(※『少女革命ウテナ』に関して、ネタばれ☆があります。一応念のため、ご注意くださいませm(_ _)m)
結構時間かかりましたが、ようやく全39話見終わりました♪
以前にも「見てみたいなあ~」と思ったことはあったんですけど、その時天ぷら☆では第2話目以降が有料だったので、他のところで見たほうがいいな~と思い、その後忘れてたというか(^^;)
興味持ったのは、「百合っぽいお話なのかな~」というところと、その後かなり経ってから偶然テレビで「さらざんまい」を見たわけです(爆)。たまたま深夜に第1話から見てしまい、「なんだこれはっ!!」となり、それから1~2話くらい見逃したことがあったかもしれないんですけど、最終回まで大体全部見たと思う
それで、さらに時間経って今ウテナ見てるとか、結構「おまえ、草ww」な話かもなんですけど、今回見たのは天ぷらで全話無料で見れることにふと気づいたからです(笑)。
書きたいこと色々ある気がするので、あらすじ等については公式サイトその他を参照していただくとして――まあ、とにかく面白かったです
ただ、39話あるうち、「生徒会編」、「黒薔薇編」、「鳳暁生編」、「黙示録編」と分かれてるのかなって思うのですが、結構自分的に『少女革命ウテナ』って、「本質的に何を描きたい作品なのか」っていうのは、最初から割と考えながら見てる感じだったかもしれません。
『美少女戦士セーラームーン』と同じく、面白ギャグ要素満載な感じで面白いので、細かいところでちょっと「ここおかしいんじゃないかな~」とか、「実はあんましよく考えてなかったんじゃないか」と思われる箇所があるわけですけど、そのあたりの解釈は見た人それぞれでいいんじゃないかなって感じで、特に突っ込まなくていいような気はします(^^;)
ただ、『少女革命』というからには、何を革命するんだろうか……とはやっぱり、少女漫画の長年のファンとして思ってはいました。というのも、主人公のウテナは両親を亡くした時に王子さまに心を救われたことから、その王子さまに憧れるあまり――今は男装してるわけですよね。そして、「薔薇の花嫁」と呼ばれる姫宮アンシーのために騎士として何度となく決闘する。
自分的に、昔からヴィジュアルをなんとなく見てて(内容については今回見るまでまったく知りませんでした)、ウテナとインド系っぽい女の子が結ばれるお話なのかなと思っていて……まあ、百合っぽい雰囲気のある濃厚友情物語なのかなとか、ぼんやりイメージしてました
と、ところが今回実際見てみると、最初想像していたお話とは(いい意味で)まったく違ったんですよねウテナは男装しているけれど、恋愛対象はあくまで男性で、アンシーも恋愛対象は同じく男性。それで、最初のEDではそれぞれ同じ王子さまにドレスを着た状態で抱かれていて、アンシーはちょっとジェラシーの目でウテナを見てる……放映されていたのは1997年ということで、かなり昔。でもタイトルから推察した場合、従来の少女漫画の王道パターンを打ち破ったものを描きますよ、というのが「少女革命」ってついてる理由なのかなと思って、その部分についてはちょっと期待して見てました。
で、このED見た感じだと、ウテナとアンシーは共に同じ王子さまを結局は好きということがわかり、友情にヒビが入る……でもそれだと、それこそ少女漫画によくあるパターンのひとつとしてありきたりだしなあ。しかもこれだけヴィジュアル的に百合感満載アピールすごいのに、べつにこのふたりが結ばれるって話でもないみたいだし……ということが、最初の数話見ただけでもなんとなく察せられます
でも、タイトルに「少女革命」ってついてるのが何故かについては、確かに視聴者の期待を裏切らない形で終わった、そしてその部分についてだけは自分的に十分満足して第39話目を見終わったわけです(まあ、わたしの心にも薔薇は届いたというか)。
というのも、昔からの少女漫画のシンボル的なものがアニメ全体を通してこれでもかというくらいに満載であるにも関わらず、物語のほうはウテナもアンシーも王子さまには背を向ける結果になるんですよね。。。
しかも、アンシーもウテナも現実の王子さまである暁生という男性とそれぞれ肉体関係まで持ったということが、具体的な描写はないものの、はっきりそうとわかる場面によって描かれているにも関わらず――ふたりとも、この王子さまを選ばないで終わる。かといって、「男よりも友情よっ!!」とかいう、青くさい理由ではなく、お互いを本当に大切に想いあう気持ちから、実はクズだったというか、クズになってしまった王子さまを捨てる。
まあ、少女漫画の典型としては、「いつか王子さまが」やって来る、キスしに来てくれることを待ってる夢見る女の子パターンって多いというか、多かったわけですけど、昔再会を約束した王子さまは確かに素敵な人でキスもしたし処女も捧げたけど、他の多くの女性たちともまったく同じようにしているクズだった……大体暁生(=ディオス王子)の性格の冷酷さが露呈しはじめる回とか見てると、「王子さまだって?少女漫画ってありえないくらい格好いい男が何人も出てくるけど、こいつらってなんか性欲ないよね。でも現実の男はひとりでも多くの美人とやりたいだけのヤリチンなんだよ」という、少女漫画に対するある種のイヤミなのかなあ……とちらっと思ったりしたんですけど、最後まで見てみるとそういうことでもなかったことがわかります。
それで、確かに自分でも「これは間違いなく革命だなあ」と思いました。最初、第33話にある問題のウテナの処女喪失シーンは、見てて「これっていたのかなあ」と思ったりしたんですけど、最終回まで見てみると必要な描写だったことがわかるんですよね。なんでかっていうと、最後のウテナが薔薇の扉みたいのを開くシーンで、それだと主人公が処女で清らかだったから、アンシーに手が届いた……みたいな、余計な解釈がついて来てしまう。
でも、それ以前にアンシーは暁生がウテナと肉体関係を持ったと知っており、さらにはその後、ウテナもアンシーが彼とそうした関係なのだと知る……普通だったらここで友情崩壊、君のために今まで体を張ってデュエリストたちと戦ってきた自分はなんだったんだと、ウテナが怒って終わったとしても無理はない。でも、ふたりはそうした友情の危機を乗り越えて、本当の絆で結ばれたからこそ、最後に奇跡が起きたという、そうしたことなのだと思う(=ウテナは本当の意味での王子さまになった。そしてこれこそが革命である)。
もちろん、見る方によって解釈異なるかもなんですけど、薔薇の姫君である姫宮アンシーは絶望の女王です。彼女は王子さまに助けられることをではなく、王子さまを助けることを選んだ結果、王子の助けを必要とする他の数え切れない多くの人々から魔女にされ、数百万本もの剣に貫かれるような苦痛に耐えている。わたしもそうですけど、見てる方は絶対的に「世界の果てってなんだよww」とは最後まで思ってると思う(笑)。でも、自分的には「世界の果て」っていうのは、それ以上の先のない絶望のことなのかなって思いました。「世界の果て」って言葉自体はなんとなく言葉の響き的にロマンティックで素敵な感じがするけれど、暁生は高級車(昔ならお馬さん)でずっと同じところを回っているのかなって思う。何故なら、それ以上の先は断崖で進みようがなく、新しい扉が開かれるためにはこの世界を革命する者が必要なわけだけれど、挑戦者はみな結局、彼に敗れてきた。
最終回、姫宮アンシーは自分からもう王子のために苦しむことをやめる。その必要のないことにようやく気づいたのだ。いや、「もっと早くに気づこうよww」とかいう話ではなく――現実の世界でも大抵の人が膠着した人間関係に苦しんでいるって、実際よくある話ですよね。姫宮アンシーはデュエルの勝利者とエンゲージしている間、なんでも相手の言うことを聞くお姫さま。西園寺莢一なんかは、彼女がなんでも言うこと聞くのをいいことにDVを振るう恋人に等しいし、シンデレラは「ずっとじっと耐えていたら」王子さまと結ばれたパターンですけど、アンシーの不幸なところは彼女の元には決して王子さまはやって来ないというところ。何故ならディオス=暁生王子は彼女の兄で、彼らは近親相姦の罪を犯しているという関係でもあるから……。
最後、デュエルを勝ち抜いたウテナではあるけれど、結局のところ彼女は女の子であって、女の子である以上王子さまにはなれない。でも唯一、ウテナだけがアンシーの本当の王子さまになれた。何故なら、彼女はアンシーが受けていた剣に貫かれ、大怪我をしたようにも、死んだのではないかとも想像されるけれど――本当の王子さまは実は、目に見えないのです(笑)。星の王子さまの中に「大切なものは目に見えない」という言葉があるのと同じように、ウテナは今も存在し続けている。暁生がいまや王子としての資格を失った立場であるのに成り代わるように、今はウテナが王子さまとして、目えない世界に存在し続けている……最終回で樹璃が、「小さい頃川で溺れた姉の命を助けてくれた人がいて……でも、名前を思いだせない」と言っているのと同じく、ウテナは人の目には神隠しにあうような形でいなくなり、そんなふうに誰かの王子さまとして、自分を小さな頃救ってくれた王子さまと同じことを今はしているのだと思う。
そして、姫宮アンシーはクズ王子と成り果てたディオス=暁生のことを捨て(言うまでもなくこれは、アンシーがずっとデュエルの勝利者になった者に従い、敗北した者を捨てるのと同じパターン。しかも暁生の場合、敗者復活戦は絶対にありえない)、本物の王子として今は世界中の女の子のことを救っているだろうウテナのことを探す旅に出る。アニメ見てる側としては、「自分で何か決める決断力がない」ように見える姫宮アンシーですが、ここは彼女のはっきりした意志力があって、わたし的には一番感動するシーンでした
「女の子が王子さまになれないだなんて、一体誰が言ったんだい?」――放映されてたのが1997年ということで、最初はそれで「百合的描写にそれほど突っ込んだ描写がないのかな」といった印象だったのですが、今みたいにジェンダー云々について色々言われるようになった現代でも、十分すぎるほど通用するメッセージです、これって
他に、百合的エピソードとしては樹璃ちゃんのエピソードが大好きでしたし、ミッキーの双子なのに(双子だからこそ)確執のあるエピソードとか、七実ちゃんに関しても、暴れカンガルーに襲われたり、牛になったりとか色々(笑)、「このエピソードいるんかい、ええっ!?」てところも含めて、最後には大好きになりますたぶん、七実に関してはみんな、途中まで大して好きじゃないかもしれない。でもお話後半部分でこのあたりが変わってくるんですよね。十年後(?)くらいに、みつるくんとお幸せに……とか心から思います(笑)。
なんにしてもこれから、『アドゥレセンス黙示録』も見る予定です(楽しみ、たのしみ♪^^)。
それではまた~!!