ようやく今回で、話のほうが新しい方向に転がったような感じかな~なんて思います♪
そんでもって、またしても再び「どこで切って>>続く。にしたらいいのか問題」が継続してまして。。。
前回も「一体どこで切ったらいいやら」と思ったんですけど、今回もまた同じ問題が浮上していたり(^^;)
まあ、結局テキトーなとこで切ったんですけど、ようやくたぶん次回くらいで――「ティグリス・ユーフラテス刑務所(メソポタミア刑務所)」という名称が話の中にも出てくるといったところだったと思います。。。
かなりどうでもいいことではあるんですけど……小説を書いた順序と連載してる順序がずっとバラバラなままで、本当は「愛してる」→「ティグリス・ユーフラテス刑務所」→「灰色おじさん」→「不倫小説」――っていう感じだったんですよね
そんで、「愛してる」はまだ連載してないものの、これと「灰色おじさん」と前に連載してた「ぼくの大好きなソフィおばさん」と「聖女マリー・ルイスの肖像」はですね、いわゆる微妙に異世界な「ユトランドもの」なんですけど……「愛してる」はソフィやマリー・ルイスのお話にも地名の出てくるユトランド共和国の首都ユトレイシアが舞台になってて、主人公が諜報機関に勤めているという設定です
んで、このお話書いてる時に少し諜報関係のことを調べるうちに結構これがハマってしまいまして、この時調べたことがこの「ティグリス・ユーフラテス刑務所」にも生かされることになりました。
また、この時に読んでいた諜報関係・軍事関係の本を通して――「世界から戦争をなくすにはどうしたらいいのか」とか、自分なりに色々考えたことがあったりして、そのことはまた「愛してる」の連載中にでも書こうかなって思ってるんですけど……そうした中で、核兵器を越えるナノテク兵器が今後誕生するだろう、という本を読みまして、「ゾンビ帝国興亡史」は、そのナノテク兵器を使用して滅んだあとの世界が舞台でした。
それで、あれはまあわたしたちが今いる世界とは違う異世界が舞台だったわけなんですけど、今から約百年以上あとにこっちの世界もナノテク兵器によって人類が滅びるかもしれない……というのが、この「ティグリス・ユーフラテス刑務所」だったりします。。。
といっても、「世界(地球)が滅びる(かもしれない)」ということは、日本だけじゃなく、アメリカやイギリスや中国やロシアや――世界中に住んでいる人たちもまたその時どうしていたかっていうことを書かなきゃいけないんですけど、「ティグリス~」に関しては、あくまで主人公の秀一くんが知りうる範囲において、といった形で書くということになりました(^^;)
なんにしても、また次回の前文も何かこうしたことについてでも書いてみようかな~なんて思ったりしております♪
それではまた~!!
ティグリス・ユーフラテス刑務所-【9】-
<ヲイ!シューイチ>
その小さな、機械音がブレて重なったような音を聞いた時、秀一は自分の頭が本当におかしくなったのかと思いました。けれど、とても自分ひとりの幻聴とも思われず、秀一は壁の虫のそばまで行ってみることにしました。
<ヲイ!オレをモット……ドアから一番離レタトコ、連レテケ……ブブブ………>
ドアから一番離れたところといえば、それはトイレでした。ですから、秀一は便座の上に座ると、手のひらにのせた虫と交信をはじめたのです。
「ほら、これでいい?」
<アス、ゴソウシャ、ココ、クジ出発ナ。脱出スル、機会アル。オマエ、逃ゲロ……モブブ………>
「えっ、ええっ!?そんな、一体どうやって?」
<イイカラ、ゆトーリ二シロ。逃ゲル、機会アル。カナラズ逃ゲロ。協力者、イル。ソイツ、信ジロ。イイナッ!?>
このあと、緑と白色の虫は死んでしまいました。せっかく自分の生きる力になってくれた虫に対して、申し訳ないとは思ったのですが、秀一はこの虫が一体なんなのか、どういう仕組みになっているかがどうしても気になり――足や羽のあたりを順に千切ってみました。とりあえず、少し出っ張った目を潰してみると、ゴリッという音がして……それが超々小型微細レンズであることがわかり、秀一は少しほっとしたかもしれません。もしこの虫が拘置所への侵入に失敗したとしても、顕微鏡でも使ってよく見ない限りは、偽の虫だなどとは誰にもばれっこありません。
(でも、一体どういうことだろう。協力者がいるってことは、明日、俺と同じように刑務所へ移送される囚人の中に、誰かそれとわかる人がいるっていうことだろうか。輸送車のドライバーとか、見張りの警察官なんかは協力者ってことはないだろうしな。じゃあ、今この拘置所のどこかにいる同じ囚人に、同じように虫を使って知らせたっていうことだろうか……それとも、ドラマみたいに、突然移送車を誰かが襲ってきて、俺を助けてくれるとか……)
(いやいや)と、秀一は首を振りました。(もしそんなことをして逃亡し、再び捕まったとしたら、今度は自分は無期懲役どころか、死刑になるかもしれない)と、そう思ったのです。
けれども、(自分は無実なのだから)と思うと、秀一が逃げたい衝動に駆られたのは、無理からぬことだったかもしれません。それに、移送車が襲われるなどして、車の中の囚人たちがみな逃げだしたとしたら――反射的に自分も逃げることを選んでしまうかもしれません。
(そっか。じゃ、よく考えなきゃダメだよな……もし、逃げられるのだとしても、またすぐ捕まって罪が重くなったなんていうんじゃ困る。無期懲役でも、真面目に務めれば出所できる可能性はあるわけだから……でも、本当にこのままなら、死ぬまで刑務所務めってこともありうる……それならイチかバチか……)
こんなことをあれこれ考えるうちに、秀一はその日、眠りの底へと落ちていきました。そしてこの翌日――九時前に拘置所前に手錠をかけられた状態で整列すると、移送バスに乗せられるということになりました。この時、ふと横を見ると、留置場にいた時に会った、クルーカットとモヒカン、それにジャンキーが一緒にいるのがわかりました。
クルーカットは手を軽く上げて挨拶し、モヒカンは目だけで「よう」と言っているように見えました。そして、ジャンキーはどう考えても医療刑務所などへ行くべきと思うのですか、彼は相も変わらず死んだような目つきをしてぼーっとしていました。
移送バスに乗ったのは、秀一含め、九名の囚人たちでした。そして見張りの警察官は全員で四名おり、他にドライバーがひとりいるといったところです。刑務所は、バスで約一時間半ほどの距離にあり、せめても移送途中のどのあたりで何が起きるのかを、<虫>にはあらかじめ情報提供して欲しかったと秀一は思ったかもしれません。
(だけど、この状況で一体どうやって逃げられるだろう……警察官は拳銃を所持しているし、何かあれば発砲してくるのは当然だ。それに、スカイ・レーンは常に厳しい監視下にあるから、事故の経緯等はすべて映像として記録されることになる。そう考えた場合……)
秀一は、車内にある時計と、それに窓の外とを交互に何度も見つめました。バスは東京都上空の空を走っていましたが、なかなか渋滞しています。そして、車が出発して四十分ほどが経過し、(逃亡できるなんていう話は、やっぱり嘘だったんじゃないか)と、半ば秀一が思いかけていた時――ドカッ!と後ろから大型トラックがぶつかってきたのです。勢い、移送バスは前の自動車にぶつかり……そして、その瞬間にその事態は起きました。
誰もが前のめりになって前側の座席にぶつかりそうになったその瞬間――ジャンキーは手錠に繋がれたままでふらりと立ち上がると、改造した鋼鉄の右手で警察官のひとりの顔を粉砕し、さらにもうひとりの警官が銃を手にする隙すら与えませんでした。
腹のあたりをパンチされ、さらにはその中から腸まで引きずりだされた警官が「あぎょおォォッ!!」と叫びながら床に転がります。他の二名の警察官は恐れをなし、「ヒィィッ!!」とほぼ同時に叫んでいました。見ると、ふたりとも拳銃を握る手が震えています。
「撃ってみなよ、おっさん」
ジャンキーが、狂気じみた目でジロリと警官ふたりを睨みます。通路は人がひとり通れるくらいの幅しかありませんから、手前側にいた警察官が恐怖に駆られて銃を発砲しました。パン!と渇いたような音がすると同時、キィン!と何かを弾く音が響きます。
キィン!キィン!キィン!キキキィン!!
「ばっ化け物!!」
手前側の警察官の弾が切れると、後ろにいた警官がサッと手前側へ出て、なんの遠慮もなく拳銃を八発、連続して撃ちました。けれど、同じように何か強力な、目に見えない力によってすべて弾かれてしまうのです。
それからジャンキーは、ふたりの警官の首を、半ば千切るような形で締めて絞殺しました。残りのドライバーひとりは、ブルブル震えて運転席についています。
「おい、おっさん。下りろよ」
「お、おお、下りろとは……?」
今、移送バスは東京上空約二百メートルのところを飛んでいます。エア・カーの中には自動走行システムが完備されていますので、行き先を設定すれば、本来は運転の必要はありません。けれども、時々事故が起きたり、不測の事態で車が動かなくなることもありますから、そうした場合は運転を手動に切り換えて、人が運転するということになります。つまり、このドライバーはそうした不測の事態に備えて運転席に座っていたのですが、彼には当然、ジャンキーの言っている言葉の意味がわかりませんでした。
「うっせえな。時間ねえんだから、説明させんな。おら、手伝ってやんよ」
「え……?」
言うなり、ジャンキーはドライバーの胸倉をつかむと同時、乗車口のボタンを押して、ドライバーの男のことを外へ突き落としていました。
「ウッ、うわあああああ~ッあっアッ!!!」
「さあてっと、逃げんぞ、桐島秀一」
ジャンキーはコキコキと首を鳴らすと、後ろをジロッと振り返りました。中には人を殺したマフィアのメンバーもいましたが、その男ですらが、ジャンキーの醸しだす<ヤバさ>にはビビっていたようです。
「その小汚い警官ども、窓から捨てて始末しろ。ここからちょっと速度上げるからな、窓はぴったり閉めとけよ」
「は、ははは、はいィィッ!!」
こうして、この日のニュースは速報で、エア・レーンから落下してくる腸を外に飛び出させたままの警官と、もはや顔の判別が不能な警官、それに落下途中で首が千切れた警官二名の姿を即座に報道するということになりました。
「よし、エア・レーンを抜けるからな。ゴロツキども!!しっかりシートベルト締めて、車に捕まっておけよ!!」
ジャンキーは車が上へ上がる上昇ボタンを押すと、そのあとはもうとにかくアクセルボタンを押し続け、車を加速させてゆきました。当然、『あなたがしようとしていることは危険行為です。他の人々の迷惑になるだけでなく、重大な事故を起こす危険性があります。今すぐ、エア・レーンに戻ってください』と、アナウンスが入ります。
エア・レーンというのは、空中における3D道路認識システムです。外から見ても、エア・レーンというのは見えませんが、車に乗っている人間だけ、自動車に内臓された3D道路認識システムによって、半透明な道路を見ることが出来ます(また、これは地上を走っている時とまったく変わらない仕様にすることも出来ます)。この情報をすべての車が共有しているからこそ、空中を車が走っても事故になったりはしないわけです。
けれど、このエア・レーンをわざと外れたりといった危険行為を犯す人間が時にいるものなのです。その場合、スカイロードを巡回警備している交通巡査たちが情報を得て、すぐにすっ飛んで来るということになります。彼らは唯一、法的にレーンを外れて走行することが許されているため、追いつくのはあっという間でした。
この時、ジャンキーは140キロで爆走していたのですが、交通巡査らの乗る車は、F1並の速度でこの灰色の移送バスへ追いつきつつありました。
「クソッ!!やっぱバスじゃ速度だすにも限界あんなっ!!」
ところが、ジャンキーは一度エア・レーンを下り、地上の道路への接続部へ曲がったのですが、交通巡査らの乗るパトカーは、そのまま真っ直ぐいってしまったのです。これには、バスに乗っていた全員が驚き、あっけに取られていたほどでした。
けれども、その理由はバスから降りてみて、全員にわかりました。何故なら、<バス自体が目に見えなくなって>いたからなのです。
「なっ、なんだこりャア……」
東京のもっとも治安が悪いと言われる地区で育ったクルーカットもモヒカンも、こんなのは見たことが一度もありません。彼らは闇ネットでしか手に入らないような商品を多数扱ってきましたが、これがどのような最先端の科学技術によるものなのか、見当もつきませんでした。
「ナノテクノロジー、いわゆるナノテクってやつさ」
ジャンキーはそう簡潔に説明し、車体をごしごしこすっています。
「おい!おまえらも手伝え。車のナンバーも外して、別のにつけかえて、大急ぎで逃げるからな」
どういう仕組みかはわかりませんでしたが、確かに、車の表面をこすると、見えなくなっていた車体が元に戻りはじめました。ちなみに、服の袖などには何も付着するようなものはありません。
「いくらナノテクったって、ドラえもんの秘密道具じゃないんだからさ」
モヒカンなどは驚くあまり、そんなことを呟いていたものでした。一体いつ、どのようにしてそのようなことが可能だったのかわかりませんが、バスの後部にある物入れに、ペンキとスプレー、それに新しい車のナンバー、修理道具などが置いてありました。
「あのさ、さっきのあれ、どうやったの?」
秀一は車にオレンジのスプレーをかけながら言いました。みな、これで逃げられるかどうかが決まるわけですから、全員必死でした。中にひとり、「俺、自動車いじりが好きだから、ナンバーかえるよ!」と名乗りでた囚人もおり――どうやら「みんな、こんなことしちゃいけないよ。自首しよう!」などと言って、サンドバッグになりたい者はひとりもいないようでした。
「さっきのあれって、なんだ?」
ペンキ缶をぶっかけ、それを適当に刷毛で伸ばしながら、ジャンキーが聞き返します。
「だからさ、銃で何発も撃たれたのに、なんで死ななかったのって意味。もしかして君、不死身だったりする?」
「あ~、あれな。ありゃ防弾シールドってやつさ。言うまでもなく、アメリカの軍部の科学技術だ。透明マントもそうさ。アメリカじゃ、あれに隠れて敵兵を殺そうってところまで来てるんだ。本当はあまり外に言っちゃいけないことなんだけどな」
「じゃあ、もしかして君、アメリカ人?」
「元はそうだな。アメリカの糞だめみたいな下町の出身だ。だが、日本の永住権も持ってるんだ。こっちへ来て結構長いからな」
「へえ………」
車のボディのもう一方の側をペンキで塗っていたクルーカットがこちらへ声を投げてきます。
「それにしてもジャンキー、おまえ、すごい演技力だな。ありゃまさしくアカデミー賞かエミー賞ものだぞ」
「ははは。べつに演技ってほどのもんでもねえよ。俺の12、3歳の頃ってのは、まさしくあんな感じだったからな。誰の演技指導を受ける必要もねえ」
「そりゃいいや」
間違いなくそこは笑うところではないはずなのですが、何故かみんな声を合わせて、「わはははは!!」と大笑いしていました。
みな、顔や体や衣服にオレンジのペンキを跳ね散らかしたまま、大体のところ車体が姿を変えたところでバスに再び乗り、今度は地上の道路をゆっくり走行していくということになりました。そして、高架下の目立たぬ一角へ辿り着くと、そこでジャンキーは車を一度止めました。
「みんな、俺の任務は二十四時間以内にある人の元へ桐島秀一のことを届けることだ。だが、そこまでは何もなけりゃ一時間くらいで到着することが出来るだろう。つまり、残り時間として二十二時間あるってわけだ。それでよけりゃ、行きたいとこまで送っていってやるよ。お宅ら、きっと色々ヤバイことして捕まったんだろ?じゃあ、今は顔を整形したら、病院にも本人にも写真報告が義務付けられているが、抜け道なんか裏の世界にはいくらでもある。顔を変えるなり、誰かに偽造パスポートを造ってもらって海外へ脱出するとか、あとは好きなようにやってくれ」
こういった事情で、ジャンキーは囚人の一人ひとりを、その人物が望む場所へ送っていきました。情報窃盗罪で捕まった男や、傷害罪の男、人殺しの男、詐欺で捕まった男……などなど、全員が全員、ジャンキーに深く感謝し、彼を抱きしめたり、握手してからバスを下りていきました。中には、ジャンキーの手下になりたいと願いでる者もいましたが、もちろん彼は丁重に断りました。「オレに弟子入りなんかしたら、命なんかいくつあっても足りねえし、一年以内に必ず死亡すること請け合いだ。それより、誰か好きな女でも見つけて幸せになったほうがずっといいさ」とそう言って……。
クルーカットとモヒカンも、「腕には覚えがあるし、射撃の腕もいい。もし、秀一のことをどこかへ送り届けるのに必要なら、手伝うぜ」と言ってくれましたが、ジャンキーはそのことも断っていました。「オレに本気で関わったら、ブラックホールに突っ込まれでもしたみたいに、存在自体を本当にこの世から消されちまうからな」と。
こうして7人の人間を望む場所まで送り届けると、ある場所に車を乗り捨て、ジャンキーと秀一のふたりは、その場をあとにしました。
「あの車、あのままにして大丈夫かな?ほら、塗装をはいだら刑務所の移送バスだってわかっちゃうし……」
「心配いらねえよ」
そう言って腕の多機能デジタル時計をジャンキーは秀一に向かって突き出しました。その時時計が表示していたのは、4:44です。
「ちょうどきっかり、17:00になったら、あのバスを取りに来る人間がいる。で、あの車はスクラップ工場行きになり、証拠は何も残らないってな寸法だ」
「そっか。すごいなあ。昔見たCIAの男が主人公の映画みたいだ」
秀一は感心したように言いました。一体どうやって移送車から逃げるのかと思っていましたが、そうした<連携プレー>が計画としてすでに出来上がっていたということなのでしょう。そして、秀一は実はずっと考え続けていました。もし、自分を逃がそうという人間がいるとしたら、それは一体どこの誰なのかということを……。
「もしかして、君は、その……ここで名前言っていいかどうかわからないけど、組織<T>の人間だったりするのかい?」
「なかなか察しがいいな、おまえ。あの方が見込んだだけあって、馬鹿ではないというわけだ。これから、オレたちが行く場所はいわゆる<ゲストハウス>と呼ばれる場所だ。もはやこの世界――ま、日本ならマザー・コンピューターの<サクラ>だが、日本国内にいる間は彼女の目から逃れられるような場所はあまりない。だが、完全に<サクラ>の影響下を脱した場所ってのをTでは用意してあって、これから行くのがその場所だ」
それから、ジャンキーは幅広のサングラスと、先ほど秀一に見せたのと同じタイプの(デザインや色は違いますが)腕時計を彼に渡しました。
「えっと、これは……?」
「仕組みを説明すると長くなるが、簡単に言えば、そのふたつを装着して連動させると、オレたちの姿は<サクラ>及び電脳世界に繋がるすべてから遮断され、見えなくなる。もちろん、君はまだTのメンバーじゃないし、<サクラ>も秀一が逃亡したと聞いても、そう必死に捜索しないかもしれない。だが、これからオレのようなエージェントが秀一をある人物に会わせるだろうと予測し、血眼になって捜すかもしれない……ま、一応の用心ってとこだな。さっきの車、見ただろ?ちょうどアレと似たようなもんでな、<サクラ>や彼女が端末として使うロボットやアンドロイド、あるいは監視カメラには、オレたちが透明人間として認識されるはずだ」
秀一がジャンキーから初期設定の仕方を教えてもらうと、3Dスコープにも似たそのサングラスは、秀一の視界にある色々な情報を提示しはじめました。右斜め前方に見えない形で監視カメラが埋め込まれていることや、近くの家の中にはロボットが二体とアンドロイドが一体いる……ということなどなど。
「慣れるまではちょっとうるさいが、大体のところ、脅威にならない敵ばかりが表示されてると思って間違いない。また、アンドロイドやロボットの中でも危険なヤバイ奴が近くにいたら、そのこともアラームを鳴らして知らせてくれる。まあ、オレと一緒にいる限りは間違いなく秀一よりそうした存在を感知するのはオレのほうが速い。単に、向こうから姿を見えなくさせるための装置だと思ってくれ。煩わしかったら、時計のこの部分を押して……」
ジャンキーは、時計の脇にいくつもついている小さな突起を何度か押すと、<通常モード>、つまりはただサングラスをかけているだけの状態に戻してくれました。
「まあ、姿は見えなくなっても音声を拾われる可能性はあるし、オレの声紋も秀一の声紋もすでに<サクラ>は登録済みだろう。だが、そこまで神経質に怯える必要はない。まずはここから歩いて二十分くらいのとこにあるホテルへ行く。当然フロントには受付のアンドロイドがいるから、そこは通らずにチェックインする」
「えっと、どうやって?」
ふたりはそのホテルのほうへ向かって歩きながら、話を続けました。
「これからオレたちの行くのは、ホテル<ピラミッド>だ。そこのオーナーがTのメンバーで、部屋の中に、<サクラ>や電脳世界にとっては死角になる部屋がいくつかある。そこをすでに予約してあるから、地下にあるエレベーターに乗って153号室へ行く」
「そういえば、そのホテル<ピラミッド>って、666室あるって聞いたことある。俺みたいな給付金暮らしの一般市民は、一泊三十万以上もする部屋なんて、とても泊まる気にはなれないけど……」
毎月政府から支給される給付金をうまく使い、事業で成功した者にとっては屁でもない価格設定だったかもしれません。このような所得格差により、今では<一般市民>と<富裕層>の間では、出入りできる施設などにも、はっきりとした分け隔ての壁がありました。
「ま、一般市民の感覚としちゃ、それがまともってもんだ。そこのオーナーもさ、Tのメンバーだなんてことがわかったとしたら、<サクラ>に無一文にされちまうだろうけどな。もっとも、そこらへんのことがわかってる人間は、自分の資産の多くをゴールドに変えて、世界各地に隠してるって話だ。金持ちってのも大変なもんだな。その点、オレみたいな根なし草は、当面暮らしていける金さえあれば、何も文句なんかありゃしねえ。その点、秀一はどうだい?お宅もいわゆる、給付金暮らしから抜けだした<成功者>になりたいって口か?」
「どうかな……」
秀一は、少なくとも以前はそんなことを考えていた気がします。国からの<給付金>というのは、国民としての必要最低限の暮らしを保障するものであり、自分に向上心さえあれば、そこからコツコツ貯金して、なんらかの夢を叶えるとか、そうしたことも可能ではあったでしょう。けれども、秀一自身は借金を背負いこんでまで新たに何か事業をはじめる才覚は自分にないと思っていましたし、言うなれば、日本国民のピラミッドの最下層でも、「生きていれば丸もうけ」という精神で生きてきたと言えます。
けれども今は、無実の罪で捕えられ、さらには無期懲役を宣告されたことで……秀一の思考は明らかに変わっていました。自分では、どこがどう、とうまく説明は出来なかったのですが。
「前までは確かに、そんなことも考えてたかな。俺、今三十一なんだけど、二十代の頃っていうのはとかくそんなものだろ。でも、今は……人生で大切なのはそういうことじゃなかったんだなって思ってる。もちろん、金のない人生っていうのはつまんないし、金っていうのはないよりはあったほうがいいに決まってる。だけど、ほら、ジャンキーは知ってる?昔むかしのお話にさ、『星の王子さま』っていうのがあって……」
「まあ、知ってるよ。オレは一般にいうガクってやつはねえが、『星の王子さま』を読んだことくらいはあるさ。それで?まさかと思うが、この世で一番大切なのは目に見えないものだとかって言いだすんじゃあるまいな?」
「そうじゃなくてさ……いや、結局はそういうことかな。『星の王子さま』の中にキツネの話があるだろ?ほら、王子さまに自分を「なつかせて!」って懇願するキツネ。でも、最初から王子さまとはお別れすることになるっていうのは、キツネにもわかってて……でも、キツネは友だちになれて良かったって思うって話。何故なら、前までは小麦の金色の穂を見ても、それはただ小麦の金色の穂だけど、今は黄金の穂を見るたびに、王子さまのことを思いだせる……世の中で一番大切なのはそういうことだよ、目に見えないものが一番大切なんだっていう話」
「ほうほう」
ジャンキーは蟹股に歩いていきながら相槌を打っています。彼は身長のほうは174センチある秀一くんよりも小さく、150センチもあるかどうかといったところでしたが、とにかく物凄い蟹股なので(麻薬中毒者の振りをしている間はそうでなかったのですが)、その蟹股の歩きっぷりによって、彼は小柄ながら実に堂々とした人間であるように見えました。
「だから……俺も、今はちょっとそういうところがあるかなって思う。前までだって、金が第一の拝金主義者ってほどひどくはなかったけど、でも毎日、特にこれといって目的もなく生きてきて、それがある日逮捕されて、ちょっと目が覚めたと思う。いや、なんとなくうすらぼんやり生きてきたところに、ちょうど冷水を浴びせられたみたいな感じさ。で、そのあとだんだんにわかってきた。俺は金が大好きだし、だから綺麗ごとを言うつもりはない。だけど、それでも――キツネがしたような金で買えない経験と金そのものを取り替えようと思うほど、今は自分が馬鹿じゃなくて良かったって、そう思うんだ」
「なるほどねえ。ま、確かにあんたはこれから、金で買えない体験ってやつをするかもな。オレはただの運び屋だから、このことをオレに依頼したボスが一体、どんな用があるのかはわからないんだけどな。それでも一応、なんとなくわかるぜ。何分、そのへんの嗅覚ってのは利くほうなもんでな。オレを留置場送りにしてまで、あんたを自分の元まで運べってんだから、お宅はよほどの重要人物なんだろう。ま、オレは金さえもらえりゃ理由や細かいことを色々聞く気はねえ。あんたと違って、目に見えないものよりも目に見える金が大好きな、拝金主義者なもんでな」
「いや、いいと思うよ、その考え。ってか、サイコーだ」
そう言って秀一は笑うと、ジャンキーもまた一緒に笑いました。彼は一見白髪頭にも見えるようなプラチナブロンドの長い髪をしており、いつもその髪で右眼か左目のどちらかが隠れています。童顔で、子供のような小さい顔なのですが、眼があんまり大きくてヤバイ雰囲気を湛えているせいか――(街ですれ違ったら、自分なら絶対声をかけないな……)と、秀一はふとそんなふうに思ったかもしれません。
彼は先ほどバスで一緒に逃亡した囚人仲間全員に、何故か自然と「ジャンキー」と呼ばれていました。「ジャンキー、君のことは忘れないよ」とか「ジャンキーにしておくのがもったいない奴だ」……などと言われつつ握手したり、ハグしていたものでした。
「それで、お宅のほうはどうなんだい?アンドロイドを十体もレイプして破壊したってのはお宅の仕業なわけか?」
「いや、やってないよ、マジで」
秀一は苦笑いしました。けれどもしここで、『ああ、そうだ』と答えていたとしても、ジャンキーは自分を軽蔑しないような気がしました。どうしてなのかはわからないにしても、なんとなく直感として。
「全部ほんとに冤罪なんだ。そりゃ、アンドロイドのコールガールを家に呼んだりってことは時々あったけど……そんなの、みんなやってることだろ?だけど、Sっぽいプレイとかそんなに本格的なのはしたことないし、まあ、そういう趣向のほうはノーマルだよ。てか、むしろ才能ないくらい。でもあの子たちは男が早漏でも気にしないし、勃たなくても『わたしがなんとかしましょう、ご主人さま』っていう感じだものな。ま、プログラムとしてそう組まれてると言われてしまえばそれまでだけど……俺はあの子たちは天使だと思ってる。だから乱暴なことなんか、全然しようともしたいとも思わない。あ、ちなみにこれ、俺が早漏の勃起不全とかいう話じゃなくさ」
「へえ……面白いな、あんた。けどまあ、世間じゃ今あんたは相当クレイジーな多淫症の変態野郎ってことになってるぜ。二階堂京子と安達紗江子を殺したのが本当にお宅かどうかなんて、半ばどうでもいいんだ。そっちはむしろ殺ったのはあんたじゃないかもしれない。けど、アンドロイド十体をレイプして破壊したのはほぼ間違いなくあんたなんじゃないかって……だから、裁判の実質と世間のこの事件に対する意見っていうのは相当乖離してるぜ。つまり、仮に秀一が二階堂京子と安達紗江子を殺してなかったとしても、あんたはアンドロイドを十体もあんな形でレイプして破壊している、とんでもない変態野郎だ。それは本物の女性を監禁してレイプし、いたぶったあと殺害したに等しい。だったら二階堂京子と安達紗江子を殺してなくてもその罪状で代理処罰したらいい……ってとこかな。だから、気をつけろ。日本中どこでも、あんたの顔を見た奴は敵だと思ったほうがいい」
「そっか。じゃあ俺、きっともう日本には住めないな。整形するにしても……通報されない闇医者ってことになると、がっぽりふんだくられるし。はて、どうしたもんかな」
ここで、ジャンキーは愉快そうに笑いました。<運ぶ>対象が人間であった場合、いつもこう相性の合う人間が相手とは限りません(というより、その反対の場合がほとんどです)。けれど、目的地まであともう少しとはいえ――秀一とは、このままもっと長く一緒にしても、お互い少しも退屈でないだろうと感じましたから。
「じゃあ、そのサイバースコープとサイバーウォッチは秀一にやるよ。普通に闇の第三ネット市場なんかで買うと、結構するんだぜ」
「えっ、ほんとに!?なんか悪いな。けど、俺をピラミッドホテルまで届けるっていうミッションを果たしたら、結構もらえるんだろ?」
「まあな。じゃなかったら一体誰がブタ箱に入るようなヘタを踏むかよ」
ふたりがこんな話をしながら歩いているうちに、ピラミッドホテルのほうへ到着しました。入口の車寄せのほうへは、エア・レーンと直接繋がった空間からスカイ・タクシーがそのまま下りて来、タクシーを降りたいかにも金満家といった雰囲気の男性が、アンドロイドのボーイに迎え入れられているのが見えます。
「オレたちが用のあるのはこっち」
そう言ってジャンキーは、ピラミッドの左側面のほうを指差しました。見ると、そこにはスフィンクスの像が目立たぬ形で置いてあります。ジャンキーがスフィンクスの像に自分の腕時計をかざすと、スフィンクスの両方の目が光りました。すると、スフィンクスがしゃべりだします。
『朝は4本足、昼は2本足、夕暮れには三本足……』
「あー、はいはい。人間ね」
途中でブチッと音声を途切らせて、ジャンキーは次のなぞなぞに移ります。
『地面に開いた男の穴……』
「マンホール!」
『おばさんのあそこ……』
「カント!」
すると、スフィンクスがゴゴゴ……と横にずれ、そこからドアが現われました。ジャンキーはさらにそこにあった電子ロックに、数字を数桁打ちこんで、扉を開きます。
「あのさ、さっきのクイズ、一体何?」
「さあな。ホテルピラミッドのオーナーの趣味かなんかだろ」
(なんか、無意味なクイズ……)
とにもかくにも、こうして秀一とジャンキーはホテルピラミッドの内部へ入りました。ですが、中は真っ暗闇です。
「秀一、時計の一番上のボタン、四回押してみな」
秀一が言われたとおりにすると、視界が切り替わり、サイバースコープは暗視ゴーグルの役割を果たしました。
「へえ……結構広いんだな」
「こっちだ、秀一。ここはちょっとした迷路みたいになってるから、オレの後ろから離れるなよ」
言われたとおり、秀一はジャンキーの背後から離れませんでした。もしこの闇の中から何かが姿を現したとしても――ジャンキーのあの強さなら、自分を守ってくれるだろうと、そう思いましたから。
「確か、最初の角を右、それから三つ分かれ道を通りこして、今度は左……っと」
そんなふうにブツブツ言いながらジャンキーは進み、最後に「確か、このへん」と言って、暗闇の壁に取りつきました。エレベーターを起動させるためのスイッチを探していたのです。やがて、ブゥーン……と、電気が通った音がして、目の前のエレベーターが光りはじめました。
「さて、と。そんじゃ行くか」
エレベーターのボタンはかなり奇妙なものでした。153、292、334、487、556……つまり、それらの部屋が<ゲストハウス>ということなのでしょう。ジャンキーは153のボタンを押すと、流石の彼も少しほっとした顔をしていました。
エレベーターのほうは、ただ上へ上昇するというのではなく、時々横に、かと思うと少し下へ下りてからまた上に――と、何か複雑な動きを見せながら移動していきます。そして、到着した先は、部屋の中と直結していました。
「へえ。すごくいい部屋だね」
153号室は、一般的にいう、デラックススイートくらいの広さの部屋でした。全体的にエジプト風で、柱などにはすべてヒエログリフが刻まれていましたし、ベッドやソファやテーブルなども、大体同じような仕様でした。壁にも歴代のファラオの像がオブジェとして置かれており、ホログラフィック・ディスプレイのスイッチを入れてみると、広い壁一面にアブ・シンベル神殿、ハトホル神殿、ルクソール神殿など、現在の遺跡の様子ではなく、当時の状態を再現した映像を選べるようでした。
「エジプトかあ。いつか旅行で行ってみたい気もするけど、実際はこういうホログラフィに囲まれて、『行った気旅行』をするっていうのが一般庶民の王道だよな」
「つか、オレならこんな部屋で寝たりしたくないね。ほら、そっちにアヌビスの像がある。嫌だねえ。寝てる間にコイツが動きだして、寝首とかかかれたくないもんな」
ジャンキーはそう言って、溜息を着いています。それに、『死者の書』が寝室いっぱいに描かれているというのも――何か悪趣味であるように感じていました。
「それで、俺、これからどうすればいいのかな?」
秀一がそんな素朴な疑問を口にした時のことでした。部屋の一体どこにいたのかわかりませんが、突然大きなカブト虫が――ブゥゥゥ……ンという羽音をさせながら、彼とジャンキーのいるほうへ向かってやってきます。そして、寝室の死者の書が描かれた壁にぺタッと吸着するように着地していました。
<ヨウコソ、ヨウコソ。クライヴ、御苦労だった。すでにもう君の指定した口座に金のほうは送金しておいたよ。確認してくれ。そして、桐島秀一。君にも、この一年あまりの間、つらい思いをさせて申し訳なかったと思う>
「い、いえ、べつに……」
秀一は反射的にそう答えていました。カブト虫……正確にはスカラベでしょうか。そこから太い男性の声が流れてくるのを聞いて、秀一は反射的にそう答えていたのです。
(そっか。まだはっきりとはわからないけど、あの小さな羽虫を拘置所へ送りこむよう指示したのも、彼ってことなのかな……)
男の声のほうに、秀一はまったく心当たりがありませんでした。たぶん、四十代とか五十代くらいの、落ち着いた雰囲気の男性の声ではないかと思われました。
<これからそちらへ向かおうと思うが、クライヴ、君は先に部屋をあとにしてくれ。お互い、顔を合わせないほうが――これからも私は君に十分儲けさせてあげることが出来ると思うからね>
「そりゃそーだよ、ボス。じゃ、秀一、これからお宅がどうなるのかオレにゃわからんが、達者でな。もしいつか、縁があったらまた会おう」
「うん。俺も君と知り合えて良かった。それに、君の名前もわかって良かったよ。もしかしたら偽名のひとつかもしれないけど……ジャンキーなんていうんじゃ、ちょっとあんまりだものな」
「そうでもねえさ。オレにとっちゃジャンキーもクライヴも大して違いなんかねえ。似たようなもんさ」
秀一はクライヴと握手すると、こうして彼と別れました。一度、例のエレベーターは消え、その部分は虚空のような暗闇となります。
秀一は少しばかり――いえ、実際はかなりでしょうか。疲労を覚えて、ベッドの端のほうに座りました。死者の書に囲まれていて若干不気味だろうとどうだろうと関係なく、今少しでもベッドに横になったら、そのままぐっすり眠ってしまいそうなくらいです。
(いや、むしろ逆に今こそしっかりしなきゃ駄目だ。助けてくれたからって、彼が俺の味方だとは限らないんだし……)
実際、本当にその通りでした。自分を助けたということは、彼にはそれ相応のメリットがあってそうしたに違いないということなのですから。けれども、秀一には涼子以外で、自分にここまでのことをしてくれる人物というのは思い当たりませんでした。また、自分を助けたことで相手に一体どんなメリットがあるのかも――とんと心当たりがありません。
(こんな時に睡魔に襲われていてどうする……)
そう思いながら秀一は、ジャンキーことクライヴが<ボス>と呼んでいた人物がやって来るのを待ちました。(一体、どんな人なんだろう。流石に会って三秒で殺されるとか、そういうのはないよな……)などと、心拍数を高くしながら。
やがて、十分ほど時間が経過したのち、例のエレベーターが部屋に戻ってきました。秀一が身構えつつベッドから立ち上がると――エレべーターの扉が開きました。そして、そこに姿を現したのは……軍服姿の南朱蓮だったのです!
実をいうと、自分を助けてくれたのはもしかしたら彼女なのではないか……とは、秀一の中で予測の中にあったのですが、スカラベの男性的な声を聞いて、その可能性を一度葬っていたのです。
「会うのは、法廷で会った時以来かな」
「そ、そうですね。なんというか、その……結果は無期懲役でしたが、法廷では俺に有利な証言をしていただいて、ありがとうございました」
南朱蓮のほうから握手を求めてきたので、秀一くんは彼女の手をしっかり握りしめました。南のほうでは、オリーブ色の上下の、若干ラフなタイプの軍服に、それに軍靴を履いているといったスタイルでした。襟元に大佐の徽章が輝いて見えます。
「まあ、座りたまえ。桐島君、君もわたしに色々聞きたいとことがあるだろうし、わたしも君に話さなくてはならないことがある……時に、お腹のほうはすいてないかね?」
「えっと、三時ごろですかね。ジャンキー……じゃないや、クライヴが万引きしてきたパンとかおにぎりを公園の隅のほうで食べたりして。いえ、もちろんいけないことなんですけど、お腹がすいていたせいか、すごく美味しかったんです。まあ、拘置所の食事も人権の守ってある、内容的には悪くないどころか、栄養について考えられた、いいものだったと思うんです。でも、やっぱり、自分の好きな時に好きなものをバクバク食べられるって、何ものにも代えがたいなって、あらためて思いました」
「そうか……」
南朱蓮は、部屋に備えつけのコーヒーマシンにエスプレッソのカプセルをセットしようとして、後ろを振り返ると、秀一にもこう聞きました。
「君は、飲み物は何がいいかな?コーヒー、エスプレッソ、カフェラテ、カプチーノ……あと、冷蔵庫にもコーラとかジンジャーエールとか、そんなのが入っていたと思うが、何がいい?」
「えっと、じゃあエスプレッソで」
自分と意見があったので、南は少しばかり驚きつつ、コーヒーマシンにエスプレッソのカプセルを二つセットしました。五分とかからずエスプレッソが二人分入ると、南は秀一にカップを渡してくれました。
そして、ふたりはナイルブルーのソファにテーブルを挟んで腰かけると、エスプレッソを三口ほど飲んだところで、話をはじめたのでした。
「君のことを移送車を襲って脱出させたのは……桐島君、君にとっていいことだったと思って良かっただろうか?」
「もちろんです。正直、最初はまた新たに何かハメられようとしてるんじゃないかって、考えなくもなかったんですけど……だけど、クライヴの話じゃ俺はもう日本中の国民に鬼畜の変態として憎まれてるってことだったんで、これからどうしようかなって思ったり」
「そうだな。君を逃れさせた以上、そのことはわたしにも責任のあることだと思う。だが、事態のほうが少々こみいっていてね……果たして君に、一体どこから話したらいいものか」
南朱蓮は、突発性の頭痛に悩まされたというように、額を手で押さえていました。それから、すっかり疲れたといった様子で、溜息を着いています。
「果たして、真実を知ることのほうが幸せなのか、それとも知らないままでいたほうが幸せなのか……わたしにもわからないがね。わたしが君を助けたのには、理由がある。それがどういう理由かといえば――近く、この世界は滅びることになるということだ。つまり、意味がわかるかね?あのまま君を刑務所送りにしてもしなくても、結果は同じ……ただ、最期を迎える場所が違うというそれだけだ。それなら、わたしとしても最後に、出来ることなら無実の人間のことは救いたいと思った。これは、そういう話なんだ」
「えっと、世界が滅びる?」
一体、突然何を言いだすのか――という顔で、秀一はエスプレッソを飲むのをやめました。
「そうだ。そのことはこの世界のほんの一握りの人間だけが知っていることだ。それに、全世界の国民をこれ以上騙し続けることにも限界が来ている……世界の終末のカウントダウンは、ずっと前からはじまっていた。そして、それを出来る限り遅らせるというのが、言ってみれば我々ローゼンクロイツァーの任務だった」
「えっと、トリニティじゃなく?」
実をいうと秀一は、結構UFOとかUMAとか、その手の話が大好きで、他に世界の陰謀論についてなども、それが嘘か本当か、本当にあるのかないのかということは関係なく、色々調べるのが好きでした。そうした彼の知識の中で、ローゼンクロイツァーというのは日本語で薔薇十字団という名前の秘密結社であったように記憶しています。
「その名称によっても呼ばれているね。他にもいくつか、日本であれば<サクラ>、アメリカなら<ウィルマ>、イギリスなら<パトリシア>、ロシアなら<アナスタシア>、フランスなら<カトリーヌ>といったように……我々の組織はそのすべての監視網から逃れて活動する必要があるため、名称を使い分けているんだ。そして、ローゼンクロイツァーのメンバーは、本当の上層部の幹部クラスの人間しか、組織の全体図については知らないのだよ。ただし、末端のメンバーに至るまで、動く動機――この場合、命を賭ける動機といっていいだろうが、それはみな一緒だ。このままいくと、世界はこのマザー・コンピューター同士の冷たい腹の探りあいによって滅びるだろうということは、昔から懸念されてきた。そして、そのことに同意し、そのようなことにならぬよう活動してきたのが我々ローゼンクロイツァーといっていい」
「あなたは……本当に、軍部の情報部で働いていらっしゃるのですか」
今目の前にいる彼女も、陸軍の制服に身を包んでいるし、裁判所にも出廷した時、そのように名乗っていたのは当然秀一も記憶しています。けれども、そのような部署にいつつ、同時にそのような地下組織でも活動することが本当に可能なのか……秀一には謎が残りました。
「そうだな。正しくは、確かに調べられれば防衛省の情報部に、南朱蓮という女性は確かに存在している、ということだけは言えるだろうな。果たして君に、一体どこから話すのが一番わかりやすいか……とにかく、世界で第六次産業革命が起きて以降、この世界の軍事バランスは様変わりした――というのは、よく言われることだ。それ以前までは、核が世界で最大の、地球を滅ぼす兵器と思われてきた。ところがその上をゆくナノテクノロジーによる兵器が生まれて以来、各国は一体どこの国がどのようなナノ兵器を持っているか、諜報活動を活発に行って、冷たい腹の探りあいをするようになったんだ。何分、核兵器と違って、ナノ兵器というのは正確に査察を行うことが難しい。それに、戦争の形態もすっかり様変わりした。人間はもうあまり直接戦地へ出向くことは少なくなり、そのかわりアンドロイド兵士たちが遠隔地にいる上官の命令を受けて動くことになったし……作戦なども、A.Iの提案や計算を司令官は参考にして取り決めていく。だが、どこの国がどのくらい、どんな種類のナノテク兵器を保有しているか、どの国も正直には語らなくなったことで――何分、核のように放射能といった証拠を残すこともないし、小さくて威力があるだけに、いくらでもどこへでも、あるいは誰によってでも、移動させることが可能だからな。それでも、NATO諸国(アメリカ・日本・ヨーロッパ諸国など)の間では、お互いに秘密機関などを通じてある程度相手の兵力については把握しているものの、ロシアや中国やイランなど、ナノテクをどの程度保有しているか不透明な国との間では、当然緊張感が高まる。とはいえ、今ではアメリカがロシアを滅ぼしたり、また逆にロシアがアメリカを滅ぼしたにせよ、互いにメリットは何もない。それより、スーツケース一個分のナノ兵器で巨大なビル一棟を崩壊させられることから、テロといった事件が起きた場合、それがどこの誰の犯行なのかがわかりにくくなった。その昔であればな、テロといえばイスラム過激派組織というのが定番だった時代もあった。だが、それも今は昔の話だ。何故なら、彼らの争う理由自体がなくなってしまったからだ」
(俺、大学卒じゃないんで、もっと噛み砕いて説明していただけます?)
いつもの秀一なら、軽い調子でそう聞いていたかもしれません。けれど、流石の彼にもわかりました。この話の先の、これ以上のことを聞くのは危険だと、頭の中で警鐘が鳴り響きます。
けれど、それにも関わらず彼はやはり聞いていました。ほとんど無意識のうちに。
「……それは、どういう意味ですか?」
「今、かつてその昔、わたしたちが知っていたような形のイスラエルの首都、エルサレムは存在しない」
「…………………」
南朱蓮にそう聞かされても、秀一はやはり意味がわかりませんでした。エルサレムというのは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教それぞれの宗教が、非常に重要な都市としているため、歴史的に複雑な背景を持つ――といった程度の知識はありましたが、南朱蓮が何を言わんとしているのか、悟ることは出来ませんでした。
何故なら今も、テレビのニュースなどでは、見ようと思えばエルサレムの様子などは時々流れることがありましたから。
「つまり、もうとっくの昔に滅んだのだよ。この世界でナノ兵器を初めて本格的に兵器として使用したのは、イスラエルだ。何分、まわり中敵に囲まれているというお国柄だったイスラエルは、モサドを使って徹底的に敵のテロ勢力を叩いた。それは、証拠を残さなかった。だから、向こうがいくら「イスラエルがやった」と言っても、イスラエルのほうでは知らぬ存ぜぬで押し通すことが出来たんだ。だが、今度はイスラエルのほうがナノ兵器による攻撃を受けるようになり……その後、イスラエルが敵のテロ勢力との間で和解したという、それ以降のわたしたちが一般に知らされている情報のすべてが嘘だ。何故そんなことが出来たかって?そのことの起きたのが今から約二十年前のことで、すでに各国のマザー・コンピュータがある情報を国民に知らせないと決めれば、そのような情報操作が可能になっていたからだ。今はもう、イスラエルとその周辺諸国、イラン、イラク、シリアなどは見渡す限り砂漠地帯になっている。イスラエルにナノ兵器を使用されることを恐れたイランが、とうとう核兵器を使用したという、そのせいだ。ただし、今は日本の広島や長崎で使われたものより技術が遥かに進歩して……かなり小型のものでも、核として圧倒的な威力を持っている。イランはナノ兵器後進国だったから、結果としてそのような悲劇が起きたんだ」
「でも……そんな……どこかの国が核兵器を使用したのに、それを情報規制できるとは、俺にはとても……」
(世界が本当に滅びる。しかもそう遠くない未来……)
秀一は、まだ南朱蓮の語る話の全体像が見えませんでした。イスラエルやイランやイラク、シリアなどがないというのは、この目で見なくても、今の彼女の話だけでも信じることは出来なくもありません。けれども、そのことと世界の終末のカウントダウンということとが、どうしても結びつかなかったのです。
「そりゃそうさ。だが、世界には数多くのユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒がいる。だが、イスラエルが核によって滅んだということは、彼らに『この世に実は神など存在しないのだ』という烙印を押すことになるのだ。そのような絶望を経験したことで、自殺する者や鬱病になる者、あるいは、これからは一体何を拠り所にして生きていったらいいのかわからない者がたくさん出るだろう。そうした事態を憂慮した各国政府は、マザー・コンピューターに情報操作を依頼したのだ。このことでは、各国のマザー・コンピューターが実に協力的に連携した……そして、彼女たちは気づいてしまったのだ。自分たちが連携すれば、この地上の生きた人間どもを滅ぼすことも楽々できるということに。今では、人間よりも各工場で働くロボットやアンドロイドも含めれば、数としては彼らのほうが上だろう。そして賢い彼女たちはそのことに気づき、これから具体的に行動を開始するつもりだということを、人間たちに巧みに隠した。彼女たちのやり口は実に巧妙かつ陰湿でね……ついには色々なことを逆手にとって、自分の内部のプログラムを書き換えられたりすることを恐れ、人間が決してマザー・コンピューターに近づけないようにしたんだ。また、外部からどうにかそのように出来ないかと模索したエンジニアたちは、みな彼女の部下のアンドロイドによって殺された」
「ええっ!?で、でも、ロボット工学三原則によって、アンドロイドというのは人間に危害を加えることが出来ないはずでは……」
秀一は、南朱蓮の話すことが、あまりに安手のSF小説じみていると思い、彼女の話していることのすべてが本当に真実なのだとは、だんだんに思えなくなってきたかもしれません。もしかしたらそれは、こんな話を本当のことだとは信じたくないという、秀一の心の防衛本能がそうさせたのかもしれませんが。
>>続く。