっきりしていない。鎧の上に着るガンベソンの表地にはサテンやベルベットなどの高価な生地が使われ、さらに時代が下ると着用者の紋章が飾られるようになった。

 ジャックやガンべソンは厚い生地を2枚以上重ねて縫い合わせたもので、生地と生地のあいだにさまざまな素材(動物の毛やウールが一般的だった)をはさみ鎧のためのパッドとした。革製、キルト製を問わず、ジャックには攻撃を受けやすい場所に金属が入れられていた。これを入れるとジャックが重くなり、値段も張るが、そのぶん防護力は上がった。

 

(「中世ヨーロッパ、武器・防具・戦術百科」マーティン・J・ドアティさん著、日暮雅通先生訳/原書房より)

 

 自分的にここ読んで、「なるほど~!!」と思ったように次第です

 

 図で説明できないため(汗)、たぶん「コイツ何言ってんだ」状態とは思うものの……ギャンベソン(ガンベソン)っていうのはようするに、クッション性のある布地を何枚も重ねて、この上に鎧を着たもののことで、キルティング生地を何枚も重ねたような感じのものです。たぶんドラクエにおける「ぬののふく」の強化版と言ったところで、防御力はどう考えても低そうですが、例の写真として18層のリネンから出来ているものがあったりして、これだけでも着てるのと着てないのとでは段違いの差があったようです(^^;)

 

 なんにしても、わたし的に「ジャック」と「ギャンベソン(ガンベソン)」、「アクトン」というものの違いなどがよくわかって良かったという話だったり

 

 それではまた~!!

 

 

       惑星シェイクスピア-第三部【37】-

 

 一方ギべルネスもまた、ユベールがアクロイド・アグラヴェイン公爵軍を担当する間、同じようにラルドレッド・モルドレッド公爵軍を担当していた。ラルドレッドは母ラリスと身重の妻であるユリエに別れを告げると、モリア城の広場にてモルディラ騎士団や兵士らに向け演説を行い、一万五千もの兵を率い出陣して行った。

 

 この時、ラルドレッドは東からアクロイドの軍が西進して来ていると信じていたし、自分がこのまま東進してゆけば、憎っくきハムレット王子軍を挟み撃ちに出来ると信じていた。さらに北からもまた同じように、親友であった父モルディガンとアベラルドというふたりの公爵の死を嘆き悲しみ、怒りに燃えるクローディアス王軍が今しも南下しようとして来ているのである。

 

 もしラルドレッドに一度でも戦争経験があったとすれば、この時彼はもう少し自分の行動に慎重になったに違いない。少なくともハムレット王子軍が、何故そのようにみすみす挟み撃ちに合うようなルートを選んで北上し、王都テセウスを目指そうというのか、その理由についてくらいは考え、怪訝に思うことくらいはしたはずである。だが、ラルドレッドはクローディアス王の手紙を読んで感動し、自分の父と王、それにアグラヴェイン公爵とが三人でがっちりと手を組み、大勢の貴族や民草に恨まれていてまったくおかしくない政治を行っていると知っていながら……その過去については抜きにして、すっかり自分の父と王、それにアグラヴェイン公爵との友情を美化して考えていたのである。

 

 何やら血筋のあやしいハムレットなる男が王子を騙っているということも許せなければ、このハムレットとやらが自分の父とアグラヴェイン公爵を死に追いやったということも許せず、彼がこれから王位簒奪者として正統な王位継承者であるクローディアス・ペンドラゴンに盾突こうとしていることも到底許せなかった。

 

 こうしてラルドレッド・モルドレッドは、彼なりの正義の盾を掲げ、自分の父を想う義憤に燃えて進軍していった。モルディラ騎士団は代々モルドレッド家に仕える忠実な者ばかりであったし、主君であるモルディガンが非業の死を遂げたことでも、共に涙を流しあい、心をひとつにしていたと言える。だが、戦争の模擬戦ということは訓練として行っていたにせよ、やはり実戦経験から長く遠ざかっていたからであろうか。騎士団の中にも兵を率いる軍幹部の者にもひとりとして――「これはおかしいでござる。何故逆賊ハムレット軍はみすみす挟み撃ちにされる危険性の高いルートを選んで北上してきたのでありましょうや。これは何かあると考え、用心すべきかと……」といったように忠告する者さえひとりとしてなかったわけである。

 

 確かに、中には多少疑問に感じる者もあったかもしれない。だが、それ以上に王州の五万の兵と自分たちとアグラヴェイン公爵軍との挟み撃ち作戦に酔い痴れてしまい、誰もそのことを口にしようとまではしなかったようである。

 

 実は、事はこうしたことであった。マドゥール・ド・レティシア侯爵の率いる軍が、西からハムレット王子軍と合流すべく迫っていたのである。さらに、東からはリッカルロ王の率いる軍隊が、アデライール州の東の州境であるアッバドロス山の山裾にまですでにやって来ていたのである。無論、東王朝軍が何故常にバロン城塞攻略にまず血道を上げるかと言えば、クロリエンス州、アデライール州、王州テセリオンともに、周囲を天然の要害に囲まれているからであった。とはいえ、バロン城塞を落城させられぬということで、クロリエンス州やアデライール州の州境部分から東王朝軍が攻め上ろうとしたということは、長い歴史の中で何度となく前例のあることではある。

 

 だが、結局のところそれは成功しなかった。何故と言えば、クロリエンス州は比較的攻めやすそうに見えるものの、バリン州や、さらには外苑州からもすぐ援軍が駆けつけて来るからであったし、アデライール州においては、王州からもモンテヴェール州などからも大勢の軍隊がすぐにも到着することが出来るからである。

 

 となると、やはり西王朝の領地の一部を我がものとしたければ、バロン城塞を陥落させるのが一番肝要ということになる。何故か?この難攻不落の要塞さえ一度征服出来れば、今度はここを逆に拠点とし、中に住む民衆たちを追い出し、敵兵をよせつかせずに置くということが可能になろうというものだったからある。

 

 だがこの場合、約四年前にバロン城塞を際どいところまで追い込んだとも噂される、別名口裂け王と呼ばれるリッカルロ王が兵を率い、アッバドロス山の山裾に軍を展開させているというのは――クローディアス王軍側にとっては、内乱の噂を東王朝側にキャッチされ、それで攻め上ってきたとしか思われぬ出来事だったのである。実をいうと、イルシッド・イルス副騎士団長はアディル城へ戻って間もなくそのことを知り、心底震え上がるということになる。

 

 無論、彼らは知らない。リッカルロ王率いる東王朝の軍は、ただ威嚇のためだけにわざわざ遠く王都コーディリアより長く旅をしてやって来たのだということなどは……連絡の使者としては、城砦都市ロディスにいるディオルグに代わってキャシアスが立った。リッカルロはキャシアスの首を狩り、この内乱に乗じて攻め込むつもりだとの姿勢を見せるでもなく――のちの恒久的平和をハムレット王子(その頃には王となっていようが)と築くため、ここまでの手間をかけたのである。

 

 こうして、アデライール州の軍隊は東王朝軍が攻め込んで来た場合の備えとして釘付けとなり、そうなることを予想しているハムレット軍は西からやって来るマドゥール・ド・レティシア侯爵の率いる軍とモルドレッド公爵軍を挟み撃ちにするという予定でいたのである。

 

 とはいえ、ラルドレッド・モルドレッド公爵軍が一万五千もの兵を率い、モルドヴァ県、モンティル県、モンテレール県……といったようにやって来た頃、まるで示し合わせたようにレティシア侯爵、ハムレット王子軍双方から講和の書状が届いていた。ラルドレッドは先にハムレット王子軍のそれを読み、これを即刻破り捨てたのであるが、マドゥール・ド・レティシア侯爵のそれは震える手で書状を掴んだまま、二度もその文面を読み返さねばならなかったのである。

 

 それは非常に丁寧な時候の挨拶ののち、大体次のように書き記してあった。

 

 >>お父上であられるモルディガン・モルドレッド公爵の訃報を聞き、我も非常に悲しく思うておりまする。しかしながら、モルディガンさまとアベラルド公爵の死とに、ハムレット王子は直接は関与しておられないのでござりますれば……それは、ラ・ヴァルス城砦の民衆が蜂起して行った虐殺行為であり、ハムレット王子たちが到着した頃にはおふたりの公爵とも、すでに亡くなっておられたとか。

<中略>

 ラルドレッド殿、王都の貴族の子息たちの通う王立学校にて、思えば我らは同窓生でござったな。そのこと、今もこのマドゥール・ド・レティシア、懐かしい思い出としてこの胸に刻んでおりまする。その我とそなたとの仲を思い、思い切った打ち明け話をせねばなりますまい。実は我の元へカログリナント卿の息子がやって来て、我にハムレット王子軍の味方をせよと説得に来たのでござる。そなたもご存じの通り、サミュエル・ボウルズ伯爵失脚後、伯爵殿のご子息らが我がレンドルフ城へ身を寄せていたのであるが、カログリナント卿はこの者たちと以前より親しく、バロン城塞が無血開城したことや、その奇跡的なハムレット王子軍の行軍のことなどを我に知らせてくれたのでござる。

<中略>

 我の心は揺れた……と申すのも、特に王都テセウスからも出兵の要請が来ておりましたゆえ、普通に考えたとすれば、ここは主従の礼を取り交わしたクローディアス王に忠誠を尽くして勇んで出兵するところぞ。したが、ハムレット王子は星神・星母の導きにより、なんの欲もなくその言われた通りに旅して来たところ、やがてはそれが万の軍隊へと自然と変化していったというではないか。そなたも我の狂信的なまでの神に対する信仰心についてはご存じであろう。そこで、我は身を清めて祈り、ハムレット王子軍がもし本当に星神・星母さまのお選びになった王であるならばなんらかの啓示をお与えくださいと、断食し、心の底から絞り出すようにして祈ったのでござる。するとその日の夜、我は夢を見たのだ。我はまだそのハムレット王子と顔と顔を合わせて出会ったことがあるわけでもないのに、その金色の髪に青い瞳の美少年がハムレット王子その人であることがよくわかり申した。彼は遠く何十万もの兵を率い、王都テセウスへと攻め上りゆき、そこは天からの祝福に守られたハムレット王子軍によってすっかり囲まれていたのでござる。我にはわかった……ハムレット王子が足を踏み入れた途端、ティンタジェル城は天からの神の祝福に包まれ、黄金色に輝いた――それはハムレット王子が手にする栄光とその後続く平和の世の象徴であったのだと。ゆえにラルドレッド殿、そなたにもここに、友として薦める。ハムレット王子軍に投降されよ。ハムレット王子は非常に寛容でお優しいご性質の方ゆえ、無用な争いごとを好まれない方だそうだ。今は敵方の将であれ、投降し、忠誠を誓えば、決して悪いようにはされますまい。我のほうからもそのようにお口添えいたそう。もし、あのお優しい母上殿やお美しい奥方さま、それにまだお小さい子らのことを思うならば、そのようにされることがラルドレッド殿、そなたにとって何より一番の道かと思われるが、いかがでござろうか?……>

 

 ここでラルドレッド・モルドレッドは、マドゥール・ド・レティシア侯爵からの手紙をぐしゃりと握り潰した。ラルドレッドは煩悶した。手紙の中には、ハムレット王子がどのようにして死すべきところを逃れ、ヴィンゲン寺院へ至ったか、そこで十六の年に王となるよう神から啓示があったこと、最初は半信半疑であったが行動を起こしたところ、次々と協力者が現れたことなどについても書き記してあった。

 

(だが、クローディアス王からの親書には、ガートルード王妃は先王エリオディアス王との間に出来た赤ん坊は死んだと申されているとあったぞ。誰より母親が間違いなく死んだと言っている以上、間違いなく今ハムレット王子と名乗っている者はそう僭称しているに過ぎないのだ……だが、あのお妃さまも結局、あまりいいお噂のない方だからな。よく考えれば、兄王の死後にその弟と間も置かずに……ハッ。俺は一体何を考えておるのだ。逆賊ハムレットは我が父の仇ぞ。それに、父と一緒に死んでいったアベラルドおじさまにも申し訳が立たぬではないか。かくなる上は王立学校時代、いかに親しかった仲と言えども、レティシア侯爵と刃を交えてでも、最終的にハムレット王子軍を討たねばならぬ……)

 

「ぐぬうっ!!」

 

 マドゥール・ド・レティシア侯爵からの長い書状に目を通すなり、ラルドレッドが豊かなブロンドの髪に両手を突っ込み、突然気違いになったように身悶えるのを見、彼の近衛の騎士らは驚いたようである。彼らは県境の山道で、天幕を張り野営しているところであった。モルドレッド公爵専用の一番大きな天幕の前で火を囲い、食事の準備をしていたのだが――ハムレット王子軍から届いた書状について破り捨てたのは理解できたにせよ、マドゥール・ド・レティシア侯爵軍のそれが、何故こんな場所まで書状を届けられたかについてまではまったく理解しかねていたのである。

 

「ラルドレッドさま、レティシア侯爵殿は一体なんと……?」

 

 もっとも信頼する近衛のひとりにそう聞かれ、ラルドレッドは何かの救いでも求めるように、モリア城において人気者の彼のことを見返した。武術大会を開けば毎回必ず五指に入る腕前ゆえ、誰からも敬愛されている騎士のひとりで、名をモンマス=オブ=モントネイルと言った。

 

「マドゥール・ド・レティシアの宗教狂いは、昔からつとに有名であるからな。なんでも夢で神の啓示を受けたとかで、それでハムレット王子軍に味方するとかいう話……おのれ、あの裏切り者めっ!!側面や背後から我が軍を突き、ハムレット王子への忠誠のしるしとするつもりらしいぞ。なんたることだ、まったく嘆かわしいっ!!」

 

「そ、それは誠でございますかっ!?」

 

 最初の近衛とはまた別の、武勇に誉れの高い壮年の騎士がそう口にした。彼は以前、マドゥール・ド・レティシア侯爵と槍を交えたことがあるが、侯爵が手加減してくれなければ危うく大怪我するところだったのである。

 

「それで……こう申してはなんですが、ハムレット軍からの使いの書面には一体なんと……?」

 

「ついカッとするあまり、破いて燃やしてしまったが、何やらおかしなことが書いてあったわ。投降して忠誠を誓うならば命までは取るまいとかなんとか……それで、あくまでも神に選ばれし正義の我が軍に盾突くというのであれば、今後いくつもの災難が汝らの軍を襲うであろうとかなんとか。くだらぬ戯言よ。おそらくはクローディアス王の軍とアグラヴェイン公爵の軍と我らモルドレッド軍とを分裂・攪乱させるための手紙であったのだろう。ゆえに、構うことなく我らはこのまま進軍し、アクロイド公爵の率いる軍と合流すれば良いだけのこと。レティシア侯爵の軍にしても、王州の兵力には到底敵わぬとわかっておるはずだからな」

 

「…………………」

 

(このように使者が足を運ぶことが出来るということは、こちらの軍の位置についてもハムレット・レティシア両軍にわかっているということなのではないか?果たしてこれが一体何を意味するか……)

 

 この者たちはモリア城砦の三騎士と呼ばれ、モルディガンが自分の大切な跡取り息子のため、特に選んで護衛の任に就かせた者たちであった。

 

 だが、近衛騎士の中に、この疑問を口にする者はなかった。そこで、彼らは主君である新しきモルドレッド家の公爵が眠りに就くと、互いに集まってこのことを話し合った。簡単に約めて言えば、ハムレット軍を挟み撃ちにしようとしている自分たちのほうこそが、実はハムレット・レティシア侯爵軍とに挟み撃ちにされるのではないだろうか、ということを。

 

「だが、さらにハムレット王子軍の後ろをアクロイド公爵軍が衝いたとすれば……?」

 

「それでも、犠牲者や死者はおそらくたくさん出よう。勝てたとしても、ハムレット軍は一度退き、再び態勢を立て直せば良いのだ。その場合、王都の軍とぶつかっても、数として優位なのはやはりハムレット軍だ。考えてもみろ。ハムレット軍はハムレット軍で、これからはバリン州の州都バランを王都とするとでも宣言し、そちらでクローディアス王よりも善き政治を敷いたとすれば、民はみなこちらに靡くのではないか?」

 

「大恩あるモルディガンさまとアベラルド公爵の仇を討ちたいのは山々なれど、我々は何より、モルドレッド家の再興ということを家臣として最優先に考えねばならぬ」

 

 こうして、モーリス=オブ=モントジョイとモーゼス=オブ=モンテスキュウとモンマス=オブ=モントネイルの三騎士は、いざとなれば自分たちの命を持ってしてでもラルドレッドの命を守ることと、最悪の場合レティシア侯爵の慈悲に縋ってでもハムレット軍に投降するということも――戦略のひとつに入れておく必要があるということで一致した。無論、マドゥール・ド・レティシア侯爵の手紙にそのようなことが書いてあったとまではラルドレットは一切口にしなかった。だが、三騎士たちはレティシア侯爵の人柄についてはよく知っていたため、おそらく彼がそのように投降を薦めてきたのではないかということは容易に予測がついたのである。またそれであればこそ、あれほど手紙の分量があったに違いないということも。

 

 そのような悲愴な覚悟を秘めつつ、モルディラ騎士団は翌日再び進軍を開始したのであったが、この翌日から何やら天候のほうがあやしくなってきた。この季節としては珍しいことであったが、神鳴りが鳴り始めたかと思うと、それはやがて激しい雨に変わった。さらにその後、苦労して天幕を張ったにも関わらず――雨が雹へと変わり、天幕のすべてを引き裂き、叩き潰してしまったのである。

 

「いてっ、いてっ、アイテテ……っ!!一体なんじゃこりゃあっ!?」

 

 騎士も兵士らも、おのおのが持っていた盾を頭上に掲げ、まともに頭に食らったとすれば大怪我をしかねぬほどの大きな雹から必死で身を守らねばならなかった。さらには雹が降ってきたということは気温が急激に下がったということであり、これがまた、鎖帷子や鉄の甲冑を身に纏った兵士たちの身にこの上もなく堪えたのである。

 

 簡単に火も焚けぬ状況から、モルドレッド公爵軍は急いで次の城砦都市のあるモルドガリスへと逃げるようにして向かった。無論、自分たちを治める領主の軍がやって来たのであるから、城門のほうはすぐ開かれたとはいえ……城砦都市を治める貴族、ラモン・ストラルド卿の顔色は、最初に会った時から不吉さを秘めた、何やら極めて優れぬものだったのである。

 

「それはご災難でしたな、ラルドレッドさま。実はそのう……お越しくださったことは我らにとっても無上の喜びと言えども、実はそのことが公爵さまにとって果たしておよろしいことであったかどうか……」

 

 ラモン・ストラルド卿の歓待を受け、騎士も兵士らもすっかり心と体が温まり、一心地ついていた時のことであった。何やら彼が予言めいた口調でそのようなことを言ったため、実はラルドレッドは内心ギクリとしていたのである。というのも、逆賊ハムレット軍からの使者の手紙には次のように書き記してあったからだ。『もし投降を拒めば、第一に雹の難、第二に暗闇の難、第三に蛭の難に汝らは襲われよう。これらのしるしを見てのちもさらに我が軍へ襲いかかろうという意志変わりなくば、徹底的な破滅を見ることとなろう。無論これらの災厄ののち、生き残った者たちのことは、投降するというのであれば快く我が軍の一員として迎え入れようぞ。だが、善意で言う。こうした神の怒りを招きたくなくば、最初から投降するのが最善の道であるということを』――ラルドレッドは(こんなもの、ただの脅しだ。我が軍を脅し、戦わずして投降させようという魂胆なのだ。そうはいくか)と、一読した一瞬後に拒否したわけである。

 

 だが、ラモン・ストラルド卿の顔色は青ざめて暗く、唇などはうっすら紫色をしており――まだ三十八歳という年齢ながら、卿がもともとプラチナ・ブロンドな髪のせいもあってか、不健康に太っている彼は、何やら不気味な幽霊であるようにさえ見えたものである。

 

「ラモン殿、今の言葉の意味、どうか俺にだけわかるよう教えていただけませぬか」

 

 大広間で暖を取る騎士や軍幹部らの目を逃れるようにして、ラルドレッドはストラルド卿のことを大理石の柱の陰へと連れていった。

 

「はあ……その、ですな。これから勇敢にも、逆賊軍へと立ち向かおうというラルドレッドさまには非常に申し上げにくいことなのでございますが、ここのところ、我が城内では怪奇現象と申しますか幽霊現象と申しましょうか、なんとも名状しがたい出来事が起きておりまして……もしラルドレッドさまの軍が、こんなにも寒さに悩まされておいでにならなかったとすれば、我が城砦を素通りされることをお薦めしたやも知れませぬ」

 

「なぬっ。ゆ、ユーレイとな!?」

 

 そうした事柄について、ラルドレッドは子供のように怯えているというのではなかった。ただ(この季節に雹など降るか。降るわけがない!!)と思い、部下たちにはハムレット軍の使者の手紙についてその内容を何ひとつとして教えなかったわけである。だが、それが当たったということは……。

 

「はあ。妻のラミアの姿なきこと、どうか咎め立てされないでくださいませ。妻はもともとそうした霊感が強いほうでしてな、『ハムレット軍に弓引く領地に住み続ける限りこの呪いは続く』だのと、気違いじみたことばかり口にするもので、部屋のほうに閉じ込めてあるのです。私も、この城の執事も、果ては馬番に至るまで、城に仕える者たちはみな、毎晩のように暗闇で幽霊に悩まされております……奴ら、姿は見えねど体の上にずっしりと乗りかかり、悪夢を見せよるのですわ。そのせいでみな、すっかり毎日寝不足でしてな。もし騎士さま方や兵士さま方のお世話を十分に出来なかったとすれば、あるいは何か粗相のようなことがあったとすれば、そのような事情なのだとどうかお察しくださいませ」

 

「…………………」

 

 ラルドレッドはそれ以上のことは口に出さず、まずはその夜、城の暗闇で何が起きるかを確かめようとした。何ごとも起きなければそれで良し、もし同じように幽霊に悩まされたとすれば――ハムレットなぞ、所詮はそのような神ではない悪霊的存在に導かれ、いずれは破滅する運命なのだと納得できようというものだった。

 

 この日の夜、一番上等な客間の寝室で休みながら、夜中ラルドレッドは何かの霊の気配によってハッと目を覚ました。だが、暗闇の中には何か物の怪の類の輪郭が薄らぼんやりとでも見えるということもなく、彼は寝返りを打つと、もう一度目を閉じて眠ろうとした。ところが……。

 

(うっ!?一体なんだこれは?もしかして金縛りというやつか……)

 

 とはいえ、ラルドレッドは目をしっかり閉じており、しかも金縛りのせいで、瞼が重くて上げられないというのに――彼は肉眼の目でものを見るのと同じく、<何か>を見ていた。それは横向きに体を横たえて眠るラルドレッドの体を、長椅子とでも勘違いしているかのようにずっしり、体重をかけて座っているのだ。

 

(く、クソっ!!一体なんだコイツっ!!気味の悪い青白い顔をした化け物めっ……!!)

 

 しかもその気味の悪い小さな怪物は、ずっしりしていて石のように重かった。地球産や他の惑星のたとえは、もしかしたらラルドレッドには理解不能であったかもしれない。だが、その怪物の顔は土偶の無表情のそれによく似ていた。そして青白い親指を口許に持っていっては、ちゅぽんとかちゃぽんと、水中で指でもしゃぶっているかのような音を繰り返すのだった。

 

(き、消えろっ……!!あっちへ行けっ!!し、死ね……おまえなんか死んで消えてしまえっ……!!)

 

 ラルドレッドが心の中でそう叫んだ途端、その土偶のような顔の怪物は彼の腰から体を起こし、ベッドを下りるとトテテテ……とドアのほうへ吸い込まれるようにして消えていった。

 

 ここでラルドレッドは、金縛りを解かれてハッと目を覚ました。彼はガバリとベッドの上へ身を起こすと額の汗をぬぐった。それからもう一度、今度は逆側に体を横たえて眠ることにした。こんなことのためにドアの前の護衛を呼んだりしたのでは、新しく公爵となった自分は腰抜けの烙印を押されるやも知れぬと、彼はそう思い、とりあえず誰も呼ばなかったのである。

 

(それにしても、何故俺はあんな夢を見たのだ……?ふんっ!!あんなただ重いだけの石のような幽霊に一体何が出来る。馬鹿ばかしいっ!!ラモン卿はおそらく、ちょっと大袈裟に物事を捉えすぎているのではないか?)

 

 だが、奇妙に頭の芯が冴えてしまい、ラルドレッドがこのあとなかなか眠れず、輾転反側するうち――彼はあの奇妙な化け物に、多少なり心当たりがあることにふと気づいていた。

 

 それは、ラルドレッドが今よりもさらに若かった時分……公爵領の別荘地に住むフィオナという名の娘と恋仲になり、やがて彼女は妊娠したのであるが、彼は将来の跡継ぎの禍根を断つために「堕ろせ」と言ったのだった。ラルドレッドはフィオナのことを愛していたが、身分差というものについてはどうしようもなく、その後彼女がどうしたかもまったく知らずに終わったのであった。

 

(まさか、俺がフィオナに堕ろせと言った子の霊魂か……?いや、そんな馬鹿な……)

 

 こののち、ラルドレッドは眠りに落ちようとする中で、フィオナとの出会いや初めてキスした時のことなど、十代の頃の恋の情熱についてのすべてを思い出していた。それはなんとも幸福な甘い夢であったが、次に彼が目を覚ました時――彼は再び金縛りに合っていたのである。

 

(う……ううっ!!今度は一体なんだ……!?)

 

 状況は前の時とよく似ていた。彼はがっちり目を閉じていて、重くて瞼も上げられないというのに、暗い部屋の中の状況がうっすら闇を通してわかるのであった。次にその暗闇の中で、ぴちゃり、ぴちゃりという水音がした。そして次の瞬間、ラルドレッドの頬に白く冷たい透明な手が、優しく撫でるように幾度となく触れていた。

 

(お、女……女か!?気配はそんな感じだが、姿が暗闇に溶けていてよく見えない……)

 

 その後も、この幽霊女の奇妙な愛撫は続いた。彼女はラルドレッドの頬を何度も優しく撫で、首筋についと指先で触れ、それから彼の心臓のあたりを何かをなぞるかのように触れていた。不思議と悪意は感じられなかったが、とはいえなんとも不気味であった。やがてこの女性が山吹色のシフトドレスを着ていることがわかったが、唯一顔だけはよく見えないままだったのである。

 

 先ほど、土偶の小型怪物が腰の上に座っていた時は(死ね、消えろっ!!)と心の中で念じた途端、どこかへ行ったことから――ラルドレッドは同じようにすべきという気もしたが、何故かそうする気になれなかった。すると、またあの石のような肌の土偶怪物がベッドの上に這い上がってきたのだが、今度はその数が二体に増えている。どうやら彼らは双子であったらしい。顔が判で押したようにそっくりだからとて何故双子などと思ったのか、ラルドレッドは目を覚ましてのち不思議に思うこととなる。

 

(フィオナ……?おまえ、フィオナなのか……!?)

 

 ラルドレッドがそう心の中で呼びかけると、山吹色のドレスの女性がはっと息を飲んだのがはっきりとわかった。どうやら自分のことを彼が思いだすとは、彼女はまったく想定していなかったようである。

 

 こうしてラルドレッドが二度目に真夜中に目を覚ますと、周囲には誰もおらず、ベッドの上で何やらわちゃわちゃしていた二体の土偶怪物も姿を消していた。彼はほっとした。それから、切ないような謝罪の気持ちが胸にこみ上げてくる。フィオナはあのあと、本当はどうしたのだろうか?ラルドレッドは後ろめたい気持ちとともにその別荘地を去ると、二度と訪れることもなかったのだが……。

 

(許してくれ、フィオナ。あの時は俺としてもああするしか……)

 

 ラルドレッドが苦しい思いとともに再び枕に頭をつけ、目を閉じてのち、暫くしてからのことだった。暫く、などといっても時間としては十五分と経っていなかったが、彼は再び夢を見ていた。今度は金縛りにこそ合わなかったとはいえ、前に二度あったこと以上に妙に生々しい感触のある夢だった。

 

「起きろ、ラルドレッド、起きるのだ……っ!!」

 

 ラルドレッドが肩を揺すぶられて目を覚ますと、ベッドの傍らの暗闇には死んだ彼の父、モルディガンの姿があった。

 

「ち、父上っ……やはり生きておられたのですね?いや、本当はそうでないかとずっと思うておりました。父上が死ぬなど、決してあるはずがないと……」

 

 ラルドレッドは涙を流して愛する父の生存を喜んだ。だが、父モルディガンは厳しく怒ったような顔をしており、「時間がない」といったようなことを口にしていた。

 

「よく聞くのだ、ラルドレッドよ。俺は、生前色々とよくないことをした。若い時分より親友であったクローディアス王やアグラヴェイン公爵と三人でがっしりと権力を握り、政権を思うがままにしてきたのだ。そのせいで何人もの罪なき人々が死に、自分たちにとって都合のいい大臣をその役職につけるため、罷免された貴族たちの中には何ひとつ悪くなどない者が何人となくいたものだ。我々の不興を少しでも買った者はこうなるのだぞと、見せしめのためだけに罪のない貴族を陥れたことも何度となくある……ほとんどゲーム感覚でな。だが、とうとうそんなツケを支払う時がやって来たのだ。よく聞け、ラルドレッドよ。おまえは俺の二の舞になってはならぬ。愚かな父の轍を踏んではならぬ。わかったか、ラルドレッドよ……」

 

 次の瞬間、何か悪しき存在にモルディガンは肩を捕まれ、どこともわからぬ暗い場所へ彼の魂は連れていかれた。ラルドレッドは自分の眠るベッドの周囲が紅蓮の炎で包まれてゆくのを見た。不思議と温度を感じぬ、ゆえに熱くもない炎であったが、それは実は魂そのものを責め苛む、恐ろしい業火の炎だったのである。

 

『ぎぃやああああっ……ッ!!』

 

 最後、自分の父の叫び声とは信じたくもないような、怖気立つ、獣じみた絶叫を耳の中で聴きつつ、ラルドレッドは目を覚ましていた。窓からは、橙色とも黄色ともつかぬ色合いの曙光が射しはじめており、彼はそろそろ起きねばならぬと思った。というのも、翌朝早く出発すると決めていたのは、他ならぬ彼自身だったからである。

 

 大広間に設置された、自分専用の上座の席で食事する間も、ラルドレッドの顔色は優れなかった。ラルドレッドは、自分の父が地獄のような場所にいるとは信じたくなかった。とはいえ、夢の中でモルディガン自身がそう言っていたとおり、この世においてクローディアス王とアグラヴェイン公爵と彼の父とが大いに権勢を振るい、時にほんの気まぐれによってでさえも人を陥れてきたというのは事実である。

 

(そうか。父上はきっと……このままいけば自分が辿ったのと同じ、地獄への道にやって来ることになると、そう俺に教えたかったのかもしれない。いや、父上が悪魔なんぞとともに地獄へいるなぞとは俺は絶対に信じぬ。が、これはきっと警告夢というやつで……)

 

 そんなことをつらつら考えていると、ラルドレッドはなんとも食欲が湧いてこなかった。とはいえ、今日一日長の行軍となることを思えば、無理にでも何か腹に詰め込んでおかねばならなかったのである。

 

 見ると、ラルドレッドの周囲でも、何やら様子のほうが同様であった。近衛の三騎士にしても、他の貴族である騎士たちにしても、幹部兵士らにしても――みな顔色が優れず、何か気がかりでもあるかのような顔色をしている。そして、彼らにはみなわかっていた。きのうの夜、それぞれが地味に良心をじわじわ苛まれるような夢を見、それが半ば現実味を感じさせるものであったがゆえに……(あの夢にはこうした意味があったのではないか?)、(自分に何かを訴えるために、彼/彼女は夢に出てきたのではないか?)との思いに、それぞれ悩まされているのだろうと。

 

 しかも、この呪われし幽霊城を出ようかという時、ラモン・ストラルド夫妻は激しく口論していたものである。それも、「どうしてもラルドレッドさまにお伝えしなくては……っ!!」、「馬鹿を言うな、ラミア。おまえ、手打ちになりたいのかっ!!」などと、激しく言い争う声が廊下から聞こえたもので、この時にはラルドレッドは何かをすっかり諦めるような境地に達しており、彼らふたりのことをただ黙って呼び寄せていた。そして「もうこの際だ。なんなりと申せ」と、ラモンの妻ラミアに申し渡していたのである。

 

「ラルドレッドさま、公爵さまっ!!」と、起きてから侍女に髪を梳るようにさせなかったのかどうか、くちゃくちゃに絡まった黒髪を振り乱し、喪服のような黒いドレスを着たラミアは半ば泣きそうな顔で言った。「ハムレット王子軍に味方するのですっ!!どうか、手遅れになる前に……クローディアス王に味方すれば凶、ただ兵の多くを失い、その戦いは徒労に終わりましょうぞ。もし今ある公爵さまの領地を、せめても少しでも世継ぎとなる方に継がせたければ、それしかすでに方法はございませぬっ!!」

 

 ラモンは、ラルドレッドがもし怒りに眉を顰めたとすれば「気違い女の申すことと思い、どうかお聞き流しになりますように」とでも言って、どうにか妻のことを庇おうとしたことであろう。だが、ラルドレッドの反応は、彼の夢に出てきた土偶怪物ほどでないにせよ、無表情で、なんとも言えぬ読み難いものだったのである。

 

「なるほど。よくわかった」と、ラルドレッドは独り言を呟くように言った。「ラモン卿よ、実に世話になったな。一晩だけとはいえ、これだけの兵の数をもてなしてもらったこと、この恩義についてはのちのちまでも決して忘れぬぞ。その頃、もし俺に卿に対して何か褒美のようなものを遣わすことの出来る身分があったとすれば、なんなりと与えることをここに約束しようぞ」

 

 この日、ラルドレッドは軍の前方にいて進軍して行きながら、終始考えごとに耽っていた。第一の雹の難、第二の暗闇の難については当たったかもしれない。だがラルドレッドの記憶によれば、蛭といったものは川などで泳いだあと皮膚に張りついてきたことはあったが、彼自身は山道や林道などを進んでいてそのような経験をしたことは一度としてなかったのである。

 

 ゆえに水の中に入りさえしなければ、ハムレット王子の使いの者が手にしていた手紙の、その中にあった第三の蛭の難は避けられるのではないかと彼は考えてしまったのである。そのせいもあり、この日、軍馬に跨って進軍しつつ、ラルドレッドはあれこれと思案に耽るということになった。第三の蛭の難が実現するかどうかは関係なく――夢の中に出てきた父モルディガンの言葉について、彼は深く考えずにはおれなかったのだ。

 

(だが、父上はラモン卿の奥方のように、ハムレット軍に投降するよう薦めてきたというわけではない……その部分は仇を討てということなのではないか?ということは、クローディアス王とアグラヴェイン公爵と協力し、まずは逆賊ハムレットの首を取り、その後の行動には気をつけよと忠告されたということなのかもしれない。そうだ!レアティーズ王子は賢き方だからな。いずれ、クローディアス王からレアティーズ王子の治世となった時、俺はアクロイド公爵と協力しあい、ペンドラゴン王朝を正しく導き国を統治していくようにせよと、そう父上はおっしゃりたかったのではないか……?)

 

 ラルドレッドの中でそのように答えが出、思考がそちらへ傾きかけた時のことだった。後続の兵士たちの間から「うひゃあっ!!」とか「えひゃあっ!!」といった奇妙な叫び声が次々と上がり、彼も近衛騎士らも奇妙に感じた瞬間のことである。

 

「おまえたち、いかがいたしたっ!?」

 

 兵を率いる元帥が後ろを振り向いてそう聞いた。すると、これもまたあちこちから「ヒッ、ヒヒィッ、ヒィルがぁ……っ!!」という、何やら要領を得ない、不明瞭な叫び声が上がっていたのである。

 

「ヒィルだとォっ!?ヒィルがどうしたァ!?」

 

 まだ事態をよく把握していない騎馬隊の大隊長のひとりがそう叫ぶと、あたりからはやはり、「ヒヒィっ!!」とか、「ヒヒィ、ヒヒィルッ!!」といったような、よくわからぬ叫び声しか聞こえてはこなかったのである。

 

「うっ!?」

 

 やがて、最初は何が起きたのかわからなった騎士や兵士らにもどういうことなのかがようやくわかった。みな、山蛭が鬱蒼と枝を差し交わしている頭上から降ってくると思い、一生懸命そちらへ向かい剣で追い払う仕種をしている者までいたが――通常蛭というものは地面から音もなく這い上がって来、衣服で覆われていない無防備な部分から入り込み、血を吸って繁殖するのである。

 

 だが、騎士も兵士も、頭は冑に覆われ、首もアーベンテイルと呼ばれる鎖帷子、それから首から下は板金鎧、あるいは鎖帷子との間にギャンベソンと呼ばれるクッションのよく利いた衣服を着こみ、足のほうは爪先まで鉄靴か、あるいはブーツといった革製の靴によって覆われ、守られているにも関わらず……山蛭がどこかから体に張りついてきたわけである。

 

 ラルドレッドが想定していたのは、水生の水蛭ということで、実は彼は山や森などにも蛭というものが生息していることをまったく知らなかったようである。蛭の侵入口があったとすれば、それは首のあたり以外ないことから――誰もが、蛭たちが上のほうから降ってきたと感じたのも無理はない。こののち、ラルドレッドは兵たちの間に混乱があるようだと感じ、進軍するのを一時中止させた。

 

 蛭に吸われても痛みはないため、混乱が鎮まるのを待ったのち、再び行軍が開始された。とはいえ、彼らがその日の宿営地に辿り着き、(何かおかしい)と違和感を感じ、何人かが鎧を脱いでみると……なんと、そこには血を吸って丸々太った気味の悪い蛭が五匹も六匹も張りついているではないか!!

 

 この様子では、兵らの多くが蛭に吸われていようということで、彼らがすっかり着込んでいた鎧を脱ぎ、鎖帷子なども外し、自分や仲間の体から「うへぇ~ッ!!」、「気持ちワリィ!!」などと口々に叫びつつ血吸い蛭を剥がしていた時のことである。

 

 それぞれ宿営のための天幕を張り、薪を拾ってきて夕食の準備をする傍ら、蛭に吸われたことに気づいた者から順にそうした仕事に従事していたのであったが――この時、ラルドレッド公爵軍の宿営地を囲む森の周辺から、ジャンジャーン!!という銅鑼やシンバルの鳴る音、それに勇壮な太鼓を連打する、ドララララララ……ッ!!という恐ろし気な音があたり一帯から鳴り響いてきた。時は日暮れ時であり、一日の長の行軍で、兵士らは疲れ切り、これから夕食にしようとすっかり気の緩んでいた頃合でもあった。

 

 しかも、なんとも間抜けなことだったかもしれないが、兵士らの半数以上がこの時、山蛭を剥がそうと鎧を脱ぎ、上半身、あるいは下着以外の衣類に至るまですべて脱いでいた者までおり――こんなところを敵軍に囲まれたのでは、まさしく一溜りもなかったと言えよう。

 

「行けっ!!おまえたち、ひとりでも多くの兵を討ち取るのだッ!!」

 

 最初にそう叫んだのは、ヴィヴィアン・ロイスの率いるロットバルト騎士団に率いられた兵士らであった。そして次に、聖ウルスラ騎士団に率いられた兵士、トリスタン率いるライオネス騎士団に率いられた兵士が、宿営地に次々と雪崩れ込んでいってモルドレッド公爵軍の無防備な兵士らを次々捕虜にしていったのである。

 

「おぬしら、すぐに降伏さえすれば命までは取るまいぞっ!!」

 

 誰もが口々にそう叫んでいたものの、刃向かう者は多かった。だが、馬に騎乗しているでもなくすっかり気の緩み切っていた彼らは、槍やクロスボウといった武器を手にする暇も与えられず、次々斃され、捕虜として捕えられていったのである。

 

「この騒ぎは、一体何事かっ!?」

 

 天幕内にて一息つき、食事をしようかという頃合だったラルドレッドは、部下のモルディラ騎士団の面々にそう聞いた。彼らはまだ体から蛭を取り除こうとしている最中だったことから、急いで血の跡の残る皮膚の上に衣服を着、鎧を身に着けようとしているところだったのである。

 

「ラルドレッドさま、ここは一度兵をお退きくださいませっ!!」

 

 そう叫んだのは、三騎士のひとり、モーゼス=オブ=モンテスキュウ卿であった。三騎士の内、一番の年長者である彼は、今は亡きモルディガン・モルドレッドより、「息子のことをよろしく頼む」と言われていただけに――この場は何よりもまず主君の命が第一と判断していたのである。

 

「いや、し、しかしっ……!!」

 

「我らのことは構わないでくださいっ!!」

 

 急いで鎧を身に着け、慌てて武器を携行したモルディラ騎士団の面々は、「後方を守りつつ、すぐにラルドレッドさまに追いつきますゆえっ!!」と叫んだ。

 

 三騎士のうちの残りふたり、モーリス=オブ=モントジョイとモンマス=オブ=モントネイルも、ラルドレッドを護衛するような形で素早く騎乗し、自分たちの主君を囲み、守るようにして宿営地を後にした。あたりは暗くなって来ていたが、当然追撃隊が出されるであろう。四人は矢の如く森の中の道なき道を逃げようと必死であった。だが、その先には――。

 

「うっ!!だ、誰かいる……っ!!」

 

(か、完全に囲まれているのだ、このあたり一帯は……!!)

 

 三騎士はそう悟ったが、そのことに今気づこうとも時すでに遅しであった。

 

「おお、兄者。あれなるは、もしや兄上のご学友だったというラルドレッド・モルドレッドさまではごさりませぬか?」

 

「我が弟、ソレントよ。まったくおまえは目がよいな。実は我は少々鳥目でな……もし我が友ラルドレッドであれば、そうお名乗りくだされ。さすれば、余計な血を流さずとて済もうというもの」

 

 だが、ラルドレッドはあえて名乗らなかった。自ら側近の者だけを連れ、他の部下らを見捨てて逃げてきたなどとは――マドゥール・ド・レティシア侯爵のような誇り高い男には、どうしても知られたくなかったのだ。

 

「ラルドレッドさま、どうかお名乗りくだされっ。さすればお命だけは助かりましょうぞっ!!」

 

 そう小声で叫んだのは、モーリス=オブ=モントジョイであった。ここはレティシア侯爵の慈悲に縋り、ハムレット王子に取りなしていただくというのが、何よりのお家再興の道というものであった。

 

 だが、やはりラルドレッドが黙り込んだままなのを見、モーリスは黒馬を前に出させると、剣を抜いてマドゥール・ド・レティシアに斬りかかっていった。

 

「むっ!?何やつ。もし手向かうのであれば容赦はせぬぞ」

 

「お、おまえたち、この隙に逃げるのだっ!!」

 

 だが、モーリスの時間稼ぎはあまりに短時間しか保たなかったと言えよう。というのも、レティシア侯爵は鳥目というのが信じられぬほどの早業で、手にした槍によって肩や脇腹を攻撃し、あえて急所を外した形で五分とかからずモーリスのことを落馬させていたからである。

 

「おお……!!おぬし、よく見ればラルドレッド殿の側近のモーリス=オブ=モントジョイ卿ではないか。ということは、我が弟ソレントが追っていったのはやはりラルドレッド殿か。おい、おまえたち、モーリス卿のことは捕虜とするため、このまま捕えよ。だが、くれぐれも丁重にな。ハムレット王子の話では、無駄な殺生はせず、余計な血も流すなとのお達しだからな」

 

 こう部下に命じると、マドゥールは「ハッ!!」と馬に一声かけ、弟ソレントと、レーヴァンテイル騎士団の精鋭の後を追っていった。ラルドレッド・モルドレッドは、何故自分がそう名乗れと言った時に自ら名乗らなかったのであろうかと、不思議に感じながら……。

 

 

 >>続く。


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