ええとですね、確かここからまた区切りのいいところまで辿り着くのに相当長かった気がするんですよね(^^;)
なので、たぶんここから先も変なところでちょん切って>>続く、変なところでちょん切って>>続く。の繰り返しになるっていうことでよろしくです(たぶん☆m(_ _)m)
あと、↓の文章のほうも、時系列順に書かれていないので、読みずらいというか、雑然としていて「もっとちゃんと書きなはれ」といった感じなのですが(汗)、さらに読み返していて「あれ?ここおかしいな……」という点まで見つけてしまったり。。。
んで、そうした言い訳事項について先に書いておこうかなって思ったんですけど、そうなるとここから先どーなるかのネタバレにもなっちゃうなと思ったので、そのあたりのことはあとがきにでも書くか、あるいはあとがきも書かないかもしれないので、その場合はなんとなくスルーするってことになるかもしれません(殴☆)
それと、連載開始したら、裁判員制度のこともきちんと調べて書き直そう……とか思ってたはずなんですけど、実際には大してそのあたりについても調べてないというか、↓の文章のほうも、最初に書いた時のほぼそのままです(^^;)
ただ、裁判員制度による裁判がどんなふうに進んでいくか的な本をぱらぱら読んでみたところによると、↓のよーな感じでも、そんなにおかしくもないのかな~みたいに自分としては思ったというか
でも、不勉強ながら、これまで裁判といったものにあんまし興味を持ってこなかった一市民としては……「人に人は裁けない」みたいに、裁判関係の本を少しばかり読んでみて思ったかもしれません
人を裁くな。あなたがたも裁かれないためである。
というのは、聖書の、というかイエス・キリストの有名な言葉ですけれども、敬虔なクリスチャンだったトルストイもドストエフスキーも、重い刑罰を与えることと、その人自身が改心することとは別のことだ……みたいなことを著作か手紙か何かに書いていたような気がします。
つまり、その人が真実その罪について心から悔い改めているなら、実際のところそう重い刑罰が必要かといえばそうではなく、でも人間にはそのことって結局見定められない。何故ならその人の心のことは神さまにしかわからないことだし、ゆえに法律を犯した者は人の間にあってそれ相応の刑罰というものが必要になってくるということですよね。
ドストエフスキーの「罪と罰」は、貧乏の頭いい青年である主人公が金持ちの老婆を殺してお金を盗む……そして、その犯行現場に行き会ってしまった老婆の善良な妹のことをも殺してしまう――といったお話だったと思うのですが、主人公ラスコーリ二コフくんの罪悪感の所在って、かなりのところ曖昧だったり(^^;)
あんな守銭奴婆あが金を持っているより、それは自分のような有能な人間が生かしてこそ価値がある、あるいはラスコーリ二コフくんは革命を起こしたナポレオンになろうと思った、というのが彼の犯行動機だったと思うのですが、実際に人を殺そうと行動に移すことへの<乗り越え>(一線を越える)っていうのは、そうした理性で導きだした答えとはまったく別なことであったりもしますよね。。。
けれども、熟考の末にラスコーリ二コフくんは犯行に及び、しかも当初殺す予定でなかった老婆の妹をも殺害してしまい――また、警察が自分を疑っているのではないかとの疑心暗鬼にも苦しみ……そんな彼の心の救いになったのが、物語のヒロインであるソフィアちゃんなのですが、わたし、このお話を書いてて涼子たん(笑)はちょっとだけこのソフィアちゃんに似てるかもって思ったりしました(まあ、おこがましいにも程があるという話ではあるんですけど^^;)
ソフィアちゃんは嫌々ながらも家族のために娼婦をしてるっていうような女の子なんですけど、それでいて彼女は神さまへのとても厚い信仰心を持っているわけです。それで、彼女が何故その清さと穢れという相反するものを同時に抱えていられるのか、その理由がラスコーリ二コフくんにもわかった時……同じ罪に墜ちた者同士であればこそ、ふたりは惹かれあうことになったと思うんですよね。
まあ、わたしも「罪と罰」読んだの相当昔なもので……もし細かいところでこのあらすじみたいの間違ってたら申し訳ないのですが、ラスコーリ二コフくんとソフィアちゃんが聖書の福音書を読むシーンは、本当にもう白眉としか言いようがないと思い、心に稲妻が走るような衝撃を覚えた記憶があります。。。
ではでは、次回は――と、これ書いてしまうとネタバレになってしまうのでアレなんですけど(ドレだよ・笑)、確か結構新しい方角に話のほうが転がる予定ではなかったかと思います(^^;)
それではまた~!!
ティグリス・ユーフラテス刑務所-【8】-
その後、公判を重ねるごとに、色々な事実が明らかになっていきました。
といっても、それは公判と公判の間の水面下で起きていた出来事で、ローランド・黒川氏や二階堂涼子ら、クロスハート法律事務所のスタッフたちが入念に調査した結果としてわかってきたことであって――まだ裁判で表沙汰にできる情報は少なくはあったのですが。
「秀一くん、事件の調査が進むにつれて、だんだん凄いことがわかってきたよ。やっぱりこれは仕組まれた陰謀なんじゃないかという気がする。二階堂京子と安達紗江子は元同僚で、特殊捜査班で同じチームとして動いていたことがある。もっとも、事件の捜査内容等については極秘事項ということで教えてもらえなかったけどね……安達紗江子も優秀な捜査官だったそうだが、南朱蓮との結婚を機に退職したそうだ。ちなみに南朱蓮と二階堂京子の出会ったのが、ふたりの結婚式でのことらしい。紗江子と京子は同じ同性愛者として、またチーム内での気の合う仲間としていい先輩・後輩の間柄だったそうだ。安達紗江子が特殊捜査部にいたのは約三年……主に情報分野のアナリストとして活躍していたそうだが、場合によっては現場に出ることもあったらしい。それで、紗江子がかかっていたクリニックを南朱蓮に聞いて訪ねてみたんだが、彼女が悩んでいたのは主に男性恐怖の症状のことだったようだ。だが、そのメンタルクリニックのほうにかかりはじめたのが今から十年も昔のことなのに、症状のほうは軽減するどころか重くなっていったということだった。いや、この件については彼女が殺されたこととは直接関係がないから、飛ばすことにして――精神科医から見せてもらったカルテに、安達紗江子がある秘密の地下組織のメンバーだとの記述が残っていた。どうも特殊捜査部の仕事を辞めたのもそのことと関係があったようだ。情報分野のアナリストとして、自分が知りうる情報を必要に応じて組織へ流し、また、地下組織のメンバーが捕まるような際には陰でこっそり逃がすといったようなこともあったらしい。その後、紗江子は後輩の二階堂京子にこの役割を託し、自身は退職したというわけだ。そして、この<トリニティ>と呼ばれる地下組織と関わりのあったふたりがともに殺された……しかも、犯行のほうはどう考えてもプロとしか思えない手業だった。秀一くん、君はこのことについて何か、京子さんから聞いていなかったかい?」
「えっと……わかりません。それでいくと、俺が思うに――南朱蓮さんもその<トリニティ>という組織の一員っぽい気がするんですけど。でも、事が事なだけに、正面切って『あなたもあなたの妻の安達紗江子も愛人の二階堂京子も、ある地下組織のメンバーなんですよね?』なんて聞いても、『はい、そうです』なんて答えてくれなさそうですよね。でも、ということは、黒川さんは京子も紗江子さんも地下組織の人間に殺されたと考えているということですか?」
実際のところ、その地下組織のメンバー云々といったことを聞いたのは、京子の名前を名乗っていた頃の涼子の口からでした。ということはこの場合、涼子もまた彼女たちの仲間だったのではないかと思われるのですが、秀一には「涼子に聞いてみたらどうですか?」とは言えませんでした。たとえば、宗教についてなど、ある特定の組織に所属しているということを周囲に知られたことで、その後職場で働きにくくなる……ということがあってはいけないと思ったからです。それに、京子と安達紗江子のふたりが殺害されたことから見ても、相当キナくさい組織ではないかと思われましたし、そんな組織はやめたほうがいいのではないかと秀一は思いました。けれども、今自分と涼子とは接見禁止の状態にあり、そうしたことについて具体的に話しあったりすることが出来ないというのが問題でした。
「それはまだわからない」
透明な間仕切りの向こうにいるローランド弁護士は、思慮深い様子で一度口を閉じたのち、続けました。
「むしろ、その逆、ということもありうるのではないだろうか?その<トリニティ>という地下組織のメンバーが一体何人いるのかもわからないが、どうもA.Iによる世界支配を危惧する、元の母体は人権団体らしいんだ。もっとも、それもまた隠れ蓑ということなのかもしれないが……まあ、この接見室にいる刑務官だってアンドロイドだし、検事や刑事を手伝うアンドロイドの取調べ官や捜査官だっているからね。日本のマザーコンピューターの<サクラ>は、情報検索によってそれらのうちのどのA.Iとも接触して操ることが出来る……というのがネットの噂話なのか、本当なのかは僕にもわからない。けれど、そう考えた場合、日本にはこの<サクラ>の目から逃れられる場所がほとんどないという気はするよね。だから、このマザーコンピューターが昔からSF小説によくあるみたいに、暴走したら国や世界が滅ぶということに繋がる……っていうのは、今もよく議論されることだし。もっとも、政府の見解のほうは、「そんなことはありえない」っていうことなんだけど、ほら、日本ではその昔、2011年に福島の原発がメルトダウンして、原子力安全神話が崩れたじゃないか。それと同じことがマザーコンピューター<サクラ>にも起きるんじゃないかっていうことは、よく言われてるよね」
「それで、南朱蓮さんのほうには……?」
ローランド・黒川は容姿が格好いいだけでなく、性格も温情的で優しい人柄なのですが、あまりに頭が良すぎるためか、よくまったく関係のない話を引き合いにだすことがありました。そしてそういう時、秀一はそれとなく本筋のほうに話を戻さなくてはならないということになります。
「もちろん聞いたよ。奥さんの紗江子さんと恋人の二階堂京子がそうした地下組織のメンバーであることを知っていましたかってね。そしたら、そのことは知っていたそうだ。だが、彼女自身はその地下組織とは関係してないって言ってたよ。もちろん、そう嘘をついた可能性もあるとは思うけど……そんな地下組織と関わっていられるほど、暇な部署に自分はいないということだったね。だけど、やっぱり僕はその組織に南朱蓮もまた所属していて――これはあくまで、僕の勘としてそう感じることなんだけどね、彼女は二階堂京子と安達紗江子を殺した人間、あるいは組織を知っている、あるいは心当たりがあるんじゃないだろうか」
「じゃあ、黒川さんは南朱蓮がなんらかの方法によってふたりを殺したかもしれない……という可能性は低いと思ってるんですね?いや、まあ俺も、もし彼女が長年恋人同士にあったふたりを直接じゃなかったとしても殺して、あんなに落ち着き払っていたんだとしたら、南さんのことをなんだか人間とはとても思えない感じがするけど……」
「そうだね。僕も同感だ。それで、先ほどの話の続きなんだが、<トリニティ>といった、A.I支配に反対するための組織というのは、日本国内に結構ある。だが、警察内部や政府の中枢にまで食い込み、コンピューターによる支配を阻止すべく監視網を巡らせているほどの隠された秘密組織というのは、その<トリニティ>という組織くらいなものなんじゃないだろうか。それで、マザーコンピューターのほうでは、そうした自分に逆らう勢力を見逃したり許したりすることが出来ず、極秘裏に組織に所属する人間を狩っているのだとしたら?」
「く、黒川さん……!!」
じっと微動だにせず、こちらを観察していたアンドロイド刑務官を秀一は思わず振り返っていました。その説でいくと、自分たちが今ここで話している会話でさえも、マザーコンピューターの<サクラ>が背後にいて、アンドロイド刑務官という『端末』を通して知るのは時間の問題ではないかという気がしたからです。
「そうなんだ、秀一くん。もしこの仮説が正しかったとしたら、君はこの裁判で勝てない公算が高くなるかもしれない。2009年に日本では裁判員制度が採用されたわけだけど、その頃は、裁判官三人と国民の中から選ばれた六人の裁判員とで審理が行われていた。そしてその後、2079年から裁判官三人と、国民の中から選ばれた四人の裁判員、それにアンドロイド裁判官の二人が裁判員として加わることになった。このことは、審理及び裁判の公平性のため、また、裁判員の心理的負担を減らすのに有効であるとして組み込まれたことなんだけど……まあ、アンドロイドがA.Iを駆使してどんな答えを導きだすかというのは、それはあくまで「参考程度」のことだとは言われている。何故なら、彼らは『情状酌量の余地がある』なんて裁判官が言った場合、その言葉が一体どんな判例で使われたかを検索し、そのすべてをデータとして読み込んで、何を『情状酌量の余地がある』というか、という、そうした物の捉え方なんだからね。ところが、アンドロイドは<平均的に人が好意を持つ>とされる顔で、ちょっと悲しみの表情を浮かべながら「わたしはこの件は、情状酌量の余地があると思います」なんて言うんだ。わかるかい?もし、<サクラ>が我々の裁判を担当するアンドロイド裁判員を操り、いかにももっともらしいロジックで、他の四人の裁判員をそれとなく説得するよう行動したとしたらどうなる?」
「そ、それは……」
(そんなこと、本当にありうるだろうか?)と思うのと同時に、(警察に捕まるような悪さを、自分のような人間は犯さない。だって俺は小心者だから)と思っていたにも関わらず起きた、青天の霹靂のような今回の出来事――秀一くんは、最後(いや、全然ありえなくない)と、そう結論を導きだしました。
「今話したようなことは、僕は最初から<サクラ>に聞かれるかもしれないということを前提にしゃべっている。例の地下組織の名前を口にしたのも、向こうではそうした組織があることや、所属しているメンバーの名前など、すでに把握済みだろうと思ったからなんだ。もちろん、その全員ではないにしてもね。だけど、その線でいくとひとつだけ僕にも腑に落ちないことがある。つまり、<サクラ>っていうのは善的で中立的で公平なコンピューターだと一般に認識されている。それに、彼女が導きだした『計算結果』というのも、今のところ概ね日本国民の全員が納得できるものばかりだよ。まあ、ネットには<サクラ>が国民が首を傾げる答えを出した場合は、政府の人間が修正して公表するんじゃないかっていう噂もあるけどね……でも、もし<サクラ>がある地下組織のメンバーを『自分に敵対するもの』と位置付け、今この瞬間もそのような人間を抹殺すべく動いているのだとしたら、それは「おかしい」ことなんじゃないだろうか。さっき僕が腑に落ちないって言ったのはね、そうした地下組織のメンバーを『自分に敵対するもの』として<サクラ>が狩る理由はわからないでもない。でも、もしそのためになんの罪もない善良な<一般市民>を有罪にしても<サクラ>がそれを計算ミスだと思わないなら――それは彼女が狂った二重人格者である可能性があると言えはしないだろうか?」
「…………………」
こうしたことは秀一にとって、あとで拘置所でひとりになった時に、じっくり考えるべき事柄でした。ローランド・黒川氏は頭の回転が早く、頭の中で考えたことがそのまま口から出てくるという感じなのですが、秀一はもう少し不器用でした。頭の中で考えたことが口に出てくるまでに……(本当にそれを言葉にしていいのか?)という作業に、若干時間のかかるタイプなのです。
「もちろん、まだ僕にも確信はない。南朱蓮に聞いたところで、今のところ話してくれそうな素振りは見られないしね……なんにしても、これから僕たちの間で、例の組織の名前は禁句ということにしよう。何故なら、<サクラ>はその組織の名前がネットの世界で呟かれていないかどうか、<端末>であるロボットやアンドロイドたちが耳にしていないかどうか、監視網を巡らせてるんだろうからね。さっき僕は三回くらいその言葉をつぶやいたから、それは回数としてもしかしたら多いほうかもしれない。だから、今回はもうこれ以上この話はしないけど――問題はね、こうした陰謀があるかもしれないなんて、裁判では言えないってことなんだ。そういう意味でも僕らは本当に不利だ。ある意味国家が敵みたいなものだよ。そして、もし<サクラ>が政府に表の顔としては正常に業務をこなしている裏で、そうしたことを行っているのだとしたら……これは、物凄く危険なことだと僕は思う」
このあと、次回の公判に向けての打ち合わせを秀一は黒川弁護士としたのですが、とても大事なことなのに、秀一は少し上の空なところがあったかもしれません。それでも、ローランドが帰る直前、秀一はこう言っていました。
「黒川さん……自分でもなんか、SF映画の見すぎっていう気もしなくはないんですけど、でも念のため気をつけて。だって、さっきの黒川さんの話が本当なら、小説や映画なんかじゃ、イケメン弁護士が車に轢かれたり、あるいはエア・カーに細工がしてあって墜落するとか……もしこれで僕、黒川さんに何かあったら、敗訴確定ですもん」
「ありがとう。もちろん、気をつけるよ。それに、もし僕に何かあったら、それはもうさっきの話が確定的なんじゃないかっていうことでもあるしね」
その後、ローランド・黒川弁護士は、交通事故未遂を起こすでもなく、あるいは飲み物に混ぜ物がしてあって下痢になるということもなく――<二階堂京子・安達紗江子殺害事件>の公判に立ち続けました。ですが、第五回、第六回……と公判を重ねていっても、秀一の容疑というのはずっとグレーゾーンのまま、疑いは晴れたとも、より濃厚になったとも言えないような形で推移していきました。
やはり、蛇尾田が第二回公判で提出した十体の<アンドロイド損壊事件>が桐島秀一に対する心証を悪くしているらしく、安達紗江子のカルテの一部を黒川弁護士が提示したことで――秀一の言っていることは正しいということのほうに傾いてはいたのですが、二階堂京子については、彼が現在は双子の妹と交際しているということで、そうなるまでの過程の供述を秀一・涼子のふたりがそれぞれ語ると……二階堂京子殺害については、彼らが共謀しているとの蛇尾田の指摘に、完全に反論できるほどの決定的証拠が何もありませんでした。
桐島秀一については、彼にはアリバイを証明してくれる人が誰もいなかったからですし、それは二階堂涼子にしても同じでした。ただし、涼子は安達紗江子が殺害されたとされる死亡推定時刻に、仕事に関係した人物と会っており、その飲み屋のバーテンダーが涼子の無実を証明してくれていました(ただし、涼子は飲んでいたというわけではなく、他の事件の証人となってくれる人物と会っていたのです)。
こう見てくると、二階堂京子殺害はともかく、安達紗江子については、秀一は白に近いグレーといったところだったかもしれません。ですが、二階堂京子については、黒に近いグレーといった心証が強かったように――傍聴席で、この事件の裁判を見続けてきたジャーナリストなどの多くはそのように感じていたようです。
もし、蛇尾田が証拠品のひとつとして、<アンドロイド連続損壊事件>のことを持ちだしてさえいなかったら……もしかしたら桐島秀一は無罪を勝ち取れる可能性もあったかもしれません。もちろん、その事件と<二階堂京子・安達紗江子殺害事件>とは分けて考えるべきことではあります。三人の裁判官については、もう長年の経験もあり、そのあたりの心証に左右されるということはなかったかもしれません。また、他の四人の裁判員についていえば、必要最低限のレクチャーは受けていますし、裁判官たちのほうでも彼らが公正でない意見に傾きつつあると感じた時には、その点を指摘して是正するよう努めてもいました。
ただし、一般に「裁判員の負担を軽減するため」に組み込まれたとされるアンドロイド裁判員――この二名については注意が必要だったかもしれません。というのも、彼らは過去の判例等に基づいて判決を導きだすことには長けているのですが、彼らのこの思考法でいくと、やもすれば検察側の意見に偏りがちだったからです(またこのことは、アンドロイド裁判員が試験的に組み込まれた7~8年後から、すでに問題視されはじめていたことでもありました)。
その後も、大体月に一度のペースで公判のほうは行われ……とうとう、裁判の結審する第13回目の公判を迎えるということになりました。この日、検察官・弁護人双方の主張が終わって終了すると、休憩ののち、裁判官と裁判員たちは「評議」に入る、ということになりました。この「評議」というのは、裁判官三人と裁判員四人、そして裁判を補助する立場の「アンドロイド裁判員(A.I裁判員とも呼ばれます)」二人が話し合いを持つことを言います。
評議は裁判長の進行で行われ、法律について必要な知識については、三人の裁判官、あるいは補助裁判官であるアンドロイド裁判員の二人が教えてくれます。事実認定については、裁判官と裁判員、それにアンドロイド裁判員の全員で対等に話し合い、意見交換を行うということになります。
全員一致で結論が出ない場合は、多数決で決めるということになるのですが、この場合、多数決で被告人を有罪とする時には、裁判官が最低ひとり以上は含まれている必要がありました。
ところで、「事実認定」というのは、まずこれは客観的に見て間違いなく動かしがたい事実だと裏付ける「証拠」と「証人」によって決められると言っていいでしょう。ただし、桐島秀一の裁判の場合、出廷した証人も少なく、実をいうとその後の裁判で出てきた唯一の確実と思われる物証が、実は桐島秀一の指紋がついた、9ミリ口径の拳銃でした。
それはべレッタ92という今は販売されていない古い拳銃であり、公判の第七回目に突然検察側から出された証拠の品でした。それはちょうど、二階堂京子と安達紗江子の住む場所の、大体中間地点にある雑居ビルの地下で見つかりました。そこは『煉獄』という名前の地下2階にあるクラブで、そこのトイレのタンクから突然見つかったという代物でした。
ちなみに、現在の日本、あるいは先進諸国の都市部では、無水洗浄トイレを使用している場合がほとんどです。けれどもそのいかがわしい界隈では今も、一部水洗トイレが使用されており――ビルのオーナーが無水洗浄トイレにリフォームしようとして業者を呼んだところ、そのトイレのタンク内からそのようなものが出てきたということでした。
この動かぬ証拠ともいえる証拠品の扱いは、実に難しいものがありました。検察官の蛇尾田は、言うまでもなく鬼の首でも取ったかのように居丈高にこの証拠品について語りだしたわけですが……そのあとのローランド・クロカワの弁護は、この突然の新証拠に動揺するでもなく、実に見事なものだったと言えます。
「何故、今になってそのような証拠品が出てきたのでしょう?『煉獄』というクラブは、住所から察するに、相当いかがわしい界隈にあるクラブですよ。被告人に罪を着せたい真犯人は、なんらかの方法によって被告の指紋を入手し、それを犯行に使った拳銃に転写したのです。確かにこの拳銃はサイレンサー付きですから、線条根が動かぬ決め手ではあるでしょう。ですが、被告人はこれまでずっと終始一貫して無罪を主張してきました。そんな場所にもし銃を隠したとしたら、いつか見つかるかもしれないと怯え暮らすことになりますし、最低でも指紋くらいは拭ってからどこか――もっと別の見つかりにくい場所へ隠しますよ。また、どうか忘れないでいただきたい。被告人は、安達紗江子の部屋で目覚めるまで、十二時間以上も記憶がありません。この間、彼を容疑者に仕立てあげるため、何か邪悪な計画が進行していたとしたらいかがですか?あなたたちは……その手で無実の人間を、それこそ煉獄へ落とすことで自分の手を血で染めるということになるのですよ!」
そして、まず「事実認定」についてですが、この拳銃の扱いについては、意見が分かれました。まず最初に<二階堂京子・安達紗江子殺害事件>について、事件のあらましを裁判長が最初に説明したのち、証拠品についてはやはり、この拳銃のことが一番長く話されました。
「でも、前にも言ったんですけど、こんなものが急に出てくるっていうの、おかしくないですか?俺はやっぱり彼って、誰かにハメられようとしているように思えるんだけど」
四名いる裁判員のうち、彼は二十七歳の<一般市民>でした。秀一と同じように、毎月大体のところ三十万円くらいの給付金をもらって生活しています。
「そうですね」と、裁判官のひとりが言いました。眼鏡をかけた、とても真面目そうに見える、38歳の女性です。「ですが、もちろんそうではない可能性もありますから、あくまで、立場としては公平性を保つよう心がけてください」
「私のほうからも、もう一度少し事件について整理してみましょうか」
裁判長の、こちらもとても真面目そうに見えるのと同時に、顔の表情に乏しい男性が、説明をはじめました。ちなみに年齢のほうは53歳で、奥さんとの間に双子の娘、それに双子の息子の四人の子供がいます。
「被告人、桐島秀一は、最初から終始一貫して無罪を主張しています。また、証拠品として事件に使われた拳銃が出てくるまでは、私も<二階堂京子>と<安達紗江子>の件は切り離して考えたほうがいいのではないかと言ってきたのですが、この拳銃の登場でこのふたつの事件がひとつに繋がったように見えました。ですが、動機という点から見てみると、確かに<二階堂京子>に関しては動機があったかもしれません。二階堂京子は同性愛者であり、偽装結婚するという段階では、被告人桐島秀一と利害が一致していたからです。けれどもその後、二階堂京子が妹の二階堂涼子と被告をデートさせようとしたことから、事態はややこしくなりました。桐島秀一と二階堂涼子はともに、彼女が入れ替わっていたことを知ったのは、二階堂京子が殺されてからだと言っていますが、ふたりが共謀して二階堂京子を殺したという可能性もありえなくはない。ですが、<安達紗江子>に関しては動機が見当たりません。また、安達紗江子が長年かかっている精神科医の証言から見ても、彼女が男性を深夜のバーで引っかけるという可能性はありえそうにない。また、被告人は家で飲んでいたはずなのに、次に起きたら安達紗江子のマンションの部屋にいたというのも奇妙です。では、この拳銃はどういう意味を持つものなのか……というのが、今私たちが話しあっていることです」
裁判長はもちろん、自分の意見を裁判員たちに押しつけたり、審理の結果を自分の考えるほうへ誘導したりはしません。けれども、過去の判例ではこのように審理されている……といったアドバイスをしたり、裁判長としての自分の意見を述べることで――審理の落としどころについて裁判長と裁判官が事件についてどう考えているのかというのは、大体わかるものです。
また、「10人の犯人を取り逃がしても、1人の無罪の人を罰してはいけない」という考え方を裁判所は持っており、検察官によって間違いなく犯人であると証明されない限りは、有罪ではなく無罪とするという決まりがあります。つまり、有罪か無罪かで迷った場合――つまり、検察官による犯人であるとの有罪証明が不十分であると判断された場合は、無罪とすべき……というのが建前として一応あるのですが、今のこの時代、冤罪の件数は減るどころかA.I裁判員の導入により、その件数はむしろ増えたとさえ言われていました。
A.I裁判員の導入については、当初から疑問視する声が国民より多数上がってはいたのですが、「裁判員の心理的負担を減らす」ということの他に、「裁判の迅速化」ということがあり、超ハイテク電子時代と言われて久しい現代、そうした種類の入り組んだ複雑な犯罪が圧倒的に増加したことで――裁判官ひとりにつき、常時百件以上の案件を扱っているのが普通でしたし、いずれこの裁判官も三人のうちひとりはアンドロイド裁判官にしてはどうかという議論まで、すでに政府のほうでは審議されています。
秀一自身も、自分が起訴されてみるまでは、「裁判官のうちひとりはアンドロイドだなんて、なんかちょっとやだな」と思っていたくらいでしたが、殺人事件の被告人とされた今では、意見がガラリと変わっていました。A.I裁判員が二名審議に加わるのはいいとしても、アメリカの陪審員制度でのように、残りの十名はせめても血の通った人間が裁いて欲しいと考えるようになっていました。
日本の場合は特に、裁判に対する関心度が低いということもあり、こうした件について世論があまり盛り上がらないわけですが、秀一はもし自分が無罪を勝ち取って釈放された暁には、「日本から冤罪をなくす会」のメンバーとなり、彼らの主張している<裁判改革>を推し進めるため、自分なりに努力する決意をすでに固めていたと言えます。
さて、秀一の刑罰が確定する裁判の評議のことに話を戻したいと思いますが、この場合、<指紋つきの拳銃>、それもサイレンサー付きの銃には線条痕といって、その銃によって間違いなく発射されたという証拠が残っていますから(この線条痕は銃の指紋とも呼ばれています)、この物証は桐島秀一にとって相当不利なものでした。
とはいえ、発見された時の不自然な状況、<安達紗江子を殺す動機がない>など、弁護側の言う「これは陰謀であり、被告人は真犯人によって犯人に仕立てられようとしている」との主張は、確かに筋の通ったものであったと言えたでしょう。
けれども、公判第四回目で、検察官の蛇尾田は、<安達紗江子を殺す動機がない>との弁護側の主張を覆してきました。つまり、記憶がないというのは桐島秀一の嘘であり、もともと殺人欲求と女性に対する欲望の強かった彼は、その夜、そのような衝動を抑えきれず、深夜の街を徘徊。そして、安達紗江子が自宅へ帰ろうとしているところを襲い、彼女の持つ携帯によって部屋の鍵を解錠し、自分の欲望を満足させたあと、安達紗江子のことを殺害したというのです。
「いいですカァ、みなさ~ん。この中に、前日の深夜から翌日の午後三時半まで記憶がなかったなどという人が、一体何人いるものですかネェ。それに、罪を免れるために被告人が嘘をついているとするのが、一番合理的で筋が通った話なはずですヨォ。アンドロイドをあのような形でレイプし惨殺できる人間の精神というのは、一体どのようなものでショオネェ。また、先ほど被告人は『二階堂京子と肉体関係はなかった』と言っていましたが、それなら尚更ではなかったんじゃナイデスカネェ。何度もデートしながら、肉体関係だけは持てない同性愛者の女性……被告人はとうとう自分の欲望を抑えきれず、二階堂京子に襲いかかった。ところが警察機関にいて日頃から鍛えている彼女に激しく抵抗され、それでやむなく銃を発砲したのでは?一発目で彼女は当然絶命したのですが、プロの犯行に見せかけるため、もう一発頭に撃ちこんだ。なんという冷酷にして残酷な犯行でしょう。ですが、アンドロイドの女性を相手に、あれほどのひどい仕打ちをすることが出来たとすれば、何も驚くにはあたらないというものです」
この検察官・蛇尾田の言い分に対し、弁護人の反論は次のようなものでした。
「被告人は決して嘘など言ってはおりません。二階堂京子は、被告人に対して不倫相手の恋人とは別れるとも言っていたそうです。ですから、最初は偽装結婚ではじまった恋が、やがて偽装ではなくなったということなのです。また、仮に二階堂京子と双子の妹の涼子、それに被告人の間でそのことで揉めていたとしても――その場合はただ、二階堂京子は、他に偽装相手を見つければよかったのではありませんか?<独身税>が課されるのが嫌なら、極端な話、異性の友人と一時的に結婚して、その後、その友人に好きな人が出来たらまた別の相手を探して結婚するという手だってあるわけですから。また、合成映像でないことはすでに証明されているとはいえ、被告人はアンドロイド・シェリーを破壊してなどしていません。そのことは、別の店のアンドロイドのコールガール数人からの証言によっても証明されています。『人扱いされなかったり、色々変なことをしたがる男性の多い中で、彼はとてもロマンチックで紳士的だった』と、六人ものアンドロイドの女性が同じように証言してくれたのです。また、以前あった検察官の『生身の女性を恐れる傾向が、被告人を狂気に駆り立てた』との主張は決して彼には当てはまりません。何故なら、被告人は今ひとりの女性と愛を育んでいる最中であり、彼女――二階堂涼子は、被告人の出所するのを待ちかねています。つまり、彼は生身の女性と健全な愛を築くことの出来る心身ともに健康な男性であり、検察官の主張はただの憶測にしか過ぎません。また、もし被告人が二階堂京子をレイプしようとして意のままにならず、それで殺してしまったというのは、流石にこじつけがすぎようというものです。レイプしようとして意のままにならなかったのなら、彼女の体には殴られたり、あるいは抵抗したあとが見られたはずでしょう。ですが、後頭部に二発銃弾を撃ちこまれているということは、真犯人は最初から二階堂京子を殺害する目的で彼女の部屋を訪ね、そして目的を達したということです。それに、二階堂京子も安達紗江子も体に乱暴された形跡はなかったのですから、検察官が何故そんなにも本件を性的な動機があったと捉えたがるのかは、まったく謎としか言いようがないというものです」
こういった形で、公判のほうは一進一退を重ね……検察官・弁護人、両者の主張にはそれぞれ正当性があるように思われ、評議の場の意見も公判後、常にわかれていました。
そんな中、裁判員のうち、ふたりの男性は被告人、桐島秀一に若干同情的な意見や態度を見せがちだったのですが、残りふたりの女性は、被告席に座る桐島秀一に対し、一見まともそうに見えるものの、羊の皮をかぶったモンスターではないかとの疑念を捨て切れない様子でした。
けれども、裁判長とふたりの裁判官とは、裁判員が<公正>以外のフィルター、つまり、<思い込み>のフィルターを通して事件を見ているように思われる時には、そのたびに意見して「アンドロイド損壊事件は本殺人事件に直接の関係はない」ということや、「被告人が無罪であるという可能性というのはありうる」、「もしこれが本当に誰かの陰謀であった場合、我々は無罪の人間を罪に定めてしまうかもしれないので、もっと慎重に」といったように注意を与えたりしました。
ところで、そのように事件の公平性を保つように審議してきた裁判官三人の考えはどのようなものだったのでしょう。裁判長は、例の拳銃が証拠品として提出される前までは、被告人が無罪である可能性もあると思っていました。けれども、不自然な形とはいえ、凶器が発見され、そこに被告人の指紋がべったりとついていた以上――これを見逃すことは出来ませんでした。この第七回目の公判のあと、裁判長はポツリと一言「グレーと思っていたものが、突然黒くなったな」と他の裁判官ふたりに洩らしていたものです。
裁判所では当然、「誰が聞いても妥当である」と感じられる判決を下さなくてはなりません。つまり、そのような証拠があるのに、無罪ということにすれば、裁判長の裁判官としての能力に疑問を持たれる可能性があるということです。もちろんその後も、この顔の表情の読みにくい裁判長は、裁判員たちの前で実に被告人に対し<公正>にして<公平>な態度ではありました。けれども、実際のところは他の裁判官ふたりにもわかっていました。「桐島秀一はほぼ間違いなく有罪になるだろう」ということは……。
さて、判決をだす前の評議の続きですが、裁判長と裁判官はまず、四人の裁判員たちの意見を黙って聞いていました。口を出すとすれば、それは裁判員の事実に対する記憶違いを訂正したり、自分たちの意見が必要な時に、過去の判例を説明したりといった、そのくらいだったと言えます。
「でも、わたしは被告人は有罪である確率が高いと思うわよ」
専業主婦の44歳の女性が言いました。彼女は毎回『裁判長は「<アンドロイド損壊事件>とは少し切り離して考えたほうがいい」なんて言ったけど、あたしはそうは思わない。アンドロイドだから何をしてもいいって考えるような奴は、やっぱり心の根っこに何か病いを持ってるものなのよ。わたしは彼のような人間は、一度刑務所へ入って内省することで、自らを矯正すべきなんじゃないかと思うわ』といったようなことを、言葉を変えて何度も主張していました。
「わたしも同感だわ」
もうひとりの女性は、56歳の保険会社に勤務している女性です。彼女は保険会社の、保険金を下ろすかどうか審査する部署に勤務しており、これまでの間、色々な人間があらゆる方法を駆使していかに保険金を騙し取ろうとするか……そうした人間の心の闇の部分を見すぎてきたせいか、専業主婦の女性同様、被告人に対しては辛口な意見をいつも連発していました。
「毎回、アンドロイド裁判員が、被告人の有罪率を提示するけど、第一回公判後の有罪率はそれぞれ50.2%、51.4%、第二回公判後の有罪率は54.5%に55.1%、第三回公判後には、60.8%、59.9%、第四回目公判後には63.5%、64.2%、第五回公判後には、65.3%、67.4%、で、例の拳銃という証拠が出てからは、82.4%、85.6%……もちろんわかってるわよ。これはほんの<参考>程度の数値だっていうのは。だけど、わたしもやっぱり思うわね。被告人はアンドロイド裁判員の示した数値と同じくらいの確率で有罪なんじゃないかって」
「そうだなあ。だから俺はむしろ逆に、あの被告は無罪かもしれないって思っちまうんだよな」
最初に、『被告人は誰かにハメられようとしているのではないか』と発言した、27歳の<一般市民>の青年があらためてそう言いました。
「確かに、あの検察官が最初の公判の頃に持ってきた<アンドロイド強姦殺人>……まあ、実際には<アンドロイド損壊事件>と言ったほうがいいのかな。あれはパンチがあったよ。また、その一件がもし被告人の犯行なら、残り9人のアンドロイドのコールガールをレイプ後破壊したのも彼の犯行である疑いが濃厚だっていう。実際、実は世間が騒いでるのはその点なんだよな。そんなクレイジーな奴は監獄行きになるべきだっていうね。確かに、あの映像は合成されていたりもしないし、拡大してみたところ、被告と顔や身体的特徴が一致するって話だ。だが、今は何分こういう世の中だからさ、もともと被告人と似た顔立ちの奴に、より似るようメイクしたり、あるいははっきり相手を陥れようと思ったら、整形するってこともありうる。だって、今じゃ整形してない人間を見つけるのが難しいってくらい、その手の手術は簡単になったんだから。それに、あの映像を提供してくれたアンドロイド風俗店の店主っていうのもさ、あんな映像をいつまでも保存して残しておいたのは――ようするに、いつかそれを売れるかもしれないと思っていたからじゃないか?ああいう残虐なタイプのプレイに特に興奮するって奴はいて、それなりにニーズもあるって話だから。そんな店主の出してきた証拠映像ってことを考えると……俺はそいつが金でももらってたんじゃないかと推測するね。つまり、その点ではあの拳銃だって同じさ。第一、俺だって隠すとしたらそんなわかりやすい場所にわざわざ隠したりしない。それに、最低でも自分の指紋くらいは拭っておくよ。そういったわけで、俺は被告人が無罪であることに一票。どうせ、被告人を無罪だって主張するのは俺くらいだろうから、なおのことだ。罪のない人間の血を流すのは、あんたらのほうでやってくれ。俺はこうすることでせめても自分の良心を慰めたいからな」
「いや、俺も被告人が無罪であることに賛成するよ」
ずっと、公判で出された証拠や、検察官・弁護人双方の意見を聞き、その時々で被告人に対する態度を変えていた、五十四歳の男性が言いました。彼もまた、もうひとりの青年と同じく、国から大体同額の給付金を貰って暮らしている<一般市民>です。
「何分、女性陣の被告人に対する風当たりは最初から強すぎた。俺も、例の拳銃が出てきたあとは、『コイツ、やっぱりクロか』とは思ったよ。公判が終わったあとの評議でも、その前までの意見を変えて、被告人が犯人なのだろうとも言った。だけど、俺も生まれて初めて裁判員なんてものをやるってことで……この一年もの間、ずっと法律の本なんかを読んできたんだ。そしたらさ、検察ってのは有罪にできる確率が高いものだけ起訴するっていうじゃないの。もちろん、そりゃそうだろって話ではあるけど、そのかわり、一度起訴した以上は検察の面子にかけて、意地でも自分たちの作ったシナリオ通りにゴリゴリゴリゴリ押してくって話。いや、なんともおっそろしい話さ。俺だって明日、自分に身に覚えのないことで逮捕されても、どっかから誰かの作った証拠なんてのが出てきたら――自動的に有罪ってことにされちまう。そう考えたら、あの青年がやっぱしなんだか気の毒だ。裁判長はさ、俺の息子と同じ年……なんて話をしたら、そうした私情を挟めずに客観的にって言ったけど、そんなの無理だよ。あの青年がもし無罪だった場合、親御さんがどう思うかとか、考えずにはいられねえ。それに、話してるとこ見たっていかにもまともだし、どこにでもいる普通の青年って感じでもある。もちろん、俺はそうした表面的な印象は抜きにして、最終的に被告人は無罪だと思うって結論したんだ。どうせ、多数決で被告人は有罪になるって決まってんなら、俺は未来の自分の命を救うために無罪に投票するぜ。だって、もしあの被告が無罪なのに有罪にされるとしたら、そんなことは将来俺っちか、あるいは俺のカミさんか、子供や孫に起きうることでもあるんだからな」
この男性陣の意見に、女性ふたりは苦虫を潰したような顔をしていました。自分たちは正しいことを主張しているはずなのに、なんだか逆にやりこめられたような、不愉快な気分だったのです。
その後、さらに裁判長とふたりの裁判官、それにアンドロイド裁判員を含め、意見交換が行われました。裁判長とふたりの裁判官は、一応表向きの言葉としてはいかにも公正かつ公平で、被告人が無罪である可能性もありうる……といったことを言うのですが、実際は三人の中で最終的に被告人桐島秀一が有罪であることは確定していたと言えます。
また、三人の裁判官はヴェールにくるんだ物言いをしつつ、内心では有罪と確定している――のとは違い、アンドロイド裁判員の意見は最初から終始一貫してはっきりしていました。女性タイプのアンドロイド、コートニーは「私は被告人桐島秀一は84.5%の確率で有罪であると信じます」と言いました。「私のA.Iはすべての情報を読み込み、そのように結論しましたが、何か反論があればどうぞなんなりとおっしゃってください」
また、もう一体の男性タイプのアンドロイド、アダムも大体同じことを言いました。唯一の違いは有罪確定率が83.7%と、コートニーより若干低いことでしょうか。大体のところ似たような結論を出すのに、何故アンドロイド裁判員がふたりいるかというと、片方は女性的思考をし、もう一体は男性的思考をする……というところに違いがあるからだとのことでした。
評議のほうは一時間ほど続きましたが、四人の裁判員の意見は変わりませんでしたし、「事実認定」、「有罪・無罪の決定」と進んだあと――男性ふたりの裁判員の言っていたとおり、7:2で有罪と決まり、裁判官三人が何故有罪と思うのかの論拠も、極簡潔に述べられていたといえます。また、有罪と決まったからには当然、量刑についても決定しなくてはなりません。
裁判長が過去の判例について似たケースを解説したのち、量刑は執行猶予なしの無期懲役と言うと、他のふたりの裁判官はともかくとして、他の四人の裁判員は「えっ!」と驚いた顔をしていました。しかも、「犯行は計画的で、極めて冷酷かつ残虐である」などと、それまでむしろ被告人をフォローする発言の多かった裁判長自らがそんなことを言いだしたのですからなおさらです。
「あ、あたしはもっとこう……十年くらいかなって思ってたわ。それか、長くても十五年とか二十年とか」
専業主婦の女性は、明らかに狼狽していました。もし無期懲役とわかっていたら、もう少し厳しい意見を控えたのに、とでもいうように。
「わたしもよ」
と、保険会社に勤める女性も言いました。
「一番長くても三十年とか、三十五年とか……」
「そうだよ、裁判長!」
そう強く言ったのは、五十四歳の男性でした。
「いくらなんでも無期懲役っていうのは長すぎる。ほら、無期懲役でねくて、たとえば刑期が四十年とかでもだよ、真面目に務めてさえいれば、もっとずっと早くに出て来れるっていうだからな。そう思えばまだ希望も持てる。だけど、無期懲役はねえよ。もちろん、わかってるよ。無期懲役でも、真面目に刑期を務めていれば、出所できる希望があるっていうのはさ。でも、それを聞いた傍聴席の親はどう思う?『もう息子は一生刑務所から出てこれねえ』、そう思って、おっかさんなんか、脳梗塞か心臓発作だべさ?」
おじさんは驚きのあまりでしょうか、二十年以上も昔に東京へ来てから、すっかり直ったと思った田舎の訛りまで出ていたほどでした。残り一人の裁判員の青年は、口を噤んだままでいます。彼もまた『無期懲役だなんてあんまりだ』と思っていましたが、そんなことを口にしたところで、どうやらこの状況は覆りそうにないとわかっていたのです。
結局、過去の判例云々とか、そんな判決は前例がない……といった説明をされてしまうと、裁判官たちの意見には逆らえないというのか、唯々諾々と従うしかないのだと、そうした雰囲気があることは誰にも否めなかったに違いありません。
ここで、眼鏡をかけた真面目そうな女性と対をなすように、同じように眼鏡をかけた冷静沈着な四十歳の裁判官が、説明を挟めました。つまり、これまでの間、自分たち裁判官はずっと、似たような判例について何ケースも説明してきており、二人以上の殺人の場合は無期懲役か死刑である場合が多く、量刑については口に出して言わなかったにしても、配布した資料のほうには量刑についても明示してあったはずです、と。
「つまり、今回の事件が特殊なケースだというわけではないということです。前にも説明したと思いますが、頭部に二発というのは、間違いなく明確な殺意があったということであり、それを被告人はなんの躊躇いもなく行ったことは明らかです。この場合、情状の酌量の余地はありません。二人以上の殺人事件で、無期懲役にならないのは、なんらかの特殊なケースや、情状酌量の余地がある場合だけですから」
「…………………」
この裁判官の説明に、裁判員たちは四人とも黙りこみました。雰囲気として、「二十年とか、一番長くても三十五年くらいに出来ないんですか?」などと言っても、「前例がない」、あるいは「あっても、それは情状酌量の余地があった場合だけです」といったように言われるだけなのだろうと、大体のところ予測がつきましたから。
また、アンドロイド裁判員がふたりとも、このことを念押しするように、「2079年にあった判例では……」とか「2088年にあった似たケースの事件では……」と説明をはじめると、裁判員たちはますます気持ちが暗く落ち込んだものでした。
――こうして、評議室から出てきた時、裁判員たち四人は全員が暗い、厳粛な顔つきをしていました。四人とも、とても疲れていたということもありますが、無罪である可能性もある被告人に死刑を自分たちが確定してしまったような、それは後ろ暗いような不快な気持ちだったのです。
専業主婦の女性は、(最初は、ちょっとした話の種に一度経験しておくのもいいかなって思ってたけど……今じゃ、法の仕組みなんて何も知らないほうが幸せだった気がするわ)と思い、保険会社勤務の女性は、金銭を巡る人の心の醜さについては知り尽くしているほどでしたが、それでもこうして判決が下ってみると――俄かに被告人の青年が実は無罪ではなかったかと、そのように思われて仕方なかったのです。
給付金受給者の青年とおじさんは、互いに顔を見合わせると、ただ重い溜息を着きました。何故といって、ふたりは被告人に対して無罪を主張することにはしたわけですが、結果が同じなら、それはほとんど同罪に等しかったからです。
裁判長のほうから判決が言い渡される段になると、四人は被告人の顔を見るのにとても勇気が入りました。判決を口にするのはもちろん裁判長ですが、自分たちが逆の立場なら……彼に恨まれても仕方ないと、そのように感じるのと同時、自分たちが決定したことのせいで、人ひとりが絶望のどん底に突き落とされる瞬間というのを――見たくなどなかったのです。
「主文、被告を無期懲役に処する」
四角い顔に四角い頭、それに四角い眼鏡をした裁判長からそのように伝えられると、秀一はただ呆然としていました。検察官が死刑を求刑していることはわかっていましたし、ローランド・黒川弁護士からも「最悪の場合、無期懲役……」といったように聞いてはいました。けれどもまさか、本当に無期懲役になるとは想像していなかったのです。
(俺はふたりとも殺してなんかいないんだ。だから、きっと神さまみたいな人がちゃんと見て知っていて、無罪か、あるいは執行猶予付きとか……何かそんなふうにしてくれると信じよう)
心のどこかで持っていた、そうした淡い期待が打ち砕かれて、秀一は精神的な崖っぷちから、そのまま真っ逆さまに落ちてゆきました。これまでもずっと、<どん底>の底に自分はいると感じてはいましたが(犯行に使われた銃という、新たな証拠の出た第七回目の公判後が特にそうです)、今度こそ、これ以上下はないだろうと思われる、本当に本物のどん底でした。
文字通り、ガーン、ガーンと頭の中で割れ鐘が鳴っているという状態で、あとの裁判長の言葉は、彼の耳にはところどころしか入って来ませんでした。「理由:被告人は、2129年3月24日に偽装結婚相手である二階堂京子、及び翌日の3月25日に行きずりの相手である安達紗江子を所持していた拳銃により、頭部を二発撃つことによって殺害。
犯行動機は、偽装結婚相手である二階堂京子、またその双子の妹の二階堂涼子と複雑な三角関係に陥ったこと、また、安達紗江子とは行きずりの関係の中、なんらかの不都合な出来事があり、これを殺害しむるに至った。共に理由は身勝手なものであり、殺害方法も冷酷かつ残酷なことから、無期懲役が相応である。
また、被告人に前科はないが、偽装結婚して独身税を免れようと考えたり、アンドロイドのコールガールをレイプ・損壊した疑いもあることから、情状酌量の余地はないものと考えられる。……」
判決文がすべて読み上げられると、秀一はキッとそれを読み上げた裁判長のことを睨みつけました。裁判長に対し、憎しみがあったというわけではありません。ただ、本当は無罪なのに、そのように嘘八百をいかにももっともらしく述べることの出来る男の顔を――じっと見つめておきたかったのです。
(覚えておけよ、この野郎。地獄で悪魔と一緒におまえの体を必ず切り刻んでやるからな)とまでは思いませんでしたが、無罪の人間にああも冷たく罪の宣告が出来る人間の顔というのを、よく見ておきたいと思いました。もしかしたら、あるいは逆に(俺は無罪だぞ、おおう!?この俺の顔、テメェのほうでもよく覚えておけよ!)と凄んでおきたかったという、そうしたことでもあったのかもしれません。
この瞬間、裁判所の外ではすでにマスコミが騒いでおり、<判決:無期懲役>という報道がレポーターの間ですでになされていました。例の>>「ただ今、裁判所前から……」というアレです。また、この日の夕方には、テレビにも法廷の様子が流れました(2129年の日本では、裁判の様子についてもテレビ放映が可能になっています)。
そこで秀一は、どこかふてぶてしいとも言える顔で裁判長のことをじっと見つめていました。彼にしてみれば「自分は無実なのだから、下を向く必要もなければ、目を逸らす必要もない」と思ってのことでしたが、「無実なのだから当然だ」と思ったのは、彼の家族と二階堂涼子くらいなものだったのではないでしょうか。
もちろん秀一も、実際には見ていなくても、テレビでどのように報道されているかはある程度予想がつきました。>>「小学生の時、卒業文集の夢に「お医者さん」と書いていた少年はその後二十年が過ぎて……今ではただ、国から給付金をもらうだけで、自分で特に何をするでもない人間に成り果てていました。することといえば、アンドロイドのコールガールを呼んで、夜の寂しさを紛らわすということだけ。ネットを通じた友人らの話では、「話していて面白い奴でしたよ」と、ごくう。「あいつ、時間守ったことないんスよ。でも、なんか憎めない奴でね。そういう奴って、仲間内に大体ひとりくらいいるじゃないですか」と、ジャイコ――友人たちはみな、秀一に対し、概ね好意的な意見を述べていました。また、女友達も「あ、なんかー、確かに誘ってもー、あんまりわたしにー、キョーミないみたいな~?」と、しじみっこ。「でも結構仲間うちじゃモテてたよね。ノリのいい奴だったし」と、らんらん。ここで、レポーターが「もし彼につきあってって言われたらどうします?」と質問すると、「えー。やだー。でも、もしつきあってって言われたら、たぶんつきあってましたよ。だって、そんな変態殺人鬼だって知らない前だしィ」と、答えていたものです。
ですが、判決が出て、地獄の門が開いたその前にいる者にとっては……もはや自分の世間での風評のことなど、いちいち気にしてなどいられない現実がありました。秀一は自分が一体どうやって拘置所まで戻ってきたのか、記憶が欠落しているほどでしたから。
過去にショックなことがあった時も、頭の中にガーンガーンという割れ鐘の音を聞いた記憶が秀一はありましたが、それはほんの短い間だった気がします。けれど今は、裁判所から拘置所へ戻ってくる間も、また拘置所の自分の11921号室のベッドに腰かけている今も、いつまでたってもその鐘の音は鳴り止むということがありませんでした。
(たぶん、黒川弁護士は、こうなるってわかってたんだろうな。それに涼子も……だけど、少しでも俺の刑が軽くなるようにと、精一杯がんばってくれたんだ。それに、もし奇跡みたいなものが起きたら無罪を勝ち取れるとも、信じてくれたんだ……)
この時、初めて秀一は自分が涙を流していることに気づきました。気づくと、これから刑務所へ行く恐怖からか、体も震えてきました。そして、ドサリとベッドの上へ横になると、彼は自分の体を抱きしめながら、ただひたすらに自己憐憫の涙を流し続けたのです。
けれど、すっかり打ちひしがれ、涙にかき暮れてのち……秀一は目頭を拭うと、体を起こしました。すると、一体どこから侵入したのでしょう。緑と蛍光黄緑、それに白っぽい色の体をした小さな羽虫が壁に止まっているのに気づいたのです。
(……ハ、ハハ。可愛いな。なんていう名前の虫なんだろ?こんな惨めでどうしようもない俺のことを、慰めるために出てきてくれたのかな……)
もちろん、そんなはずはないというのは、秀一自身よく承知していました。けれど、秀一はそんなふうに思える自分が何故か嬉しくもありました。それに、今こうなってみるまで、自分はなんと多くの人々の善意に心を救われてきたことでしょう。
(そうだな。こうなってみる前までは、考えてみたこともなかったけど……やっぱり俺、生活態度も悪かったよな。親父や兄貴みたいに汗水流して働くなんて馬鹿らしいってずっと思ってきたし……自分の好きなことだけして生きてきたから、ある意味罰が当たったのかもしれない。もちろん、だからって流石に無期懲役っていうのはないよなって思うけどさ……)
秀一は無期懲役を宣告されたその日(2130年、5月19日)、何故かいつまでも部屋の壁にはりついている、小さな緑と白の虫と一緒に眠りにつきました。翌日、目が覚めるとその虫はいなくなっているかもしれないと秀一は思いましたが、翌朝になってもその虫はまだ壁に止まっていました(ただし、若干場所を移動してはいましたが)。
そして、秀一が実際に刑期を過ごすことになる刑務所へ移送されることになったのは、この十日後のことだったのですが――その前日になっても、例の緑と白の虫は部屋の中にいました。けれども、明日ここを出ていくことになったとすれば、この虫ともお別れです。
そこで、秀一くんはその虫に、思わず声に出して話しかけていました。いつもは、心の中でだけ話しかけるのですが……。
「俺は明日、護送車に乗って刑務所のほうへ行く。だから、おまえともこれでお別れだな。この冬ほど、俺が乗り越えるのがつらかった季節は他になかったけど……おまえら虫にとってはこれからがベストシーズンってやつなんだろ?可愛いメスでも見つけて幸せになれよっていうのも変だけど――あ、あれ?そういやおまえってもしかしたらメスかもしれないんだっけ。なんにしても、友達になれてよかったよ。元気に子孫残せよ……なんてな」
自分でも虫に話しかけてるだなんて頭おかしいと思いましたが、けれど、その虫が逃げるでもなくずっと部屋に居続けていてくれることで、どれほど心が……いえ、魂が力づけられたことでしょう。そう思うと、思わず口に出してお礼が言いたくなったのです。
ところが、このあとびっくりしたことには――この緑と白の小さな虫が、口を聞いたことだったかもしれません。
<ヲイ!シューイチ>
その小さな、機械音がブレて重なったような音を聞いた時、秀一は自分の頭が本当におかしくなったのかと思いました。けれど、とても自分ひとりの幻聴とも思われず、秀一は壁の虫のそばまで行ってみることにしました。
<ヲイ!オレをモット……ドアから一番離レタトコ、連レテケ……ブブブ………>
ドアから一番離れたところといえば、それはトイレでした。ですから、秀一は便座の上に座ると、手のひらにのせた虫と交信をはじめたのです。
>>続く。